七十六話:生贄の巫女4
シオンの記憶は目覚めた時から始まる。
目覚めさせたホオリは知っていた。
少女の姿のまま、古い衣装に身を包んで眠るのが、鬼女であると。
そして、起こしたことにはもちろん理由と狙いがあった。
ホオリは答えないシオンにさらに突きつける。
「鬼女は乱世の中、姿を消した。そして現れたのが、鬼道を使う讐の士だった魔王だ。だから一部は勘違いしたようだ。讐の士が鬼女を殺して鬼道を奪ったと。実際は逆なのにな」
「何故、ホオリは知っている?」
否定しないシオンに、ホオリは今までにない皮肉な笑みを浮かべた。
「やっぱり、寝てる間の記憶はないか。実質、俺が起こしてからのシオンの記憶と、眠る前の記憶くらいか。…………魔王本人から聞いたからだ。乱世を広げて人間を減らそうとしていた俺を討ちとる間際だった。話せば中身はそのまま鬼女じゃないか。だからその姿はどうしたと聞けば、戦乱を治めるには都合がいいからもらった、と」
歴史的事実から見れば、鬼女は消えて讐の士が残り、乱世を治めた。
そして残り火の野望を阻止するために覇道を築いて魔王となる。
だが実際には、鬼女こそが魔王であり、讐の士の肉体に鬼女が宿っていた。
歴史から消えたのは讐の士のほうなのだ。
そして鬼女の肉体は別に、眠らされていた。
それをホオリが見つけ出して起こした存在が、シオンだ。
「ずいぶん簡単に肉体の乗っ取りなどと口にする」
「それはもちろん、実績がある」
ホオリは自身を指して言った。
「そうか。では勇者ホオリは、いつから残り火になった?」
「最初から。この陸に足を踏み入れてすぐのことだ。最初から、こいつの顕現なら露見はしないと狙いをつけていた」
「だから、ジンダユウを避けていたのか。以前のホオリを知る者だから」
記述の抹消など魔王の国以外でも残り火は活動していた。
その中で、勇者たちのことも調べ済みであり、全ては邪魔な魔王を殺すため。
「私を目覚めさせて声をかけて、最初から勇者と合流させるつもりで?」
何もなせずに消えた勇者ホオリに対して言えることもなく、シオンは問いかける。
「まさか巫女と出会うとは思わなかった。その上、予言にもそれらしく書かれてる。ただ、魔王を殺すには確かに巫女じゃなくシオンが必要だったわけだ」
「誰にも殺せない魔王なら、自分に殺させればいいというわけか」
呪法にも等しい殺し方だ。
ホオリは、シオンを確実に魔王の目の前に連れて行ければ良かった。
魔王が周囲を信用せず、敵となれば容赦がないことを考えれば、シオンがいたところで勇者軍諸共殺される。
そうしてシオンという鬼女を殺せば、魔王という鬼女も死ぬ。
自身本体の死が、讐の士の体を借りた鬼女に返るという呪法。
「まさか、シオンだけ生き残るとは思わなかった。クロウのほうに行ってて見てなかったが、いったい何があった?」
「簡単なことだ。私は鬼女ではない」
「…………記憶喪失から、人格の形成がされた別人か? だから魔王の死に引き摺られず? だが、それなら魔王が死んだ理由がわからないな」
「魔王が、自らの力で死んだのは確かだ」
シオン一度目を閉じると、瞼を開いてホオリを見据える。
「何が望みだ? こうして燃やして、悪性の人々を粛清するなど、理由は成り立たない。かつての人々よりもずっと、今の人々の悪性は薄れている。それが、魔王の望みだった」
「確かに、魔王は巫女をやめた癖に、悪性の強い者を殺したり、その悪性を自らに取り込んで浄化したりと千年をかけてやってくれた」
ホオリはわかっていて、魔王を殺すことを目的としていた。
燃え盛る巨人が地上から投げ落とされた穴、それがこの世界の始まり。
そして地上の悪性を燃やす火が消えて、残ったのが残り火だ。
それは世界を滅ぼす意思を持って魔王と敵対した。
「正直、魔王の献身には脱帽だ」
ホオリは、今までと同じようにシオンに答えて肩を竦めて見せる。
「だが、この世界がある限り、俺の望みは叶わない。この世界の礎にされた巨人の無念は晴らせない」
「巨人の、無念?」
「ここに巨人を捨てた神々も失念していたことだ。燃え盛る巨人は、敵対者であり滅びの化身であると同時に、豊穣の神でもあったんだ。だから、死んだ躯が横たわるこの地に生命が生まれ、世界が営まれることになった」
