そして師匠は旅に出る
夜が明けた。太陽が顔を出した家の外へ、ライリアルはあくびをしながら出る。
いつも通り畑の手入れをしようと思ったのだが、畑には何故かジョシュアがいた。
しかも昨日購入した酒の入った革袋を片手にぶらぶらとさせている。
「師匠……」
「よ、お目覚めか」
ライリアルはそれには答えずにジョシュアの立つ大地を見る。彼を囲むように複雑な紋様が地面に描かれていた。
「……何をしようというのです?」
「何ってお前。お前に掛けた魔法を解くんだよ。お前と親しくなりそうな奴を遠ざける心理的障壁っていうの?」
簡単にジョシュアは説明してライリアルを手招きする。
「わざわざお前の為に一晩かけて作ったんだ。来いよ」
ライリアルは諦めたようにため息をついて魔法陣の中に足を踏み入れる。
それを構成する線にライリアルの足が触れると、光が線を伝わって魔法陣を彩っていった。
ライリアルは驚いて自分の足元を見下ろす。
走る光が大地に直接描いた陣を構成していた。
「お前の身体から常時漏れる魔力を利用するようにしてみた。立ち止まってないで来いよ。俺は触れることで魔法起動するんだからな」
「あ、はい。今行きます」
我に返ったライリアルがジョシュアの元へ行く。
「さて。覚悟はいいな?」
手の届く距離までライリアルが近づいた後、ジョシュアは聞いた。
「覚悟が出来てなくてもやるんでしょう?」
「よくわかったな」
ライリアルの質問にジョシュアはにやりと答えて目の前の弟子の胸に手を当てた。
「ちょっと刺激が強いかもしれねぇけど、我慢しろよ」
そしてジョシュアが表情を消して集中する。魔法陣の光が一度ライリアルの身体に集中し、弾けた。
眩い光が全ての視線を遮る。ライリアルは自分の中で何かが砕け散るような音を最後に聞いた。
窓から見えた強烈な光が閉じた瞼に刺さり、キャロルは覚醒した。
目を開けたが眩しくて反射的に目を閉じてしまう。
近くで何か大きな魔法が発動したことがキャロルでもわかった。
手で光をなるべくさえぎり、目を細めながら体を起こす。
身支度もそこそこに家の中を駆け抜け、外に出るともう光は消えてしまっていた。
「ライリアル様は……」
太陽が上り始めた空を見て、この時間はライリアルが畑に出ているはずだ。
畑に回ると、そこにはライリアルを肩に担ぎあげたジョシュアの姿があった。
「ライリアル様!」
ライリアルはぐったりとして動かない。青ざめたキャロルにジョシュアが言う。
「心配すんな。ずっと昔に掛けた魔法を解いただけだ。少ししたら目を覚ます」
楽々とライリアルを担いだジュシュアはリトミアのそばまで運び、ライリアルを木にもたれかけさせた。
「やれやれ。やっと終わったぞ。ライルの様子を見に来るたびに何か魔法使ってるような気がするぜ」
木に体重を預け寝息を立てるライリアルの額を軽く小突くとジョシュアは立ち上がる。
「腹が減ったな。お前何か作れるか?」
「いえ、まだライリアル様からは教わっておりませんが……」
「仕方ねぇな。この俺が直々に作ってやろう」
「申し訳ございません。私が教わっていないばっかりに」
恐縮するキャロルにジョシュアは肩をすくめた。
「何でライルの奴の弟子がこんなに生真面目なんだ」
ライリアルが目を覚ました時にはジョシュアはすっかり朝食の準備を終えていた。
「今日は俺が作ってやったんだからな。ありがたく食えよ」
そんなことをわざわざ凄みを込めて言うものだからライリアルは食べた食事もじっくり味わえなかったようだ。
青ざめた表情で食事を終えると、ようやく起きてきたアーノルドを見てライリアルはため息をついた。
「おい、これ見よがしにため息なんかつくな」
ついでに嫌そうな表情になったライリアルにアーノルドは文句をつけたが、代わりにジョシュアがにやにやと笑って言った
「どうせあれだ。俺が魔法を解いてやったもんだからどんな顔していたらいいのかわからないのさ」
「師匠!」
「ほんとの事だろ?」
抗議の声を上げたライリアルにからかうような口調でジョシュアが声を掛けると、ライリアルは黙り込んだ。
どうやら図星のようなので、更に調子に乗ったかのようにジョシュアが楽しげにライリアルの顔を覗き込む。
「どうやら先に、付き合い方から学ばないといけないみたいだよなぁ」
「師匠勘弁してください」
ライリアルがほとんど唸るように溢した言葉を無視してジョシュアは話を続けた。
「よし、アーノルドと言ったか。お前、この家に住め」
絶望的に天井を振り仰いだライリアルとは対称的に、アーノルドは目を輝かせた。
「マジで? こいつにいつでも挑戦できるってことか!」
