ジョシュア
「この馬鹿野郎が!」
銀髪の男がライリアルを怒鳴りつける。ライリアルは首をすくめて縮こまる姿勢を見せた。まるで親に怒られる小さな子どものようだった。
それはキャロルが見た師の知られざる一面だった。いつも優しく、でも自分からは距離を置いていて。極端な面倒くさがりという点を除いては完璧な人という印象を抱いていたからだ。
それが男に怒られて子どものように必死に受ける怒りに耐えている。人間からはちょっと遠いと思っていた彼の人間らしい姿にキャロルがほっとしたのも間違いない。
キャロルはその姿を思い出して不思議な気分に陥りながら、家の中でお茶の準備をしていた。それしかすることがないからだ。
「ねえ、キャロルちゃん」
居間から台所を覗き、ティアレスが遠慮がちに声を掛けた。
「手伝おうか?」
ティアレスはチラチラと怒号の聞こえる方面に視線を向ける。恐らく居心地が悪いのだろう。キャロルだってそうだ。
銀髪の男はライリアルの師匠にあたる人らしく、ライリアルは先ほどから彼にずっと怒鳴られっぱなしなのだ。
怒られているのはライリアルがキャロルをこの家に置いていることが原因だ。
以前、ライリアルは言っていた。ここに一人でいるように言われている、と。
一人でいなければ以前のように感情で力をふるってしまうだろうからと、寂しそうにしていた。
そばにキャロルを置いていることで彼女の師匠は、悪さをした子どものように怒られている。
しかし、キャロルはいずれここを出ていくのだ。
そのことを伝えようと何度かライリアルは口を開こうとしているようだが、そのたびに口答えするなと厳しい声が飛んでいた。
キャロルとティアレスはそろってため息をつく。
騒動の始まりは、ティアレスが麓の村から遊びに来たことだった。
「こんにちは、キャロルちゃん。ライリアルさんも」
師弟が畑で何か作業をしていたところにキャロルが顔を出す。
「あ、ティアレスさん。お久しぶりですわね」
見た目はほぼ同い年のティアレスに対してもキャロルは丁寧な言葉遣いだった。
「もう、ティアでいいって言ってるのに」
朗らかに言う彼女は、キャロルの本当の年齢がずっと自分より年上であろうことを承知していた。
「やあ、ティアレスさん。何か用事かな?」
畑に何かの苗を植えていたライリアルがしゃがみ込んだままで、ティアレスに愛想良く訪ねた。
「ええ、フォーレシアさんがキャロルちゃんも呼んでって言うので……。植えてるのは何か新しい薬草ですか?」
キャロルはその苗が、家で植えている薬草と似ている事に気づいて持ち前の好奇心を発揮する。
「種から苗まで育てる際にちょっと魔法をかけてみた物だよ。ちょっとした実験ってところかな」
ライリアルは手についた土を簡単に払い、立ち上がった。
「これで今日の作業はおしまいっと。キャロル、ティアレスさんと行っておいで」
「え……ですけど……」
キャロルはライリアルの言葉に戸惑う。本当はこの後に別の授業をライリアルから受ける予定だったのだ。
「フォーレシアさんが呼んでるみたいだし、彼女は私より前の世代の人だ。どんな話でも勉強になると思うよ」
柔らかなライリアルの声に、キャロルが考え答えを出す前に、割り込んできた声がある。
「ずいぶんと、人と仲良くやってんじゃねぇか」
呆れたような鋭い声にライリアルは反射的に反応して、表情を凍り付かせた。
ティアレスの背後を見たまま大きく目を見開いている。
キャロルもティアレスもそろって同じ方向を向いて目を丸くした。
キャロルにとってもティアレスにとっても見知らぬ男だ。銀髪の髪で、口元は笑っているが藍の目は笑っていない。その瞳はライリアルを明らかに非難していた。
「どういうつもりだ? なあ、ライルよ」
