七十話:鬼女2
勇者軍は都から逃げ出した。
城から脱出は成功。
城内の制圧を行うアヤツの配下たちもいたが、アヤツ自身がカガヤの捕獲を優先したために、僅差で逃げ果せた。
勇者軍で統制の取れた者たちは、兵をまとめて陣を払う。
勢いで参加した者はとうに逃げ散り、急いで都を出るころには空は赤く変わっていた。
「守れる君なき国の、誰そ彼時なす」
シオンは空に浮かんだ予言を読む。
(意味は、守る? いや、もしや見張るか。見張る王が亡き国は、斜陽)
突如として現れた予言は、誰もが予想外のもので動きを止めていた。
何より内容がわかる者には無視できないほど不穏な内容。
世界が沈み、空が漏れるとは、どう解釈しても世界の終りの情景だった。
「え、え? 誰が予言? っていうか、どういう意味?」
「急がなば去ぬる人の寝起く夜頃なす。これは、夜になると死者が起きる。立ちつればくがいのみ沈み天衝くは、死者が立てば世界は沈み天を突く。そら漏りたれば集く人のほむらのおそはるは…………空、と嘘か。それらが漏れるようになり、人々は炎に襲われる」
不吉な内容を伝えた上で、シオンの顔つきも厳しくなった。
「シオン」
メイが不安げに名を呼ぶ。
シオンは表情を緩めるが、気休めは言えない。
予言は、それほどの内容だ。
何より、空が赤くなったころ、ジンダユウは息を引き取った。
できる限りの今後の方策を苦しい息の下から伝えた末のこと。
だがそのどれも、この予言を想定してはいない言葉。
今となっては無意味に過ぎた。
(こんな世界の終わりを告げる予言なんて、見ないで逝けたのは良かったのかもしれない)
シオンは一度瞑目すると切り替えて、メイに向き合う。
「起きる死者というのは、伝説を思えばきっと大地となった巨人だ」
「え!? あ、でも、確かにそれなら空も壊れちゃうかも。巫女が空っぽいもの造っただけらしいし」
メイにはジンダユウのことは伝えていない。
本人の遺言だったが、それでもメイも予想はついているだろう。
だからシオンの側で、話す内容にあえて驚きを示しから元気を装う。
戦いを経て、メイも死者を惜しみ泣く時ではないと、理解していた。
理解しなければ、動けなくなる。
動けなくなることは、死だとわかっていたのだ。
シオンも強がりとわかっていて言えなかった。
(夜のなづむより鎮めの花をこそ奉げるべし、だと? 巫女の予言でありながら、巫女は結局そう言う役割のままなのか)
シオンは内心は口にせず、少しでも気休めになる言葉を選ぶ。
「三つ目の予言もまだすべてじゃない。四つ目はまだかもしれない」
「え、あれ? また何か飛んできた!」
空の予言が消えて突然、メイを狙うように飛んできたのは、見慣れた巻物。
今までも予言が消えるとメイの手に予言の巻物があったのと同じ現象だ。
「私が封印解かなくても、巻物こっちに来るんだ?」
「まぁ、巫女が巫女のために用意した予言だから」
「え?」
メイがシオンを見ると、ミツクリが声をかける。
「おい、大丈夫か!? って、その巻物、予言の?」
ミツクリも見たことがあるため判別でき、すぐに主要な人員が集められ検証が始まった。
鬼女に備えて人数は少ないが、それでも真剣に内容をかんがえるのは、予言の効力を重く見ているため。
「わかることは、このひと晩でことが起きるだろうことだな」
ケンノシンは、予言にある黄昏から夜、そして暁から曙と日暮れから翌朝を示す文字に指を滑らせる。
「これについては、おおよそ、何をすべきかは見当がつく」
「え、本当っすか? ケンさんすげぇ」
わからないミツクリから、ケンノシンはシオンを見た。
責めるようなシオンの視線を受けて、メイに目を移す。
「メイ、新ためて力を貸してくれ」
「え、うん。私にできることなら」
メイは反射的に答えるのを、シオンが声をかけようとした時、足元に揺れが襲った。
「地震!?」
メイはすぐに揺れの理由を理解した。
