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マイズ山のものぐさ賢者  作者: 流堂志良
第二章 悪魔の契約
15/43

告白

 夕方にはアーノルドとレイムが帰り、再び家の中は三人だけとなった。

 キャロルは夕食後は部屋で自習をするつもりだったが、夕食の片づけが終わった師に呼ばれてしまう。

「ライリアル様、何でしょうか?」

 ライリアルの自室は相変わらず本が多い。多少片づけたのだろうが、床の上にまで本が積まれており、キャロルは眉をひそめた。

 唯一本が乗っていないのは今ライリアルが何かを広げている机の上ぐらいなものだ。

「ああ、昼間レイムとの話で疑問に思ったことがあるだろう? そのことでお勉強だ」

 ライリアルはキャロルを手招きして、机の上に広げた物を見せた。

 それは古びた地図だった。うかつに触れてはいけない気がして、キャロルはこわごわそれを見つめる。

「ライリアル様……これは……」

「この国の地図だ。昔、王とともに測量したときのものだ。この線が国境にあたる」

 ライリアルの指が変色しかけた紙の中空をなぞる。

 キャロルはその地図の南側の国境が点線で書き込まれ、隣国との間に大きな空白があることに気づいた。

 これが昼間言っていた闇の竜の領域なのだろうか。

「そしてこの南側は付近にも立ち入ることはできなかった。夜になると悪魔が出て襲ってくるんだそうだ。だからこの領域の近辺には住むこともできない」

 空白地帯を中心にライリアルの指が円を描く。

「悪魔の正体が闇の竜で、ここが闇の竜の領域なら仕方ないことかもしれないな。私も遠目でしか見たことがないが、闇がこの辺りを覆っていたよ」

「そうなんですの……。ライリアル様、この説明とは関係ないのですが質問が一つありますわ」

「なんだいキャロル」

 緊張したように言葉を紡ぐキャロルに、ライリアルは質問の先を促した。

「マイズ村はこの地図だとどの辺りになるんですの?」

「ああ、マイズ村はこの辺りだ」

 キャロルの疑問にライリアルは地図の一部、国の南西部の一点を指して言った。

「ちなみに王都はこのあたり」

 地図上で指を滑らせ、ライリアルは北東側の一点を指す。

「今度機会があったら地図の読み方も教えないとな。まだ字も完璧ではないし」

 ライリアルが無意識のうちにキャロルへの指導についてを口に出す。

「あの、ライリアル様……。ライリアル様はこれから私をどうするつもりなんですの?」

 キャロルはずっと気になっていたことをライリアルに問う。

 ライリアルの言葉だと、どうもキャロルはいずれここを、マイズ村からも離れることが前提のように聞こえたのだ。

「キャロルには最低限の魔法と、地図の読み方ぐらいを教えてたら国内を旅してもらおうと思っている」

「私がずっとここにいてはいけないんですの?」

 キャロルが意外そうに訪ねてくるのを見て、ライリアルは小さく微笑む。

 その表情がどこか寂しそうに見えて、キャロルは胸が痛むような気さえした。

「私はここに一人でいなければいけないんだ。私の師匠からはそう言われている」

「ローレンスさんも……旅立たせるんですの? せっかく会えた弟さんでしょうに……」

 表情を曇らせたキャロルに、ライリアルも思案顔で頷く。

「ローレンスは……そうだな。弟なら師匠も許してくれるかもしれない。最悪、マイズ村に住んでもらえればいいだろう。レイムも近くの方が闇の竜の動向を知れていいだろうし」