問われたライリアルは動揺したように身体を揺らす。一歩二歩後ずさり、ため息をつくようにライリアルはその人を師匠、と呼んだ。
それから何分経ったかキャロルはわからない。恐らくティアレスもわかっていない。
二人してこのまま出かけるわけにもいかず、お茶をして時間をつぶしているわけだがなかなかに居心地が悪い。
いつになったらこの大声は止むのだろうか。それぞれカップを手にして向かい合って座っているが会話できる雰囲気ではない。
「それにしても……何でライリアルさん怒られているの?」
ティアレスの疑問はもっともだが、キャロルはどう答えていいかわからなかった。
だから沈黙する。
「ライリアル様のお師匠様は怖い方だったのですね……」
「ほんと、怖いよね。それに強そうじゃない」
ティアレスの言葉にキャロルは頷く。彼の藍の瞳は厳しく、強い意志を持っているとすぐにわかった。
「魔力も何か普通の魔法使いと違う感じがするわ」
「そうなんですの?」
「そうそう。何ていうのかしら。ちょっと違和感として感じたの。目には見えないけど握りしめた拳に魔力が集まってる……それがおかしいというか……」
ティアレスは自分の感じたことを言葉にできずにもどかしそうだ。
「例えば私が魔法使う時とは違うのですよね」
「そう。そうなんだけど……」
ライリアルは1000年前から生きている魔法使いだ。その師匠ともなればその倍は生きていても不思議ではない。
「フォーレシア様とはまた違うのでしょうか」
フォーレシアはどれだけ昔かわからないが、この大陸に魔法使いがやって来た時の世代の魔法使いである。古い魔法使いという点ではライリアルの師と共通点があるのではないかキャロルは思った。
「フォーレシアさんも確かに魔力の感じ違うかな。すごくふわっとした感じ。あのライリアルさんのお師匠さんは何か重くジワジワ周りへ広がりそう」
ティアレスの回答はやはりフォーレシアとライリアルの師も普通の魔法使いとは魔力が違うというものだった。
二人して話していて気づいたが、いつの間にか怒号は止んでいた。
「あ、お説教終わったみたいね」
「では私はお二人の分もお茶を用意して来ますわ」
キャロルは一旦席を立ち、台所に引っ込む。ティアレスはそわそわと居間に残った。
少し経つとライリアルが不機嫌な表情のままの銀髪の男を連れて居間へとやってきた。
「ティアレスさん。キャロルは?」
「キャロルちゃんはお二人のお茶を淹れに」
ライリアルのそっとした問いかけにティアレスは答える。
「おい、ライル。そいつは?」
不機嫌そうな男の問いにライリアルは硬い表情で振り返った。
「麓の村人でキャロルの友達…です…」
「へぇ…あの村のねぇ…」
男の目がジロジロとティアレスを品定めするように見ている。
居心地が悪く、ティアレスが身を揺らした時にキャロルが戻ってきた。
「先ほどは挨拶もせず失礼しました。私はキャロルと申しますわ。ライリアル様に師事しております」
丁寧な挨拶に、流石の男もやや表情を変えてライリアルを振り返る。
「あれはお前の仕込みか?」
「いえ、素です」
「そうか。俺はジョシュア・リトカ・アロガンス」
ジョシュアは名乗り、どかっと音を立てて椅子に座った。そこへキャロルがお茶を出す。
「酒はないのか?」
ジョシュアの注文にキャロルが答える前にライリアルが素早く口を挟んだ。
「師匠。私は師匠に酒は厳禁だと言われていましたから」
酒がない理由をライリアルがそっと伝えると、ジョシュアは舌打ちをしてカップに手を伸ばした。
「それで、ライルよぉ。本当なんだろうな。お前の弟子をいずれ旅に出すってのは」
ティアレスが驚いてキャロルを見て、ライリアルに視線を向けた。
当のキャロルは真剣な表情で、自分の師の言葉を待っている。
