六十五話:消え行く勇者1
魔王の死体蹴りを前に、シオンは立ち直ったものの、焼けただれた手は震えていた。
「今すぐその蛮行をやめろ」
シオンに向けられる敵意は、侮りを大きく含んでいる。
顕現でもない太刀、顕現自体が魔王によって崩れる寸前で、握る手も火傷で震え、いつ太刀を取り落とすかもわからない。
「身の程知らずに我々に盾つくとは。口もきけないほどの身分差もわからないか」
「口の利き方も知らない、上からの言い方、この魔王と同じ高慢さが腹立たしい」
「いや、もしや魔王に通じるものでは? そうだ、魔王の仲間だったのではないか?」
「では倒せば我らの正義か。そうであれば魔王を倒したのも我らも同じ」
自分勝手なことを言いあった上で、先ほどまで声高に叫んでいた魔王を非難する言葉も全て薄っぺらだ。
自らがどうすれば良い目にあうか、良い立場になれるか、そんなことしか考えない。
「そうだ、勇者などではなく我々こそが尊崇されるべき存在なのだ」
「そう、魔王の下に甘んじた献身を今こそ報われるべきである」
「賞賛されるならば我らを置いて他にないとも。他の有象無象ではない」
「なるほど、魔王がカガヤ以外に声をかけないわけだ」
シオンは唾棄するように、広間での魔王の振る舞いを指摘した。
ただの事実であり、魔王に信任されなかった自業自得。
だというのに、シオンの指摘を不服とし、倒れた者たちから得物を拾う者が現れる。
暴力的な気配に、ケンノシンが動いた。
シオンの側へと駆けつけ、同じように臣下に鉾を向ける。
「自分に酔った下郎どもめ。手負いの女子にしか刃を向けられぬとは!」
臣下は絶対強者から解放され、自ら暴力に走った勢いと攻撃性を孕んでいた。
いつ血に酔って襲い掛かるかもわからない。
そんな緊張が高まる広間に、大勢が駆けつける足音が近づいた。
荒れ果てた広間に現れたのは、三傑のアヤツだ。
「双方矛を収めよ!」
元から戦闘力などない臣下、魔王との戦いで数を減らし様々に傷を負った勇者軍。
そして、目立つ傷などない兵を連れたアヤツ。
争うには分が悪いことは一目瞭然だった。
そうと見た臣下は、一斉に魔王殺害の非を勇者軍に被せて訴える。
シオンはケンノシンに促されて、メイのほうへと避難し警戒を強めた。
残った他の勇者軍も、互いを守るように集まる。
(アヤツはこちらに寝返っているはずだが)
ただケンノシンもミツクリも、アヤツの出方を窺って味方であることは言わない。
「シオン…………!」
「メイ、まだ」
「手、手だけ!」
抱きつくメイを制すると、メイは領巾でシオンの手を治療した。
その間に、アヤツは魔王の遺体に歩み寄る。
そして黙礼を奉げた。
勇者たちに向かっては、ただ静かに告げる。
「陛下は亡くなられた、抵抗はやめろ」
「ずいぶん遅いお出ましの上に言うじゃねぇか。つまり、こっちも敵って?」
ミツクリが鼻で笑う。
アヤツは協力関係だったが、今は敵対する立ち位置を明確にしていた。
つまり、魔王を倒すために勇者と巫女を利用したに過ぎないのだ。
すり減った今になって兵を連れて現れたのは、臣下と同じ。
魔王が殺され、反乱を起こした勇者を制し、自らが正義となるため。
両者が疲弊している状況は、狙いすましたからこそ恰好の機会だった。
「もちろん、その志は汲む。その上で、王を殺した者を許すことはできない。あなたたちには国外への退去を命じることになるだろう」
「ずいぶんと温いことを言うものだな?」
ケンノシンが鉾を下げずに応じる。
その間にアヤツは配下に合図を出した。
そうして持ってこられたのは肉を骨ごと叩ききるための刃の厚い鉈。
荒れて血の臭いが充満するような広間は、それでも元の美しい襖絵も残る。
そんな所に持ち込まれた鉈は、あまりにも不似合いで不穏だった。
「あなたたちの立場を思ってのことだ。居残ると言うなら、私も陛下を継ぐ者として対応をしなければならない。だが」
アヤツは片手で簡単に指示を出す。
