七十九話:薄明世界3
シオンは鏡を手にする。
そして迫る火炎放射を避けもせず鏡で受けた。
瞬間、鏡から同じ軌道を反射して、火炎放射がホオリに返る。
「何!?」
互角の勢いの炎。
熱は高まるが、六台から降りられないだけで吹きさらしの場所。
その熱も諸共に返されているため、シオンは内側から熱に焼かれ死ぬこともない。
「くそ!」
ホオリは自ら炎を消して、反射する炎が迫る。
けれど本性が炎である残り火は、意に介さず受けた。
そうして無意味だが攻撃が返されたことにホオリは少なからず驚く。
だからこそ、炎の向こうから光が貫く瞬間、反応が遅れた。
「あぁ…………くそ」
胸を穿ったのは、クロウの光の槍。
散っていく炎の向こうでは、シオンが擲った姿勢から体を戻していた。
ホオリは尻餅をつくように座り込む。
「あーあ…………。そうか、カガヤの呪いを跳ね返していたのか、あれは」
ホオリの口からは、諦めの滲む声と血が漏れた。
カガヤと初めて会った時、シオンが呪われる瞬間をホオリも見ていたのだ。
魔王はシオンの近くへ降りると、胸に穴をあけたホオリを見る。
「残り火は人を乗っ取り、融合する。火を噴き出す人外となっても、首を切り心臓を潰せば人と同じく死ぬ。厄介なのは、周囲の者へと取り憑き逃げることだった」
「はは、それも、限定シオン一人じゃ無理だ」
「ずいぶんと、諦めが早いな?」
シオンが疑問に思うのは、讐の士として残り火を鬼女と共に追った記憶があるからだ。
巧妙に隠れ、暗躍し、生き汚いとさえ思えるしぶとさで鬼女と讐の士から逃げ回った。
シオンが顕現を消すと、ホオリの胸にはぽっかりと穴が開いた。
「巫女はそもそも、地上の人間がこの世界の人間の体にとり憑いた状態だ。そこにさらに潜り込む隙なんてない」
「それで言うと、何故私はこの体にいるのだろう?」
シオンのかつての名、ギイチは、残り火が取りつけないという鬼女の体にいる。
今もとり憑いているような状態のはずだった。
そして本来の持ち主は体の外に出ている。
「お前が死なないように、しっかりと体に縛り付けたからだろうな。寝かせている間に魂だけ抜けて行っては、体を返すこともできない」
「初めて聞いた。返すつもりがあったのか」
「ふん、結果的には返す当てもなくなったがな。だいたい、何を言っても特に拒否するつもりもなかっただろう?」
「そうだな」
シオンが淡々と肯定すると、いっそ魔王のほうが不満そうに眉を顰めた。
ギイチとして情緒や思考力がなかった。
それが、生きる中で真似ることを覚えた。
だから讐の士として鬼女を真似ていた時には、復讐さえ果たせればなんでもいいという思考であり、復讐のためと言えば、何も拒否などしない。
魔王はそうと知っているからこそ、少しの負い目がある。
「そもそも、復讐心を写せと言われて写した時点で、私は友の望みに応えようという気はあったように思う」
「友、ねぇ…………。鬼女がなんで気に入ったんだか」
ホオリは血を吐きながら嘲弄するように聞いた。
そんな姿に、シオンは歩み寄り膝をつく。
「私は、ホオリのことも友だと思っている」
拒否するように睨むホオリに、シオンは気にした様子もなく続けた。
「きっと、この世界のためにメイが死ぬことはないと言ってくれるのは、ホオリくらいだと思うから」
「…………無理だな」
言えないから無理だとは言っても、考えもしないとは言わない。
悪性を鎮めるためだけの巫女であるメイは、ホオリにとってこの世界で憎む必要のない異分子。
本来の勝者の末裔である者であり、魔王と違い敵対もしておらず、ただ慈しんでも良い存在だった。
それでも、考えても、ホオリはメイに死ぬなとは言えない。
「呪いが強くなりすぎた。鬼女は悪性に覆われてるが、その根本は人身御供にされた巫女たちの懸命。浄化の炎では焼き尽くせない」