 このままいずれは家で孤独に過ごすつもりの師に、キャロルは大きく息を呑み、もう一つ聞いた。

「アーノルド様に冷たくされるのも……そのせいですの?」

「私の力は強すぎる。誰かがそばにいるより誰もいない方が巻き込まずにすむ。あいつがどういうつもりでここに来るのかは知らないが、踏み込ませるわけにはいかないのだ」

 ライリアルはもう一度地図に視線を向ける。王都の位置をなぞりキャロルに視線を戻した。

「近いうちに王都へ行く用事がある。キャロルにはその時についてきてもらいたい」

 キャロルはライリアルの瞳が珍しく揺れているのを感じた。

 師が何を思っているか、キャロルにはわからない。

「強すぎることがどういう意味を持つのか、キャロルには一度見てほしい。キャロルもこの時代では強い魔法使いに入るだろうからな」

「ライリアル様……?」

「強すぎる力は疎まれることもある。キャロルも行けばわかるさ」

 ライリアルは授業は終わりだとばかりに地図を閉じる。

 今の師にはこれ以上キャロルに語るべきことはないようだ。

 キャロルはライリアルに頭を下げて部屋に戻った。




 ライリアルは夜が更けても眠りにつこうとはしなかった。

 キャロルへの授業でキャロルの記憶を失った故の無知さがまぶしく感じた。

 キャロルは天使に利用されていた通り、力は強い。

 しかし今は制御の仕方も強すぎる魔法使いがこの国でどう見られているのか知らないのだ。

 閉じたこの山での隠遁生活よりも、世界を旅した方が世間を知らないよりはいいだろうと思う。

 それがキャロルを家にはずっと置いてはいかないという一つの理由だった。

 もう一つはキャロルに伝えたとおりだ。ライリアルは自分の師匠に一人でここで過ごすようにと厳命していた。

 幾度か師匠の言いつけを破り、人と親しくしたこともあるがそれはいいことでは確かになかった。

 誰かを自分の懐まで踏み入れさせても、いつまでもそばにいてくれるわけではない。

 失ったときの反動、それが理不尽であればあるほど自分も周りも傷つける。

 キャロルも世界を旅すれば経験するだろう。

 それが彼女にとっていいことか、わるいことかはわからないのだ。

 ため息をついたとき、ドアが控えめにノックされた。

「兄さん……いる?」

 小さな声がライリアルを呼んだ。

「ああ。ここにいる」

 声をかければてっきり入って来るものだと思ったが、ローレンスはドアを開けない。

 不思議に思いながらもドアを開けてやると、そこには固い表情の弟が立っていた。

「どうした?」

 ライリアルとよく似た、でも違う紫の瞳が悲壮な決意に揺れている。

「……話があるんだ。僕がクロムを召喚した夜について」

「ここではだめなのか?」

 ローレンスが自分からは部屋に入ってこなかった理由を察してライリアルがあえて訊ねた。

「外で話したい」

 ローレンスが頷いてつぶやいた言葉に従い、ライリアルは共に家の外に出た。

 気持ちのいい夜風が肌を撫でて通り過ぎていく。

 家からほんの少し離れた木々の合間で二人は向かい合った。

「それで話は?」

 ややうつむき、唇を引き結んだまま一言も話さない弟にライリアルは声をかける。

 いつの間にかローレンスのすぐそばにはクロムが現れていた。

「……兄さん。僕はクロムを召喚したことで罪を犯した」

 突然の告白にライリアルは戸惑う。

「昼に、クロムには記憶がないって言ったよね。クロムには他にもいろいろ欠けてるんだ。僕の召喚が間違っていたのかも知れない」

 ローレンスがライリアルを見上げた。星明かりだけでもわかるぐらい、ローレンスの表情は悲しみに満ちている。

「クロムには善悪の区別も、判断力も何もなかった。僕が頼んだことを何も考えずに叶えようとしてしまう。僕は召喚したクロムを悪魔だと思っていたから、願いを言った。自由になりたいって……」

 一息にローレンスが喋り、どんどん声がうわずっていく。

 表情も見る見るうちに泣き出しそうな顔になっていった。

「……クロムは何も考えずに僕を自由にしようとした。僕が縛られる村を……」

 ローレンスが最後の一言を告げる前に大きく喉を鳴らす。

 ライリアルはローレンスが言うであろう言葉を何となく予測していた。

「……村を消滅……させて……」

 震える声が罪を告白して、ローレンスは両手で顔を覆った。

「ごめんなさい……兄さん……あの村はもう、ないんだ……僕が……僕が殺したんだ……!」

 悔恨に呻く声が手の間からすすり泣くように響く。

 ローレンスが告げる直前に予想はしていたが、ライリアルにはやはり衝撃が強かった。

「だから……僕はずっと兄さんを捜してたんだ……。僕の罪を裁いてもらうために……」

 兄に追いつくために悪魔と契約したローレンスは、莫大な力と共に長い寿命も手に入れてしまった。

 よほど力のある魔法使いでないと、ローレンスに傷一つ負わせることはできないだろう。

「……兄さんには僕を裁く権利がある」

 ローレンスの言葉にライリアルは動けない。

「村を捨てた私に……今さら……」

 自分に何の権利もありはしないとライリアルは首を振る。

「兄さんにしかできないことなんだ。クロムは善悪の判断もなしに僕の願いを叶えてしまう……僕はいつかこの先同じ過ちを犯してしまうかもしれない……だからその前に僕を……僕を殺して……」

