七十四話:生贄の巫女2
シオンは大穴の前で、切迫した状況を一時忘れて感慨にふける。
(話には聞いていたが、本物を見るのは初めてだ)
底の見えない闇は、空が暗くなっているためではない。
穴の中には光を拒絶する闇が蠢動しているのだ。
それは、海の底から這いだし、陸の真ん中にあるこの儀式場に辿り着き、巫女の無念を食らって成長した呪い。
「シ、シオン!」
メイに呼ばれてシオンは振り返る。
「ねぇ、何言ってるの? 死ぬかも、ううん、死ぬんだよ?」
「あぁ、巫女が生贄として祓わなければいけないなら、命はないだろう」
当たり前に応じるシオンに、メイは大きく顔を歪めた。
「何言ってるの? 何言ってるの!」
理解できない様子のメイに、シオンは言い聞かせるように告げる。
「私は薄情な人間なんだ。それは自分に対しても。だから、死にたいとは思わないが、生きたいとも思っていないことに、記憶を思い出してから気づいた」
「そ、そんなことないよ! シオンは私を助けてくれるし、薄情なんかじゃない!」
庇うように言うメイに、シオンは微笑みを浮かべた。
「それでも、私には何もないんだ。思い出したからと言って、何もなかった。記憶を失くしていた間に得たもののほうが多いくらいに。だから、今のために命を懸けるくらいなんでもない」
「わかんない、わかんないよ…………」
メイは途方に暮れて、シオンを見つめる。
(きっとメイのほうが正常な反応だろう。だからこそ、私よりも生きるべきだ)
メイは首を横に振って、説得を再開した。
「シオンだってこんなことしたくなかったでしょ? 戦いたいわけないし、お団子だってまだ食べてないし! なのに!」
「確かにやりたいことはある。もう一度みたらしを食べたいし、他の味もあると言うなら興味はある。それに海も見てみたい、都には見たことのないものも多かった」
「だったら!」
「でも、メイに死んでほしくないんだ」
メイは口を開くも言葉が出ない。
そんな様子にシオンは、必要だと思うことを告げる。
「正直、本当に私でいいかはわからない。だから、もし失敗したら逃げて。たぶん鬼女もこのままじゃない。六台くらい高い所にいれば少しは時を稼げる。もしくは海だ。呪いはメイの顕現なら大丈夫。だからここからできるだけ離れて」
メイはシオンの言葉に俯き、拳を握りしめて肩を震わせる。
(そう言えば、死に行くものを見捨てられないんだったな)
ジンダユウの時にも、ケンノシンの時にも、メイは見捨てられず巻き込まれた。
それがたとえ、自らに害をなした者であっても、その死に動揺し、カガヤに食って掛かったことをシオンは思い出す。
「今ならまだカサガミが黄龍を押さえている。今の内に逃げたほうがいい」
「逃げて、どうしろって言うの?」
メイは絞り出すように聞いた。
「世界、滅びるんでしょ?」
「そうならないようにしたいとは思うけど、そうなるかもしれない」
「じゃあ、何処にいても同じじゃん」
「でも、メイは私が死ぬのを見るのは嫌でしょう?」
言った途端、メイは顔を上げてシオンを睨んだ。
そのまま大股でシオンに近づくと、腕を掴んで振り回すように動く。
そのまま立ち位置を入れ替えると、シオンを押しのけた。
「馬鹿なこと言わないで! 私がこんなことになった理由まで奪わないでよ!」
非難する言葉に、シオンは狼狽える。
「メイ、言い方が悪かったのは謝る。だから、こっちへ」
シオンが一歩近づくと、メイは一歩下がる。
二歩目を踏めば、メイも二歩目を下がった。
もう大穴の淵まで三歩の距離だ。
シオンは手を伸ばしたまま足を止める。
(三歩、私の動きなら、メイに届く)
シオンは状況に困惑しながらも、冷静にメイを助ける方法を考えていた。
「私、この世界が嫌い」
メイはいっそ笑って言い切る。
