四話:喪失者4
翌朝、シオンはなおも自らがわからずにいた。
ただそんなことにかまけていることもできない。
「さっさと働き!」
「はーいー!」
「返事する暇があるなら手を動かしな!」
「…………」
「返事くらいおし! 全く使えないね!」
「はーいー」
メイが寝ている家屋は軽食屋だった。
注文をして、さっと食べて、去るばかりの客。
その客の対応のため忙しくするメイ。
そんなメイに店の女将は怒鳴るように指示を出しては、罵る。
ただそうしている女将が動くことはなく、どっかりと奥に座り込んで口を動かすだけ。
「失礼」
「いらっしゃ、あ、どうしたの?」
店の外で様子を窺っていたシオンは中へと入って行く。
反射的に声を上げたメイは、その姿に驚いた。
メイはこの軽食屋で働き、屋根裏の一角で寝ている。
賄いは昼の一食のみという待遇だ。
そんなメイを朝の仕込みからシオンは見ていた。
この後は夕方の掃除まですべて働かされるということも聞いている。
「女将、労働環境の改善を求める。働く者に対してあまりな仕打ちだ」
「え、ちょ、ちょっと、シオン?」
「なんだいあんたは!」
慌てるメイの声をかき消すように女将が怒鳴りつけた。
シオンは怯まず、奥の暖簾を避けて座り込んだ女将の元へ行く。
「小娘が知ったような口を利くんじゃないよ!」
女将はメイと変わらない小娘とみて怒鳴りつけるが、シオンは全く揺るがない。
「見てわかる状況の悪さを指摘したに過ぎない。それとも、老いさらばえては今のおかしさを認識できないほどに耄碌するのか?」
「なんだと、この礼儀知らずが!」
「私が言うことは先ほど言ったはずだ。働かせるのなら、相応の待遇を。少なくともこの店は、長居して食おうと思えないほど、女将の声が耳に触る」
淡々と告げられるシオンの指摘に、聞こえる範囲の客は笑い出した。
その馬鹿にした響きに女将は激高する。
「あたしの店でどうしようと勝手だろう! 嫌なら出て行け!」
「働く者はあなたではない。その上で店を持つ者であれば、働かせ方というものがある。今の女将のやり方は間違っていると言わざるを得ない」
「うるさい! うるさい! 賢しらになんだってんだ! 出て行けー!」
怒鳴り散らす女将だが、シオンは退かない。
メイは響く怒鳴り声に首を竦めていたが、その姿に女将が目をつける。
「メイ! そいつをすぐにつまみ出しな!」
「えー?」
嫌そうな声を上げた途端、女将の怒鳴り声はメイに向かう。
「あんたは恩ってもんを受けておいて何て言い草だい! 誰が食わせてやってんだ!」
「一日一食で働かせておいて、食わせているとは大言壮語だ。言うからには相応の報いを持ってしかるべきだろう」
シオンが口を出すと、女将は答えず怒鳴るだけ。
「出てけ! あたしが誰をこき使おうと! 誰に口出しさせるもんか! いいから出てけー!」
あまりの剣幕に他の客が腰を上げる。
その様子にシオンはメイに耳打ちをした。
「私を連れ出すふりでちょっと休憩しよう」
「…………う、うん」
頷くと、メイはシオンの腕を引いて店から連れ出す。
そして町を走り、人通りの少ない横道に駆け込んだ。
「は、あははは。すごいねシオン。あんなに怒鳴られて堂々としてられるなんて」
「いや、あの女将は口だけだ。威嚇しかできない手合いには、引くだけ押し込まれる」
「あ、また言葉固くなってるよ。いやぁ、でも他のお客も腰上げるくらいだったのにさ」
シオンは笑うメイを見て口調をやわらげた。
「迷惑、だった?」
「ううん、全然! 思ってたこと言ってくれてちょっとすっきりした」
「思っていたなら、あそこから離れるべきだと思うよ。よく働いて、気も使って。それなのに何も認められない場所なんている必要はないと思う」
シオンの言葉にメイは苦笑する。
そこには自嘲も浮かんでいた。
「そう、だよね。うん、受け身すぎたかな…………」
メイは頷きつつ、寂しげに俯く。