しかし他の誰も大地が揺れるなどという経験がなく周囲は騒然とする。
誰もが地面を見る中、シオンは空を指した。
「大型の鬼女だ!」
指す空の方角は、北の都からすれば南。
しかし空に立ち込める暗雲よりもなお黒いものは、この陸の中央に浮かんでいた。
「え、あれが、鬼女? …………龍じゃん!」
暗雲のような煤のように黒いものからは、短い手足に細く長い体と尾の鬼女が渦を巻きながら飛んでいる。
メイがその姿を見て龍と呼べるほど、顔以外はそのものだった。
「さしずめ、黄龍だろう」
シオンがそう言った時、伝令が走りこんだ。
「至る所から大小さまざまな鬼女が発生し始めました!」
「何故そんなことに!?」
「封印を解いたからだよ」
ケンノシンに答えたのは、伝令の後ろに音もなく忍びよっていたカサガミ。
三傑であり、魔王の最後の命令によって呼び戻されていたはずだった。
勇者軍は身構えるのを、ケンノシンが片手で制す。
「知っていることがあれば教えてほしい。まだ、この身の戦いは終わっていない」
再戦が果たせないカサガミは不服そうにしながらも答えた。
「巫女の力が残る予言を礎に、鬼女を人の住処から引き離す鬼道を陛下は行っておられた。だから、全部の予言が解放されて、もう鬼女は大人しくしていない。一番大きな鬼女が出たら、僕が時間を稼いで、陛下がまた封じるはずだった」
カサガミが勇者たちの知らない事情を語る。
その上で、もはやその目論見が破綻していることさえ告げた。
魔王は、もういない。
「救世の巫女が祓えないなら世界は滅ぶから、好きにしていいって言われた」
「何、それ…………」
メイは呆然と呟くが、カサガミは冷淡に続ける。
「だってあれは、歴代の巫女の怨念だ。この世界を恨んでる。この世界の人間の話なんて聞かない。巫女の声しか聞かない。なのに役立たずならどうしようもない」
淡々と押しつけられた重責に、メイは怒りで言葉も出なかった。
同時に知らないことが多すぎて誰も何も言えない。
そこに、突如として鬼女が湧いた。
伝令が至る所からと言っていたが、本当に突如湧くなど誰も想像できていなかったのだ。
そして反応できたのは、メイを背に庇ったシオンと、顕現の鎌を振って鬼女の首を落としたカサガミ。
「私の顕現は死を内包する。だから鬼女の復活を少し遅らせる。早く祓って」
カサガミは淡々とメイに指示を出す。
動けなくなった鬼女はメイの領巾で消えた。
ただ、周囲からの悲鳴で現れたのがここだけではないことを知らせる。
「と、ともかく助けないと!」
「…………わかった」
メイの言葉にシオンも近くで聞こえる悲鳴の下へ行こうと足を踏み出した。
しかし、鬼女は音もなく現れる。
「後ろだ!」
ケンノシンが咄嗟にメイを突き飛ばした。
そこに、突如湧いて出た鬼女が掴みかかる。
メイの代わりに身をさらしたケンノシンを、鬼女は抱えるように覆った。
そこにミツクリが矢を射ることで引きはがすと、続けざまにカサガミが首を断ち切る。
そしてメイが領巾で鬼女を消し去ったが、残ったのは倒れ伏したケンノシン。
息はあるが、苦痛に悲鳴を噛み殺すケンノシンは、立てもしない。
それでも脂汗を浮かべて、言葉を紡ぐ。
「いい、この身は捨て置け。どうせ、夜明けまでの、命」
「まだ、まだそうと決まったわけじゃねぇよ!」
ミツクリは否定するが、ケンノシンが夜の内に死ぬという予言を受けていることは知っていた。
昼の内には死なないとされたジンダユウと並べて、年齢もありケンノシンが先だろうと思われていたが、実態は逆。
「それよりも、六台へ」
だからこそケンノシンは命の限りを常に計っており、今も時が来たことを受け入れる。
自ら人柱を取り込む場所へ連れていけと求める声に、迷いはなかった。
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