七十七話:薄明世界1
鬼女はこの世界に生まれた時、巫女だった。
しかし前世において、古くから伝わる鬼道を受け継ぐ者でもあった。
そして穴の底の世界のための生贄として、捕らえられた被害者でもある。
だからこそ巫女の役割を知った時に、殺されてなるかと逃亡し、巫女の役割を放棄した。
地上よりも強く使えるようになった鬼道で敵対者を殺し、その寿命を啜って生き延びる。
巫女が死ななければ次の巫女は現れない。
多くの者が、鬼女を殺そうと追った。
「お前も知ってのとおり、私は生き延び、五十年ほどして巫女であったことも忘れ去られた」
「代わりに新しい巫女が生まれてるはずだと、女の赤ん坊が親から攫われまくったがな」
魔王であった鬼女に、ホオリは皮肉げに当時の惨状を突きつける。
もちろん千年も暴政を敷いた魔王が、その程度のことで怯むことなどない。
「だが、そこで鬼女だろうが乱世を終わらせるために手を貸せと言う、馬鹿な将軍に捕まった。ずいぶんと戦果を挙げて、将軍を見送り、子が王となり、私は命婦になり…………」
思いはせる鬼女は、突如眦を裂いてホオリを睨んだ。
「貴様が全てを燃やした。あの時代に並ぶ者なき善性をもって生きた我が君を!」
「乱世で数減らしてくれたほうがこっちも駆除が楽だからな。だが、今思えばあれは悪手だった。お陰で恨み深い鬼女に千年も邪魔され続けた」
「何を終わった気でいるのだ」
魔王は傲然と言えば、ホオリは光の柱を睨んで憮然とする。
「私は我が君と共に城が燃え尽きた時から、復讐に全てを奉げた。愚かな害虫も雑草もどうでもいい。貴様が悪性の者どもの中に紛れて逃げるのであれば、悪性を薄めるためにどれほどでも時をかけよう」
「は、それで復讐までつきあわせた友を殺して、体を乗っ取って? 自分の死さえ利用して俺をあぶりだしたか」
ホオリが罪を突きつけるように言うが、魔王は嘲笑した。
ただすぐさま、その表情は静かに落ち着きを取り戻し、シオンとなる。
そして自らの胸に手を当てて、ホオリを見据えた。
「ホオリ、それは思い違いだ。魔王は友を殺してなどいない。乗っとりではなく、入れ替え。私はここに、生きている」
シオンの言葉にホオリはゆっくりと目を瞠る。
その間に、シオンの体から半透明の同じ顔が現れた。
足元の透けたその姿は、幽霊と呼ばれる者。
「ふむ、結界の中は異界も同じ。どうやら意志を強く持てば肉体がなくともいいようだ」
そしてその語り口と表情は魔王のもの。
驚く様子のシオンを見下ろし、魔王は笑った。
「誰もがお前を誤解する。だが、貴様に本気での復讐心などない。本来何も感じず何も考えず何にも心動かさない。それがお前だ。…………なぁ、ギイチ」
「ギイチ!? 誠の士だと? それが讐の士? 人が違いすぎるだろ!」
ホオリは残り火として長く存在しているからこそ、伝説となった誠の士も、讐の士も知っている。
知っているからこそ、今のシオンの様子も含めて、あまりの人の違いに目を剥いた。
その驚きに魔王はため息交じりに教える。
「当たり前だ。そのように振る舞うために写した相手が違う、感情が違う。ギイチは相対した者の性状や能力を写し取る。鏡の顕現を持つ、人間のなりそこないだ」
シオンは否定せず、手を出すとそこに顕現が生じた。
現れたのは真円の鏡。
歪みなく、曇りなく、何も写さない鏡があった。
「将軍はギイチに望んだ。乱世を終わらせるために、自らの良心や誠実さは判断を鈍らせる。だからどうか、ギイチが写し取って捨てた後も忘れないよう示してくれと」
「私はそのとおりにした」
語る魔王にシオンは感情のない声で応じる。
「我が君は誠の士と呼ばれることになったギイチに、自らを教え導く師になるよう求め、自らの理想の道のりを語った」
「私はそのとおりにした」
「我が君の死に、私は一人で抱えきれないこの復讐心を、ギイチにも負わせて己の剣となることを求めた」
「私はそのとおりにした」
よどみなく答える言葉に、魔王は苦笑した。
「ギイチには、自ら判断するための目的意識が欠如している。ただ写し取ることで、人間らしく振る舞うことができていた。悪性が強すぎた時代にたまにいたひともどきだ」
