六十七話:消え行く勇者3
一人戦いから外れたクロウは、都の端にいた。
勇者軍の進撃のために都の住人は屋内に隠れて、辺りは静かだ。
勇者軍の退路確保のために門を改めて押さえたクロウは、小用と称して兵たちから離れている。
ケンノシンからの依頼は、情報提供者が、身動き取れなくなる前に用意した資料の回収。
魔王の弱点に通じるかもしれないため、確認したいと言ったのだ。
そう思えるほど魔王は堅固で、誰も自らの力ではなく予言という超常の力に頼るほどに無比だった。
「ここが…………ツキモリの」
クロウは、密かにツキモリがケンノシンと連絡を取っていることを聞かされている。
ケンノシンが勇者になる前に行っていた、魔王軍との戦いの中で知り合ったと。
戦い方を教えたこともある師弟関係だと聞いたのは、カタシハを倒した後であり、つい最近のことだった。
ツキモリは不吉な予言を受けてすぐに、自ら捨て身の間諜となるためにケンノシンに協力を要請したという。
「とんでもない胆力。拙僧では真似できん」
四年の活動は決して楽ではなかった。
それが敵の目のある中で、常に敵意さらされるツキモリを思えば、感嘆しかない。
クロウは考えながら、指定された家屋の中を探す。
すると押入れの奥にくぐり戸を見つけた。
入れば雑然と物が押し込められた場所だが、奥には人が座れる空間が作ってある。
燭台が置いてある文机には、ツキモリが置いただろう書物が積んであった。
「これがそうなのか。古書の写しか、さて…………残り火?」
クロウは燭台に火をつけて読んだ。
そこには、世界が穴であること、巨人の上に生まれたこと、そして悪性を燃やす炎が絶えたのちに、世界を燃やす残り火が生じたことが書かれている。
「魔王は、この残り火によって、権勢を危うくされていた?」
残り火は人を操るとある。
そのため人に紛れて幾度か魔王の治世に反乱を起こし、その国体を歪めようと暗躍したとも。
そのために魔王は臣下を信頼することをやめてしまったと、筆者の嘆きが滲んでいた。
「世界の、崩壊」
悪性が発する呪いを海に封じ、出ないようにする、かつての巫女の術にはほころびがあった。
それを魔王自身が維持し、斃れるならば、世界は崩壊するだろうと書かれている。
そうなる前に、巫女による呪いの浄化が必要だとも。
「魔王の死に際に巫女が必要なのは、これか」
言って続く文字を追ったクロウは、息をのむ。
「…………なんと、巫女は…………そうか、巫女も…………」
クロウは溜め息と共に、沈痛な呟きを漏らした。
そして他にも用意されている書を手に取る。
「これは、誠の士ギイチの伝説? いや、歴史書か」
千年以上前の書物の写しだが、憧れの人物の事績が日付と共に書かれている。
そんな今までに触れたことのない史料に、クロウは一瞬興奮を覚えた。
もちろん魔王を打倒するための戦いのさなかであることは覚えているので、自身の好奇心を抑えて、魔王に繋がる記述を探す。
台国に大王が立ち、大王の死と、現れた鬼女と讐の士についてが、淡々と記録されていた。
伝説と言われるほど実態がつかめない時代の、他には残っていない歴史の文献だ。
「ここにも、残り火か」
台国が燃えたことに、残り火が関わっているという記述は、あまりにも当たり前に描かれている。
そして鬼女と讐の士はこの残り火に踊らされた者たちを粛清し、残り火本体を捜していたともある。
「何故こんな重要なことが今に伝わっていない? 何処かで魔王が倒した後なのか? これを編纂したのは、ワタツミ。ジンダユウの先祖か」
当時を生き延びた者の書いたものを写したことがわかる。
さらには、それに考察と他の文献での検証をした、大将カタシハの手稿もあった。
そこには確かに魔王に関する記述がある。
「魔王が、讐の士? 確かに活動する年月は合う。鬼女が若返るという記述も…………。その上で、鬼女を殺して鬼道を奪い、千年統治していた?」
すぐには呑み込めない話だ。
けれど鬼女が本来は鬼のような女ではなく、鬼道を修めた女であるという別の文献からの引用もある。
さらに讐の士が消えて現れた魔王というのは、かすかに残る千年以上前の記述に残されていることだった。