シオンが声をかけようとすると、大きな声で話しながら通り過ぎる町人がいた。
「おい、また東で勇者がひと暴れだとよ!」
「お、何処の勇者だ? いつもの僧坊か?」
通り過ぎる言葉に、シオンは首を傾げる。
「メイ、勇者って何かな?」
「あ、記憶ないからわかんないか。えっとね、魔王を倒そうって海の向こうから来た人たちのこと」
「それは、勇ある者と呼ぶの? 王を倒すのは、逆賊とは言わない?」
「逆? 魔王を倒すから勇者なんだけど、うーんと、そう呼ばれてるのしか知らないんだよね。あ、でも魔王が他の国に迷惑かけてる噂なら私も知ってるよ」
シオンは冷静に、王の下の秩序を犯す存在に勇ましさを称えるのは違うと考えていた。
しかし実害があるとなれば話は別だ。
「他の国から人を攫うんだって。それで、この国から適当に人を追放することもするって聞いたかな」
「それは、何故かわかる?」
「さぁ? さすがに魔王になんて会ったことないし」
メイが知るのはただの噂だ。
その上で魔王軍の悪逆は身に染みている。
軍があれなら魔王もと思う心が働いていた。
「逆らったら、家族もみんな獣の餌にされるとか、魔王自身が食べちゃうとか」
「逆に何故それで王をしていられるの? 国の外から人が来るのもおかしくない? 誘拐された人を助けるんじゃなく、魔王を倒すの?」
「う、そう言われればそうだね。拉致された人は助けたいはずなのに」
結局メイも聞きかじりで答えはなかった。
その上で思い出して手を打つ。
「そうそう、なんか勇者って予言に書いてあるんだって」
「予言?」
知らないわけではなく、知っていてシオンは困惑した。
ただ、知っていると思ったことが霞むように消える。
シオンは片手で頭を支え集中するが、知っていると思ったはずのことがもうわからない。
そんなシオンに気づかず、メイは道行く人を見ながら話す。
「昨日見せた顕現。あれって、この世界の人が誰でも持ってる力なんだ。魂とかその人の心とかを形にするものなんだって。で、そういう力の中には戦うことができる刀だったり斧だったりがあるの。私の領巾みたいになんに使うかわからないものあるけど、中には予言とか占いができる力の人がいるらしいんだ」
「あぁ、だから私が何も出せないのを、記憶喪失だからと」
「うん、シオン自分が誰かもわかってないんじゃ、心を形にするなんてできないでしょ」
「どうやるかは教えてもらえる?」
「いやぁ、それが私も最初できなくて。で、なんかの拍子に領巾が出てさ。これもどう使うか今もよくわかんなくて。妖魔が出た時に領巾出したまま逃げたら足は速くなったんだ」
「妖魔、は、知ってる」
「あ、襲われたことある? なんか急に出てくる角の生えた動物。びっくりするよね。必ず人間襲ってくるって言うし、攻撃的な顕現を持ってない人は、町からも離れられないんだ」
町の様子から目を逸らし、メイは自分の手を見て言う。
何もないが、シオンも真似て自分の手を見る。
(肉刺も何もない。だが、確かに私は太刀の振り方を知っていた。私は、誰だ?)
シオンは手を握って答えのない自問を振り払う。
「予言はつまり、誰かの顕現という能力?」
「ううん。勇者が魔王を倒すって予言は、巫女って人が言ったんだって。この国のどこかに予言が書かれた巻物が隠されてるとかなんとか」
「隠されているのに、わかるの?」
「魔王が自分に不都合な予言だから隠したって噂だよ」
聞きながら、またシオンは頭を押さえて考える。
(巫女も聞き覚えがある。なのに、勇者も魔王も私は知らない)
まるで穴の開いたような記憶だ。
虫食いに記憶が侵されたような気持ち悪さがあった。
死線を感じて見れば、メイはシオンを真っ直ぐに見つめている。
その目が自らが今ここにいることを、自らさえ喪失したシオンに実感させた。
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