記録にも残らない神話。
その巨人から生まれた残り火だからこそ知ること。
「負けたからにはその処遇は勝者に委ねる。神の敵対者としての役割も受け入れていた。ただ、穴に捨てられるとは思ってなかったんだよ。巨人は、地上で死んで、勝者に豊穣を約束し褒賞とするはずだった」
戦いで荒れた大地を蘇らせるのも、巨人という古い神の役割だった。
ただその前に燃える体を厭われて穴に落とされ、無為に帰したのだ。
「死に行く中で、巨人の心残りは尽きない悪性への苛立ちと、豊穣を本来の勝者に与えられなかった存在証明の不完全さ。そうして、最後に残った無念から生まれたのが、俺だ」
残り火は、悪性から生まれたこの世界の生き物そのものを許容できない。
本来豊穣を得るべき勝者ではない、穴の底の住人たちが享受する状況を許容できない。
それは、この世界、神の遺志。
この世界を生きる人間とは、決して相いれない思想であることは、ホオリも理解する。
そもそもこの世界の人間を乗っ取る際、記憶も力も乗っ取り融合するのだ。
ホオリとしても相容れないことは、昔にわかっている。
「昔よりも全然良くなったのは身をもって知ってるさ。勇者たちは特に今の時代の中でも上澄みと言えるくらいに清廉な者たちだった。何よりここまで誰一人として保身にも走らず、恨み言も漏らさずだろ? 本当、敵わない」
勇者たちの死を見ていないホオリだが、それでも四年偽ってともに活動した。
その間に、勇者の誰も命を懸けた献身を厭わない人物だということを知っている。
シオンも確かに頷いた。
「もっと早くに巫女の役目がわかっていれば、きっと誰もメイに救世の巫女になることは強要することもなかっただろう。共に、支えることを選んだはずだ」
シオンの言葉を聞きながら、ホオリは未だに炎の中白く立ち上る光の儀式場を見る。
「だが、自ら奉げたんだろう?」
「この世界のためには嫌だと。ただ、私が生きるためならいいと言っていた」
メイの最期の言葉を聞いて、ホオリは表情を消す。
取り繕って笑うこともない。
その上で、残り火としてこの世界に生きる者を殺しつくすこともやめない。
「思い直すつもりは?」
「ない」
シオンの誘いに、ホオリはきっぱりと拒絶した。
ただ結界の閉じ込められた状況で周囲は燃えているが、今以上に広がらない。
それでは残り火の願いは叶わない。
「邪魔をすると言うなら、シオンを殺してゆっくり逃げる方法を探すさ」
顕現の刀を出すホオリに、シオンは笑った。
しかしその表情は、落ち着きのあるシオンのものとは全く別だった。
侮蔑と嘲笑、何より目に光るのは憎々しげな色。
「今さらになって刀を抜くとは、ずいぶんと残り火も腑抜けたものだな」
「お前…………魔王か!」
気づいたホオリは即座に斬りつけた。
しかしシオンと同じ顔で太刀を抜くと、その先から光線を放つ。
ホオリは知った攻撃に、地面を転がって避け、片膝を立てて身を起こし構えた。
「借り物の肉体が死んで、何故私が本来の体に帰らないと思ったのだ、愚かな」
「つまり、今までのは演技か? ここ何年もまともに喋らなくなってたくせに、ずいぶんと細かい芸ができるようになったもんだ」
残り火は吐き捨てて戦意を高める。
しかしふと表情を消した魔王が、太刀を下ろして首を横に振った。
「いや、私は私だ。元の肉体であるなら、魔王にこちらに戻ればいいと、手を引いただけだ」
その言葉はまるで別人。
ホオリは混乱して呼びかけた。
「は…………? シオン?」
鬼女の肉体であることを、シオンは否定しなかった。
それと同時に、自らが魔王と呼ばれた鬼女であるとも肯定はしなかった。
その答えが、魔王として死んだはずの鬼女の中味を自らに戻して存在する今のシオンだ。
そのあまりに特異なあり方は、他人の肉体を乗っ取り長く人々の中を生きて来た残り火でも見たことのない異常事態。
それと同時に、メイの代わりになれるかもしれないと言った理由。
シオンは魔王を呼び戻したことで、巫女の体と魂を抱えていたのだ。
「あぁ。それと、一つ訂正をしておかなければならないことがある」
シオンは太刀を収めて告げる声には、なんの気負いもなかった。
毎日更新
次回:薄明世界1