純粋な呪いではない鬼女を祓うには、救世の巫女に頼るしかなかった。
そして巫女が生贄と知っていて、ホオリはメイを勇者に引き合わせている。
「メイに死んでほしかった?」
「…………そうだ」
「考えなければ答えが出ないくらいには、死んでほしくなかったと解釈させてもらおう」
「勝手なことを」
ホオリは憎々しげに言うが、喉にせり上がる血によって言葉が続かない。
ただ、燃える手をシオンの首に向けた。
それを、魔王が透けた手で鬼道を使って払う。
「ギイチ、何故避けない? 心中させる気か」
「ホオリはそれを望むのか?」
魔王が叱るように聞けば、シオンは心底不思議そうに聞く。
ただの悪あがき、嫌がらせ、八つ当たり。
その自覚があるからこそ、ホオリは受け入れそうな気配のあるシオンにやる気なくした。
手を引くと、体の後ろについて、力を抜く。
「なるほど、確かにこれは誠の士で、讐の士だ。誰が何を言おうと、どんな状況だろうと、騒がない、揺らがない。…………鉄壁の信念でもあるのかと思えば、まさかひたすら猿真似とは」
「そうだな。私はきっと今後も猿真似を続けるのだろう」
シオンが肯定すると、ホオリは顔を歪めた。
ホオリもまた、死んだ巨人の猿真似である自覚がある。
「だが、本物の真似だ。巫女や勇者のように世界は救えずとも、誰かの助けになって勇気を与えることはできる」
「そうして生きるのは、メイの願いだからか?」
「そう、まずは海を見行こうと思う。そして、何処かで団子を食べたいな」
「…………一人でか?」
もう息を切らせるばかりのホオリは、メイと共にいたことをわかっているからこそ聞く。
その上でシオンへと最後の言葉を向けた。
「俺が死んで終わりじゃないぞ。この世界はそもそも屑籠。やり直さなければ降り積もって押し隠した問題がいくつも、出てくる」
「そう、だったら…………メイが救ったこの世界を、できるだけ存続させられるようやってみよう。守る者も、やり直す者もいないのなら、続けられるように」
守る魔王も、やり直しを試みる残り火も、もういなくなる。
「は、なんだ。魔王はこのまま体を共有するつもりはないのか?」
「ふん、魂二つなどというおかしな状態では、さすがに体がもたん。何より私は飽いた。生きると言うならギイチにくれてやる。千年も体を借り受けて、返せなかった。好きに使え」
飽いたのは、何に対してかを言わない魔王。
だが、燃える国を見ても魔王の目にはなんの感慨も浮かばない。
そしてホオリは、そんな魔王から目を逸らすように上を見上げた。
「はぁ、予言とシオンを利用しようとして、俺自身の終わりも予言されていたなら、もうどうしようもないな。…………あぁ、俺も飽いたよ、さすがに」
言った途端、ホオリは振り返る魔王と睨み合う。
そこには確かな敵意がまだある。
それでもホオリの体は限界だった。
体を起こしていられず背中から倒れる。
途端に、開いた胸の穴から流れた血だまりが跳ねた。
「…………シオン、生きるなら覚えておけ。メイの生み出した、あの光が鬼女を祓えるなら、海の底の呪いも、あの光に当たれば浄化される」
「海の底の呪いを消せるのか?」
「さぁな。どれだけかかるか、わかったもんじゃない。それに、あの光が、恒久的に続くとも限らない」
嘲笑うようなホオリは一度口を閉じる。
すでに呼吸に異音が混じっていた。
それでもホオリは皮肉げに笑って見せる。
「少なくとも、シオンが生きてる限りは、メイはこの世界を見捨てないだろ」
「ありがとう、ホオリ」
ホオリは何も答えず、一度大きく息をした。
そして、沈黙が落ちる。
シオンはその呼吸が、死を迎える者の最期の息だと知っていた。
ほどなく六台は穴を開く。
六台は音もなく、勇者ホオリの遺体を飲み込んでいった。
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