蛮人、野人などと言われ、社会にも文明にも適合できない者。
そんな者たちの中で、ギイチであったシオンは写し取ることで人のふりができた。
魔王はシオンを実体のない手で撫でる。
「ところがどうだ? 妙な顕現で記憶がないと言うのには驚かされたが、そこに宿る刃には、我らかつて関わった者たちの心の形が残っていた。刻むほどに、残すほどに、人間性が芽生えたのかとあの時には驚いたぞ」
「受け入れる、ことを知ったのはたぶん、メイを写した時だ。あの子は素直で、柔軟だった。だから私は、メイが生きてほしいと願うなら、生きよう」
シオンは静かにホオリを見る。
未だに驚きに目を見開いていた。
讐の士としての印象が強すぎるのだ。
復讐のために鏖を厭わなかった讐の士。
それこそ魔王の所業よりも、もっと直截的に殺して血を流すことだけに特化した存在。
男の姿であったことと、今の少女の姿との差異もあるだろう。
それでも、ホオリも事態を無理やり飲み込む。
「まったく、魔王への対抗手段があったと喜んだのに、とんだ隠し玉だ」
憎々しげにつぶやくホオリに、シオンは親しげに微笑んだ。
「私は、魔王の捨てられない理想と共に眠れと言われた。それを起こしたのだ。陰気な顔をして疲れ切っていた魔王には、気つけになったかもしれないな」
「自分の顔だろう? ギイチ」
「案外自分の顔など忘れる」
「それもそうだ」
お互いに体を入れ替え、客観的に見た自身の顔がわからなかった者同士。
その間にホオリは心を落ち着け、シオンに刀を向ける。
顕現である刀を見据えて、シオンは首を傾げた。
「一度自身の顕現が形を変えた。それ故に改めて顕現について考えたんだが。以前はこんな力はなかったはずだな?」
「当たり前だ。悪性が多い中で自らの心の形を晒しても悪用されるだけ。大方、そこの残り火がとり憑きやすい者を物色するために、鬼女への対抗手段だとでも嘯いて広めたのだろう。元は、殺される巫女が後続の巫女たちに、人々の悪性を一目で判じられるようにと、心の形を顕現させる術だったというのに」
魔王が現れる前には、武器としては使われず、ただ生贄にされる巫女たちがせめてもの抵抗にと人々の心根を可視化させるだけのものだった。
悪性の強かったこの世界の住人は、脅し甚振り巫女が自ら死を望むように追い詰める。
その上で、利益があるように力を使わせていた。
ただそれも今は昔の話であり、魔王となった巫女が因習を終わらせている。
「ホオリ、これも勘違いしているかもしれないから言っておく」
答えないホオリに、シオンはごく真面目に語った。
「私は虚ろだ。虚ろだった。だからこそなんでも写す。そしてそれを身の内に保存した。だが、偽りのものなど残らない。本物でなければ私の中には残らなかった」
そう言って、シオンは顕現の鏡に視線を落とす。
手から浮いた鏡に合わせて、シオンは両手を握るように動かした。
瞬間、そこに炎が散る。
「それは…………」
言葉を失くすホオリに、魔王が教えた。
「言ったはずだ。これはひともどき。本来できないなどと腑抜けたことを言うな。それができるからこそ、ギイチだ」
顕現は心の形。
個人の人格や性質を表すもの。
他人であればどれだけ真似ようとしても、真似ることなどできず、本人が変えようとしたところで変えられない。
けれど、シオンの手にはホオリの火を纏う刀と同じものが握られていた。
まるで、鏡で写し取ったかのように。
「本物しか、心からの思いしか、写しても残らない。だから、巫女と勇者たちの献身は心からの本物だ」
シオンが七支刀の顕現に表したのは、本物と認めた者たちの顕現。
「勇者ホオリは違う」
否定するのはホオリ本人。
だが、シオンが出会ったのは勇者ホオリではない。
残り火に乗っ取られたその後の、今のホオリだ。
シオンは静かに、首を横に振る。
「違わない。その望みの先が違っていたとしても、ホオリは常に、本気だった。本気で戦い、本気で生かし、本気でその身を危険にさらした。本物の志を持っている」
淡々と語るシオンに、ホオリは語らせまいと強く息を吐いて斬りかかった。
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