「そうそう。いつでもライルに喧嘩吹っかけてもいいし、毎日うまい飯が食える」
「最高じゃねぇか!」
「話は決まりだな!」
二人の間で話がまとまりかけた時、ライリアルがようやく抗議の声を上げた。
「勝手に決めないでください!」
その声に対してジョシュアは冷たい視線を投げかけた。
「俺の指図に逆らうのか?」
ライリアルはそれ以上何も言うことはできない。
いつだってジョシュアに口でも実力行使でも勝てたためしがないのだから。
諦めて受け入れるしかなかった。
――ガンス帝国。
長い銀髪をたなびかせた女性の天使が大地に降り立つ。マイズ山の賢者のところから回収してきた部下二人を慎重に地面へと降ろし、ほうっとため息をついた。
「おやおや、おかえりなさい。ガブリエラ。どうでした? マイズ山は」
紫がかった銀髪の天使がにこやかに彼女を出迎えたが、ガブリエラと呼ばれた女性の天使は仲間を振り返らない。
「ラファエロ。私の部下に余計な命令をしたのは貴方ね? 私は王都の様子を見に行ったのであって、賢者を探りに行ったわけではないわ」
ラファエロの笑みは崩れない。ガブリエラが連れてきた天使二人を見て、ほんの少し訝しんだようだ。
「おや? この子の翼はどうしました? 賢者にもがれでもしましたか?」
「違うわ。賢者にこのような技は使えない。わかるでしょう? あの場に今代のアロガンスがいたのよ」
ガブリエラのその一言がラファエロの表情を変えた。
青ざめ、大きく目を見開いてガブリエラをもう一度見る。
「ではガブリエラ……貴女は我らを『こんな風に』変えた力を持つ男と出会ったのですね」
ラファエロは一度自分の翼を大きく振って、彼女に確認を取った。
「何故殺しておかなかったのです……!」
低く唸ったラファエロの瞳には壮絶なまでの殺気が宿っていた。
「彼はアロガンスの力を継いだだけで、彼自身に罪があるわけではないの。戦場で出会えば別だけど。わかるでしょ?」
殺意を込めた瞳で射抜かれてもガブリエラは揺るがない。
「今やることはアロガンスへの復讐ではなく、我らが王のため。あの方の望みを叶えて差し上げる事。違った?」
殺気をみなぎらせていたラファエロはその言葉を聞くと、吐息を一つ漏らして怒りを霧散させる。
「取り乱しました。すみません。そうでしたね。私たちの今やるべきことは……」
「……そう。神の復活……それに注力すべきではないの?」
「わかっています。アロガンスの名が出て頭に血が上ってしまいました」
項垂れたラファエロにガブリエラは微笑んで頷いた。
「それで、計画に必要なアンジェブランシェは見つかったの?」
「一応ですね。ミシェルが行っています」
「そう。よかった」
ガブリエラは一度地面に降ろした部下たちを再び宙へと持ち上げた。
今までもずっと意識を失ったままで相変わらずぐったりとしている。
「私は帝都まで戻るわ。ラファエロも賢者と因縁があるのはわかるけど、あまりそっちばかりに気を取られないでね」
ガブリエラは同僚にそう忠告を一つだけして、悠然とした足取りでその場を後にした。
――マイズ村。
昼もいくらか過ぎたころ、ジョシュアは山を降りた。
再び放浪の旅に出るのだ。
今はのんびりとした村の雰囲気を味わいながら一歩一歩、村の外へと向かう。
そして先日アーノルドと対峙した時の事を思い出した。
一度は手を触れ、自分の魔力を流し込み、動きを封じた。額に手を触れてちょっと力を込めて相手を改変すれば彼はライリアルの事を完全に忘却するはずであった。
だが、急に変じた彼の姿と、ジョシュアの改変をものともしなかった真の力にジョシュアは唖然とした。
アーノルドは自分は時間と空間を操る竜だと言った。ライリアルには素性を隠しているとも。
もうすぐ世界の節目が訪れる。その時にライリアルのそばにいることが必要なのだと。
ライリアルが暴走、あるいは自分の力を疎み、また世界を憎むことをジョシュアはずっと危惧していた。
彼の危惧をアーノルドはわかっていたのか、しっかりと頷いたのだ。
ジョシュアの危惧する全てが実現しないように、アーノルドはあらゆる手を尽くすと言った。
だからジョシュアはライリアルに掛けた魔法を解いたのだ。
世界の節目が近い、ということを聞いてジョシュアは天使との全面戦争は避けられぬのだろうと感じた。
天使がマイズ山まで侵入していたのがいい例だろう。
「さて、俺は俺でやることをすっか」
自分に喝を入れるように呟いて、ジョシュアは村の外に出て振り返った。
村の向こうにはライリアルのいる山が見える。
「次会う時はもうちょっと強くなっとけ。ライル」
目の前にいない弟子に向かって呟き、ジョシュアは前に向き直るとそのまま歩き去った。




