レイリィ・リトカ・アゾード
キャロルがトーマスに通された部屋は、資料室のようなところだった。
紙と埃と、ほんのりかび臭い部屋。
窓は小さく、トーマスは薄暗く魔法で明かりを灯した。
「じゃーん。ここが俺の勉強部屋」
部屋自体は広いのだろうが、ぎっしりと詰まった本棚のせいか圧迫されている感じがする。
「ここで勉強されてるんですの?」
笑顔で問いかけたキャロルにトーマスは頷く。
「そう。彼女に普段は教わってるんだ」
トーマスはそう言って身振りで本棚の奥を示した。
キャロルが視線を向けると、そこにはふわふわとした黒髪の少女が本を本棚から取り出しているところだった。
「レイリィさん、気づいてるんだったら挨拶ぐらいしたらどう?」
少女はゆっくりと二人の方へ振り返る。
「先に紹介するのが筋じゃないかしら?」
柔らかい表情で、少女は言う。その顔の雰囲気が何となく知っているような気がしてキャロルは内心首を傾げた。
「ごめんごめん、この子は先生の弟子でキャロルさん。キャロルさん、彼女が今俺に勉強を教えてくれているレイリィさん。王位継承権は俺に次いで第二位」
「はじめまして、キャロルと申します」
やたら丁寧なキャロルの挨拶にも、レイリィはどこかそっけなく返事をする。
「どうも。レイリィ・リトカ・アゾードよ。――その子を私に会わせるなんて嫌味のつもり?」
最後の言葉はトーマスに向けられたものだった。
「あの、私が何か……?」
キャロルは自分が何か失礼なことをしたのではないかと慌てたが、トーマスは笑って首を振った。
「キャロルさんは気にしなくていいよ。レイリィさんのはただのやきもちだからさ」
どういうことなのだろうか。キャロルには全く意味が分からない。
「やきもち、ですか……?」
自分のどこに『やきもち』を焼く要素があったのかと、キャロルはますます不思議に思った。
レイリィはきつくトーマスを睨みつけると、大きくため息をつく。
「貴方が悪いわけじゃないの。ただね、貴方の立場が私には羨ましかっただけ」
「?」
「私は貴方の師、ライリアル・リトカの娘。だけど事情があって私は父に会えなかったし、父も私の存在を知らない。そういう立場なの」
レイリィは硬い表情でそう告げて、表情を和らげた。
言われてみれば顔の雰囲気がどことなくライリアルに似ている。
ライリアルは女性的な顔つきをしているので、彼の髪が長ければキャロルももっと早く関係に気付いただろう。
「まあ、でもそれも今日で終わり。父には私の存在を今日明かすことになってるもの。そうよね、トーマス」
「後で先生にこの塔に来てもらって、話をするつもりだよ。ただ、話をするだけ。レイリィのお母さんと過ごした記憶は戻さない」
「もしかして、ライリアル様には記憶が一部欠けてるんですか?」
レイリィがライリアルの娘だと言った時から不思議だった。
ライリアルはずっとあの山で一人で生きてきたというような話を以前聞いたのに、結婚していたことや、娘がいたことは全く話に上がらなかったからだ。
「ずっと封印されてる。話だけはするようにって言われたんだけどね」
「どなたからですか?」
一体誰がそんな指示をしたのか、キャロルには見当もつかない。
「トーマス・リトカ・アゾード。俺たちのご先祖様で、この国を作った建国王さ。本人は放浪して俺たちも会ったことないんだけど、手紙が来たんだ」
キャロルはトーマスの言葉にきょとんと目を丸くした。
考えてみれば、一緒に国を作ったライリアルが今もまだ生きているのに、建国王がまだ生きているという事をキャロルは考えてもみなかったのだ。
ただ、生きていればライリアルに頻繁に会いに来ててもおかしくないのに、とキャロルは思う。
「建国王は、ずっとこの国に戻ってきていないんですの?」
