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六十四話:勇者の月衛4

 魔王の光線をシオンの顕現が反射した。

 それは誰もが見た光景。

 さらにシオンの顕現は赤熱して、持ち主を焼くという異常な状況が続く。


 魔王と共にシオンは床に倒れ、辺りには状況に追いつけない静寂が落ちた。

 誰も優勢だった魔王が膝をつくどころか倒れ伏すとは思っていなかったのだ。


「…………シオン!」

「待て、メイ!」


 メイだけが声を上げ、走ろうとした。

 しかしそれをミツクリが止める。

 シオンに駆け寄るには、魔王に近すぎたのだ。


 そして致命傷を負っているにもかかわらず、魔王は肘を立てて身を起こすと、周囲は敵も味方も口々に騒ぎ出す。

 魔王を倒すべきか、助けるべきか。

 本当に倒せるのかと。


「貴様は…………」


 魔王の目はただシオンを見ていた。

 シオンは、顕現の異常によって身の内から突き刺すような痛みを耐え動けない。

 ただ、床の上で頭を動かし、魔王を見る。


 その間も、シオンの顕現は赤熱が収まると、黒く変色し、端から錆び落ちるように崩れ始めていた。


「シオン、気持ちを強く持て!」


 ケンノシンの叱責するような声に、ミツクリも声を上げる。


「顕現が壊れたらまずい! シオン!」

「姦しい」


 魔王は胸に穴が開いているにもかかわらず、太刀を向けまた光線を放とうとする。


 しかし歯を食いしばったシオンは、焼けた手で懐から扇を取り出すと擲った。

 小さな衝撃でも、光線の軌道は逸れ、勇者軍から逸れる。


「…………まだこんなものを」


 魔王は落ちた扇を見て瞠目し、その言葉にシオンも瞠目した。

 そして魔王と視線が絡む。


「誰が貴様を起こした?」


 その言葉は確信にというよりも、事実確認だった。


 シオンの最初の記憶は、誰かに起こされたこと。

 それを知るのは、起こされる前を知っている者。

 そしてその状態の理由も魔王は知っている。

 そう思わせるには十分な言葉だった。


(魔王は私を知っている!?)


 シオンは身の内を苛む苦痛を抑え込んで口を開くが、息が震える。

 口が動きにくく、仕方なしに短く問いを返した。


「私は、誰だ?」


 魔王は息を飲む。

 シオンが誰か、どんな状態かを知っているが、記憶を失っていることは知らなかったのだ。


 ただ、形を崩す顕現に目を落として納得もした様子が目に浮かぶ。

 記憶喪失により、奇妙な顕現の理由を察することができるほどの相手。

 シオンと名づけられた少女の素性を、魔王は確実に知っていた。


「忘れてなお、戦場に、狩り出されるとは、愚か」

「私は」


 聞こうとするが、シオン耐えられずまた床に頽れる。

 投げだした手は焼けて、思うように動かない。

 それでもシオンは真実を求めて魔王へと伸ばした。


(ここでしか聞けない。逃せば二度目はない)


 カタシハでは無理だった。

 ホオリとも何を思っていたのかを聞く機会もなかった。

 死は一瞬であり、その後は、ない。


 シオンは短い記憶の中でも、経験から魔王に聞くのは今しかないと悟る。

 そこには、星に打たれて見た悪夢の名残りがあった。

 何かを取りこぼしたという後悔の欠片だ。

 わけもわからず涙を零した時から、失うことに心が揺らいでいる。

 もっとも失いやすいと思われたメイを守ることを決めたというのに、シオンの目の前で千年不動だった男が失われようとしていた。


「…………●●●」


 魔王は微かな声で、名を呼んだ。

 シオンはそこでようやく悪夢を断片的に思い出す。

 戦場、力を失くす敵、何処かの庭、老いる少女、そして燃え崩れる何か。

 そしてその名を耳にしたことも。


 シオンさえ知らないその名を、魔王は投げかけた。


「…………あなたは、誰だ?」


 その名を知る魔王に聞く。


(私の、なんだ?)