「魔王が残り火と戦っているのも、台国から続く因縁か。そうか。だから、魔王は語らないのか。残り火が近い誰かにとり憑いているかもしれないから。特徴は…………」
クロウは次に残り火の記述を捜して目を動かし、そして息をのむ。
残り火がとり憑いたと思われる、とり憑いても気づかれない人物が一人いたからだ。
「だとすれば、あの行動は…………あ」
背後からの衝撃に、クロウは息が詰まる。
胸を見れば切っ先が胸を貫いていた。
クロウは即座に顕現の槍を出して背後を突く。
しかし手ごたえはなく刃が抜かれた。
おかしな呼吸音と息詰まる変調に、肺が片方潰されたことを悟る。
それでもクロウは臨戦態勢で暗い小部屋を振り返った。
「やはり、そなたか」
暗い室内に沈む影に、文机の小さな明かりは届かず、笑う気配だけが伝わる。
「城よりもこちらに来て正解だった。魔王の史料自体を潰したかったが、カタシハめ面倒なことを。しかもそれをツキモリが持ち出すとは」
困ったと言わんばかりに、刃を通した相手に応じた。
「なるほど。つまりは残り火の存在を周知されたくはないわけか」
「そこはいい。面倒だったのは勇者と魔王。その魔王も殺す算段が付いた。そして、勇者ももう、六台に身を奉げることはできない」
「なん、だと?」
「六台の本当の目的を教えてやろうか? あれは魔王を封じるものじゃない。そう思わせるように情報を操った。本来は、魔王こそを人柱にするための呪法。魔王を使って呪いの封印を強制的に完成させるためのものだ」
クロウは残り火の後ろの狭い出口を窺う。
こうして話しているのが、時間稼ぎであり、クロウの死を待つだけの時間とわかっている。
肺にあいた穴は塞げず、時間と共にクロウは死ぬ。
「拙僧が他に伝えることができないようにしているのか。今までも、こうして情報を?」
「最初は魔王から身を隠すためにな。けれど情報を使えば人間たちを操れることがわかった。だから、予言に書かれた勇者なら、魔王を倒せると吹聴したんだ」
それは何百年も前のこと。
残り火もまた千年以上前から存在する魔王の敵。
予言によって千年は統治が揺らがないと知っていて、勇者という存在を根付かせ魔王を煩わせるために活動していた。
「つまり、勇者自体が、残り火の隠れ蓑か」
「己が正義だと思えばこそ、お前たち人間は軽率に他人を攻撃する。俺の影に気づいた魔王が攻撃すれば、余計にお前たち人間は勇者を正義だとうたって魔王を攻撃するだろう?」
魔王のやり方は強引で無慈悲だ。
ただそれを差し引いても、勇者を敵とみなすには十分な理由もあった。
「苦労したツキモリには悪いが、ここは燃えてもらおう」
残り火の言葉で周辺に火が広がる。
あまりの早さにクロウは上衣を脱いで、文机の上の書物を守るように包んだ。
その抵抗も残り火は笑う。
クロウは慌てたように見せて、振り返った瞬間光の槍を放った。
確実な不意打ちであり、相手は刀の間合いで槍のほうが間合いは長い。
その上で残り火は、顔面を貫こうという槍を避けて、がら空きの脇を切った。
「やってくれたな。これじゃあもう擬態ができない」
「ごほ、それは、ぐ、重畳」
片目を深々と槍に貫かれてなお、残り火は平然と立っている。
ただ槍が抜けると、その穴からは本性である火があふれ出した。
欠けた肉体を補うように、炎が残り火の左頭部から顔面にかけてを覆う。
「勝ち負け、なしか」
「そう言えばそういう予言だったな。これで負けじゃないというのは、まぁ、そうか。魔王は今頃死んでいるだろう」
感慨深げな残り火に、クロウはひざが折れ、息が続かない。
何より、顕現を使うには気力が必要だ。
まだ、死ねないという気力を奮い立たせるしか、今のクロウにはもうできない。
「封じるなんてされては、呪いごと世界を焼けない。ましてや魔王を人柱にするなんて、どんな抵抗をされるか…………。お前、槍は何処へやった?」
ようやく残り火はクロウの手に槍がないことに気づいた。
そして振り返れば背後には槍が貫通した穴がある。
ツキモリが残した書籍を包んだ上衣は、槍に固く結び付けられていたことを、残り火は気づかず。
すでに家屋を破壊して飛んだ槍は、遥か彼方へと投げられていた。
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