「生まれてから閉じ込められて、罵られて、殺されかけて。その人たちが勝手に死んだのに私のせいになってて。逃げ出したからって何もいいことなんてなかった。騙そうとする人も、売り飛ばそうとする人も、怒鳴って来る人も、殴って来る人だっていくらでもいた。逃げて逃げて逃げて逃げて、その日に食べるものや寝る場所の心配ばっかりで、何も楽しいことなんてなかったんだよ」
前世があるからこそ、愛されることを知っているからこそ、悪性の住人たちと関わることがメイには苦痛だった。
「でも…………シオンと会ってからは、寂しくなかったんだ。ホオリが守ってくれて、心強かったんだ。カガヤに服とか外套もらって、あれ、私初めてこの世界で贈り物もらったって、嬉しくなって」
服は置いてきたが、外套だけは移動のために着ており、メイは今も逃げるために薄い巫女服の上から身に着けた外套を撫でる。
「いいことなんて何もなかった。…………でも、悪いことばかりじゃなかったって、思えたのは、シオンと出会えたからだった」
「メイ」
シオンは警戒を滲ませて呼びかけると、メイのほうが一歩引く。
追ってシオンも一歩前にでる。
「メイ」
「何悩んでたんだろう。私この世界嫌いなんだよ。この世界で生きたいなんて思ったことなかったんだ」
「メイ」
「シオンと違ってやりたいことなんて、考えても浮かばないの。お団子よりも美味しいもの食べた記憶があるし、ここでは食べられないし。海だって元の世界で見たことあって、ここみたいに呪いなんて危ないものもないし」
「メイ」
「ホオリと話せなかったのは残念だよ。ジンダユウとだって、もっと話したかった。クロウって人は、きっと話す時間があれば、楽しい人だったんじゃないかって思う。ケンノシンさんは、うん、あの人の立場だったら、私に言うしかないもんね。悪い人じゃないってことは、わかってる」
「…………メイ、こっちに来て」
シオンは手を差し出して頼む。
メイはその手を見て、笑みを浮かべた。
そこには諦めたような静かさがある。
「それでね、シオンに言われて気づいたんだ」
「メイ」
シオンはもう一度手を差し伸べるけれど、メイはもう見ずにシオンへ笑いかけた。
「私、シオンに生きてほしい」
「メイ」
「こんな世界で私が生きるなんて何もいいことなんてないと思ったけど、シオンが生きててくれると思うと、いいかと思えたんだ」
メイは自分で言って頷く。
「うん、私、世界のために死ぬのは嫌だけど、シオンが生きるためならいいよ」
「メイ!」
二歩をメイは一気に後ろへと下がった。
シオンはすぐさま追う。
戦うことを知るシオンの動きのほうが、後になっても早い。
二歩目、届くと思ったその足が止まる。
引き掴まれたように体が動かず、シオンはメイに手を伸ばしたまま、遠ざかる姿を見つめるしかない。
「…………ありがとう、ミツクリ」
シオンを引き留めたのはミツクリだった。
メイは礼を告げて、目を閉じると大穴の中へと背中から跳んだ。
恐怖に顔を引きつらせながら、それでも友人たちへ精いっぱいの笑顔で。
笑顔を繕って固く目を閉じていたメイは、闇に呑まれる。
「…………礼を、言われることなんて、してない。ごめん、シオン。殴っても、罵ってもいい。本当、ごめん」
シオンはもう届かない手を下げて、ミツクリの懺悔を聞いた。
その間に、大穴の中で蠢動していた闇が、メイを飲み込んで膨れ上がる。
穴の淵を超えて膨れ上がった闇は、弾けた。
瞬間、真っ白な光が、煙のように緩やかに、けれど真っ直ぐ天へと昇る。
白く立ち上る光から降るのは、軽くやわらかな灰のような光だった。
「メイが、望むなら、生きよう。だが、いや、だからこそ、まだ…………終わっていない」
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