 二度目の邂逅。

 今この時まで魔王はシオンを意識にも挙げなかった。

 身近で側近くにあった者であるなら、そんなことはありえない。

 少なくとも勇者が魔王打倒のために現れた四年の間に、シオンは魔王の側にはいなかった。

 城へと攻め込んでも誰もシオンを知らず、カタシハもシオンを知る様子がなかったことから、もっと長い間シオンは魔王の側にはいない。

 ただ、魔王だけがその顔と名前、そして何者であったかを知っている。


 微かに、魔王の口の端が動いた。

 まるで笑おうとして笑い方を忘れたような。


「そんな顔を、していたのか」


 魔王はシオンを見て呟くと、体が傾ぐ。

 また倒れた魔王の体に血が跳ねた。

 もう胸の穴からは床に血だまりを作るほどの血が流れ出ていたのだ。


 それでも、魔王もまたシオンを見る。

 そして手を伸ばした。

 何かを掴むような差し出すような動き。

 シオンはその手を見ていた。


「全ての、献身を、否定、しない」


 魔王の言葉はまるで足りない。

 何を言いたいのか前後がない。

 それでも、シオンは意味を確かに把握した。


(カガヤも、ツキモリも、献身だと言うのか)


 何故か何を言いたいのかがわかる。

 何か、魔王と通じるものがある。

 それは何故かを、知りたいとシオンは思った。


「待て」


 シオンは見るからに魔王の目の光が弱まるのを見て引き留めようとする。

 それと同時に内に湧く何かが騒ぐ。


 今なら、記憶を取り戻したいとシオンは思った。

 全く身に覚えもない、あっただろうと推定しかできない過去ではなく、生きた感情の伴う記憶として。


「まだ」


 シオンは焼けた手が思うように指も開かない。

 身の内を苛む痛みで口を動かすのも辛い。

 それでも魔王に手を伸ばそうとすれば、その意思を拾った魔王のほうが手を差し伸べた。


 ただ次の瞬間、魔王の手が勢い任せに踏みつけられる。


「救世の巫女さまをお助けする! こ、この魔王の暴政を正す!」


 シオンは一瞬何が起きているのかわからなかった。


 ただ魔王の手を踏んでいるのは臣下だ。

 さらにその声に応えて、他の臣下も瀕死の魔王に駆け寄ると、血だまりを踏み荒らしてその身に攻撃を始めた。


(何を、している?)


 喚く声は魔王を非難し、勇者軍を称え、巫女を助けるのだとのたまう。

 しかし顔には嗜虐の色がありありと浮かんでいた。

 今まで手も足も出なかった魔王という絶対強者が死に瀕してようやく立ち、そしてその身を嬲ることを喜んでいる。


 巫女がどうと言っているのは、女であるシオンを巫女であると錯覚したため。

 その上で、もう身じろぎ一つしなくなった魔王を囲んで蹴りを入れ、動けないシオンには見向きもしない。

 そうして、シオンに伸ばされた手を何度も踏みつけていた。


「…………や、め」


 声を絞り出そうとしたシオンだが、グラグラと内側が揺らぐ感覚にのどが絞まる。

 シオンが改めて口を開くよりも早く、メイが叫んだ。


「何してるの!? 巫女の意思とかそんなの関係ない! 私はそんなこと望んでない! 今すぐやめて!」


 悲鳴のように魔王の死体への暴行を責める。

 止まった臣下たちは、ただシオンとメイを見比べて、ようやくどちらが正しく巫女かを認識した。

 途端に、下卑た笑みを浮かべると阿るように腰を低くしてメイへと向き直る。


「メイに、近づくな」


 シオンは、内側の違和感が溶けるように消えると、顕現を消して立ち上がった。

 そして太刀を抜いて臣下たちに向ける。

 一度目を向ければ、もう、魔王は息をしていない。


 刃を向けたシオンに向くのは、悪意と侮蔑の目。

 カガヤが言ったとおり、魔王の側の者こそひどいことを目の当たりにすることになったのだった。


毎日更新

次回:消え行く勇者1

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