もしかして、ライリアルに顔を合わせれない理由があるのではないか。
ここまで考えて、キャロルはライリアルの記憶の一部が失われていることと、建国王からの手紙を結びつけた。
「あ……ライリアル様の記憶は……」
「わかった? 建国王が先生の記憶を封印したんだって。それ以来、建国王は先生とは会ってないらしいよ」
自分も会ったことない、とトーマスは言った。
「俺と建国王はよく似てるって先生は言うんだけどね、俺は肖像画でしか知らないから、何とも……ね」
あはは、と彼は笑う。レイリィはニコリとも笑わなかった。
キャロルは何となく居心地の悪い思いをしたが、トーマスはそれに気づいてひらひらと手を振る。
「レイリィさんは機嫌が悪いんじゃなくて、初めて先生に会うんで緊張してるの。だから気にしなくていいよ」
「ちょっと、貴方にはデリカシーってものがないの?」
「だからってお客さんに愛想笑いの一つもしないのはどうかと思うんだけど」
二人は険悪なように見えて、気軽にポンポンと言い合える仲のようだ。
キャロルはレイリィの機嫌が悪いのではないと知り、ちょっと安心しながら二人のやりとりをのんびりと見ていた。
「あーあ。時間の無駄だった」
国王との謁見を終え、庭へと戻ったあとでレイムは感想を一言で述べた。
「ライリアル、あんな王に仕えるの形式上だけでも嫌じゃないか?」
結局王は最後の最後までレイムを不快にしただけだったようだ。
「まあ、そんな怒るなって。今どき長生きしてる魔法使いに対してはどこもあんなもんだぞ」
意外にもそんな物わかりのいいことを言ったのはアーノルドだった。
ライリアルもレイムもその発言に不思議そうな視線を向ける。
「何だよ、お前ら揃って」
「いや、お前がそういう発言するとは思ってなくてだな」
アーノルドの不審げな目にライリアルが答える。
「ライリアルが言うならともかく、お前が発言するとは思ってなくて驚いた。すまない」
続いてレイムが謝罪の言葉を述べるが、内容が少し失礼だ。
「……一体俺を何だと思ってるんだ。これでも一般の魔法使いよりは強いんだぞ。ライルが桁違いなだけで」
「桁違いなの判ってて何度も挑んでくるから、てっきり馬鹿だと思っていた」
呆れて文句を言ったアーノルドに、あっさりライリアルが返す。
がっくりと肩を落としたアーノルドを尻目に、ライリアルは肩をすくめてレイムの最初の発言に答えた。
「仕えるって言っても用があった時に呼ばれるぐらいだから、大した手間には思っていないよ。それに、この国を守るのはトーマスとの約束だからな」
「……初代国王か。その約束を律儀に守るほど仲が良かったのか?」
レイムはもう一度問いかける。
「そうだな。トーマスには感謝しているよ」
ライリアルはあいまいに、そうごまかして今まで黙って後ろをついてきたリトミアの青年を振り返った。
「それで、リーフ。お前がまだ二世のところに戻らないのは、私に何か用があるからではないのか?」
問いかけに無言で頷いてから、リーフは口を開く。
「トーマスは勉強部屋にいます。そこで少し大事な話をするでしょう。貴方とこの国にとって、とても大事なこと。まず、何を言われても否定だけはしないでほしいのです」
リーフはライリアルにそう告げて、歩き出した。
その動きに釣られて、ライリアルたちも足を踏み出す。
「そんなに衝撃的な事なのか?」
「それは話を聞いてから判断してください」
何かが起きるのを予感したレイムはリーフの姿をそっと観察する。
彼自身は話の内容を知っているだろう。
しかし、ここでライリアルには告げない。
恐らくトーマスが待つ勉強部屋に、その話に関連した重要な何かがあるはずだった。
「さて、覚悟はよろしいですか?」
「……ああ」
ライリアルはほんの少し躊躇ったが、頷いた。