「今すぐには無理です。彼女にはこの国についても、魔獣の事も知らない。最低限この国内で生きていけるレベルまで知識と実技を覚えたら旅に出てもらいます。彼女には……記憶がないのですから」
「お前が一人になるつもりなら別にいいんだぜ? お前がきちんとわかってて安心したぜ」
ティアレスが視線でキャロルに問いかけたが、彼女は首を振ってみせるだけだった。
「さて、ライリアル様。私はティアレスさんと行って参ります」
「ああ、そうだったな」
一時はどうなることかと思ったジョシュアとの遭遇だったが、これ以上ライリアルが怒られることはないだろう。そうティアレスとキャロルは判断して席を立ったのだが、非常に間の悪いことに、ここにもう一つ火種が飛び込んできた。
アーノルドの来訪である。
「よう、珍しく客が来てんじゃねぇか」
ライリアルはその声を聞いた瞬間、絶望的に天を仰いで目を手のひらで覆った。
よりによってこんな時にアーノルドが来るなんて最悪だった。
「何でこんな時に限ってお前は……」
隣にいる師匠の気配が物騒になっていくのを感じる。殴られるだけですめばいいが、どうだろうか。
「ライル……こいつはなんだ?」
低い淡々とした声が怒鳴り声より恐ろしい。ライリアルは引きつった表情でジョシュアに答える。声が引きつってしまったのは仕方のないことだ。
「そいつは……アーノルド。私が強いからって挑戦しに来てる人……。追っ払ってもまたすぐ来るんだ」
震える声で、師匠を刺激しないようにライリアルが伝えると、ジョシュアは低く笑い声を漏らした。
「へぇ……で、しつこくて困ってると?」
「正直言うと戦うのが面倒くさい」
「面倒か。それは何より」
ジョシュアの口元に笑みが浮かぶ。この人がこんな表情を浮かべた時はたいていロクなことにはならない。しかし今回犠牲になるのは自分でなくてアーノルドだ。
せっかく椅子に腰を落ち着けたジョシュアが椅子を蹴倒し、立ち上がる。
「そこの招かれざる客! 俺が相手してやる。表へ出ろ!」
アーノルドを指差し言い放ったジョシュアにライリアルはがっくりと肩を落とした。
やはりロクなことにはならない。
ジョシュアの鉄拳は魔力の強さで勝るライリアルでさえ、喰らうと回復に異様な時間がかかる。普通ならば自身の魔力であっという間に治るというのに。
とはいえ、ここで止めると確実に犠牲者はライリアルとなる。
「アーノルド。師匠は私と違ってきっちり相手してくれるだろうから、そのつもりで」
ほんの少しだけアーノルドに同情しながら、ライリアルも席を立った。
何も言われなければせめて立ち会って、家の周囲の被害を押さえておきたかったのだ。
「ライル。お前は邪魔だからどっか行ってろ」
しかしそれはあっさりジョシュアによって阻まれた。
ジョシュアの言葉にライリアルはため息をつきながらも頷く。反論する気など起きなかった。
「さて、ティアレスさん。麓には私もついていっていいだろうか。しばらく師匠は取り込み中になるしね」
ハラハラとアーノルドとジョシュアに視線をやっていた少女二人に声を掛ける。アーノルドには悪いがジョシュアに酷い目に合わされるといいんだ。ちょっぴりだけ同情はしたがライリアルの本音はそんなところだった。
ジョシュアは勝てば、アーノルドにここに二度と来ないように言い渡すだろうし、アーノルドが不服でも屈服させるだけの力がある。ライリアルでさえ、抗うことが出来ない相手に干渉する魔法をジョシュアは使える。
そうなるとしばらく寂しくなるな、とライリアルはジョシュアに悟られぬように考えた。そう思うことだけは許されるだろう。
ジョシュアが勝つと疑っていないライリアルは、少女二人を連れて家を後にした。