瞬間、鉈を持つ配下が魔王の首に刃を振り下ろした。
ごろりと揺れる頭。
断ち切られた首からは新たに血が溢れて血だまりに跳ねる。
シオンはとっさにメイの前に立って視界を塞ぎ、アヤツを見据えた。
「これで葬儀を行った者が、次の王になれる」
アヤツの呟きは、予言。
首きりて今は春辺と咲くや世の花、に合わせて首を切ったのだとわかる。
さらに、そらなる御座ゐ給わば穢ひ捧ぐべきはさらなり、という次の予言を、空位となった魔王の後を継ぐ手段と解釈していた。
その上で、いとほしがりけるは叶わじ説くを許さじという、悲しむことも諭すこともしてはいけないという予言のため、魔王には黙礼のみで自らの目的のために行動している。
「え、え? 私が穢れ祓うとかそう言う話じゃ?」
何が起きたかを見ていないメイが混乱すると、アヤツがシオンの背後に目を向けた。
「なるほど、葬儀で穢れを捧ぐという文言に当てはまると思いましたが」
アヤツの目がメイに固定する。
シオンを始め、勇者もメイを守るために身構えた。
「どうやら、協力はしていただけないようですね?」
アヤツが手を挙げるだけで、従う配下が消耗した勇者軍に攻撃すべく前に出る。
アヤツは配下の後ろで魔王の首を持ち上げようと屈んだ。
その瞬間、獣の咆哮にも似た悲鳴が上がる。
「ぎゃぁぁああああ!?」
「…………カガヤ!?」
アヤツでさえ身構えるほどの理性を失くした叫び。
同時に、魔王の首を目にしたカガヤの手にあった顕現の勾玉がきしみ、ひびが入り、内側から破裂した。
(顕現が壊れると…………?)
シオンはミツクリにまずいと言われた言葉の真意を問おうとした。
しかしそれよりも異様な気配がカガヤから放たれる。
アヤツも飛びのいてカガヤから距離を取った。
そのカガヤの顕現からは脈打つように、湧き出るように、黒い靄が重さを持つように溢れては落ちて行く。
そしてカガヤの足元に溜まった黒い靄は、炎のように立ち上ると、カガヤ自身を包み、全く別の生き物のような形を取り始めた。
「カガヤ…………? まさか、その姿…………鬼女なのか?」
アヤツも予想外のことに目を瞠る。
ただ言うとおり、女のような顔に異形の体は鬼女の特徴と合致していた。
カガヤは答えず、瞬きした次の瞬間、眼球が真っ黒に染まる。
そこから流れる涙も黒く頬を濡らし、人ではない何かに変わっていることは疑いようがなかった。
「我が君、我が君」
叫びとは裏腹に、カガヤの口から洩れるのは歌うような声。
「私を心配してくれる者がいたのです。…………けれど私にはあなただけ」
足音もなく、けれど靄のようなものを引き摺ってカガヤは魔王の遺体に一歩踏み出す。
「私を厭わぬ者がいたのです。…………けれど私にはあなただけ」
恋焦がれるような声に反して、姿は異形へと歪んでいった。
「私を助けてくれる者がいたのです。…………けれど私にはあなただけ」
臣下の一人が動けず、カガヤの靄に触れると、瞬間口が裂けんばかりに開いて悲鳴を上げ、のたうち回る。
「私に礼を言う者がいたのです。…………けれど私にはあなただけ」
のたうち回る臣下は、そのまま黒い靄に包まれ声すら聞こえなくなった。
「死んでほしくないと思う者ができたのです。…………けれど、私は…………」
カガヤは魔王の遺体も靄で包み、首へと手を伸ばす。
「痛めつけて足を折り、殺さないようにしようとしました。あなたのご命令に反しました。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………これはその罰ですか? 置いて、行かないで…………」
カガヤの歌うような声と共に、靄は羽根を広げた。
その姿は歪で、二つの鳥の体に一対の羽根しか持たない異形の鳥。
カガヤは魔王の首を宝物のように抱きしめると、黒い羽根を大きく羽ばたかせた。
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