 覆っていた両手から顔を上げて、ローレンスは兄を見つめる。悲壮な覚悟を決めて彼がここにいることはライリアルにもよくわかった。

「兄さんにしかできないことなんだ……」

 そうすることでしかもう安らぎはないとローレンスは堅く信じている。

「本当に……いいんだな?」

 ライリアルは弟を失うことに抵抗はあったが、心のどこかで仕方ないとさえ思っていた。

 自分も叶うことならば、長い生から解放されたいと願っているのだから。

 ライリアルが村を捨てたことで、結果的に村が消滅した。

 弟はそれを自分の罪だと思っている。ライリアルはローレンスの罪ではなく、自分の罪であると思った。

 苦しむ弟を解放してやることが兄としてできるせめてものことだ。

彼にはもう頼るべき存在も、彼を必要とする存在もいない。ライリアルには己の師匠の言いつけもあり弟を必要とすることはできない。

「うん……」

 ローレンスが安堵したように頷くのがわかった。

 ライリアルはゆっくり手を挙げる。魔力の光が手の中に生まれた。

 ローレンスは微笑んで目を閉じる。クロムはそれをただじっと感情の浮かばない瞳で見ていた。

 契約者が死ぬと、契約した竜であるクロムも死ぬ。そのことを知らぬのかどうなのか、クロムは何もせずに控えている。

「さよなら……クロム……」

 ローレンスが呟いたのと、ライリアルが挙げた手を振り降ろし、力を放ったのとほとんど同時だった。

 クロムが何もせずに見ていたのはそこまでだ。次の瞬間にはライリアルとローレンスの間に割り込み、ライリアルの力を自分の身体で受け止めていた。

「クロム!?」

 驚いたのはライリアルも同じだが、ローレンスの驚きは兄を上回る。

 忠実にローレンスの望みを叶えてきたクロムが、初めて望みに反することをしたのだ。

「主を損なうのならば、俺が相手だ」

 ライリアルの力を受けても、クロムの身体には表面上何ともないように思える。

 それでも、ダメージは受けたのだろう。ふらつく足下を支えてクロムは契約者の兄と対峙した。

「クロム……何で……?」

「……わからない。だが主を損なうことを俺は拒否する。言えるのはそれだけだ」

 クロムはローレンスを背に庇い、ライリアルに向かって構える。

 ライリアルはそれに対してどこか切なそうに微笑んだ。

「お前がローレンスを必要としているのなら、私は何もしないよ」

「兄さん!」

「君に縋るものが何もなければ、安らぎは死しかなかっただろうね。でも君には君を必要とする者がいるじゃないか」

 ライリアルの言葉にローレンスは首を振る。

「でも僕は……罪を……」

「ローレンス。そもそも私に君の罪を裁く権利はないんだよ」

 ライリアルがローレンスに背を向けて天を仰ぐ。瞬く星々が枝の合間から見えた。

「私は村を出て、旅の途中で知り合った人を魔法使い狩りで失った。見せしめに死体は磔にされていてね」

 ライリアルの声が静かな中に響く。ローレンスは息を呑んだ。

「それを見た私は、感情に任せて力を振るってしまった。その結果町一つ消し飛ばした」

 淡々と語っているが、ライリアルは自分が感情を乱さぬようにと気を遣って話している。

「だから私はずっと一人で生きてきた。今までも、これからも。私には君を裁く権利などないんだ。それに君を守ろうとする竜と戦ってまで君を殺すことはやはりできない」

「兄さん……」

「クロムは自分の意志で、判断で君を守るために動いた。これから先も彼はそうするだろう。そんな彼のためにもローレンスは生きるべきだ」

 善悪の判断もできないとローレンスに言われていたクロム。その彼が初めて自分の意志で行動した。これから先、クロムは欠けていた物が内で育っていくだろう。

 そしていずれ、クロムが自分の犯した罪について理解するときもあるだろう。その時にはローレンスが支えになればいい。

「この話はこれで終わりだ」

 ライリアルは最後まで弟を振り向かずに歩いていく。ローレンスがすすり泣く声が木々の合間に響いたが、ライリアルは声さえかけずに歩き去った。




 翌朝、食事の席でローレンスはライリアルに旅を続けると告げた。

「クロムと旅を続けてみるよ。その上で僕がこれからどうするのか考えてみる」

 その席にはクロムもいたが、昨日キャロルが見たときとは印象が異なっていた。

 不気味な作り物のような雰囲気は幾分薄れている。昨日は食事すら取った様子はなかったのに、今朝はローレンスの隣で黙々とスープをすくっていた。

 そして、これからのことを話すローレンスも暗い雰囲気が少しなくなっているように思える。

 昨晩、何かが起きたのだろうとは思う。だけどライリアルは何も言わない。

 言わないけれど、旅立つ弟に対して師はうらやましそうに見えた。

 これから先、キャロルも旅に出るのだとしたら、ライリアルはまた一人でこの家で暮らしていくのだろう。

 ライリアルにとってそれは寂しいことだろうが、どう解決したらいいかをキャロルは知らなかった。



「ライリアル様、本当に出発させてよかったんですの?」

 朝食後、クロムとローレンスの旅立ちを見送った後で、キャロルは師に聞いてみる。

「いいんだよ。ローレンスには心強い相棒がいるからな」

 キャロルは出発した二人よりも、残されたライリアルを心配したのだが、ライリアルは笑っていた。

「私はずっと一人で生きていくんだ。だからキャロルが心配するようなことではないよ」

 いつか自分をこうしてライリアルが見送る日が来るのだろうか。その日が来た時にキャロルは笑って師に別れを告げられるだろうか。彼女の胸には不安が渦巻いていた。

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