三十九話:勇者の九郎3
魔王の城へ、アヤツが敗残兵をまとめて戻った。
勇者の下、首実検をした兵も収容し、カタシハの訃報を持っての帰還だ。
広間で、深々と頭を下げて報告するアヤツに、魔王は黙って聞いている。
ただ控える臣下はそれどころではない。
隣り合う者たちで不安の滲む囁きを交わし、勇者という敵を改めて認識した。
「まさか大将が、反抗勢力如きに負けるとは」
「それほど勇者は強力な武力を持っているというのか?」
「いや、予言が二つ出たのだ。それを利用したのではあるまいか」
「そうだ、そのせいだ。予言があるせいで…………」
「なんと怖ろしい。それでは陛下の御身もいずれ予言のとおり?」
巫女の予言は、状況を整えれば現実になる確定した未来。
今までは言い伝えだったが、その実例としてカタシハの死が起きた。
空に浮かぶ予言を見た者は、夜一人で勇者に囲まれたという状況で予言の効果を確信する。
カタシハの強さは知れていたからこそ、倒されるなど想像もしていなかった。
それ故、訃報に接した者たちの狼狽は強い。
それ故、これまで不動だった魔王さえ揺らぐのではないかと疑いが湧いた。
「全ては、敵の誘導に惑わされた、私の落ち度でございます」
アヤツは忸怩たる思いを言葉に乗せて、魔王へ告げる。
「もっと早くに戻り、退くよう進言していれば…………」
そんなアヤツに、魔王は気のない様子で呟いた。
「…………カタシハめ、惑わされたか。愚かな」
魔王の呟きに誰もが息を呑む。
大将として今まで勤めたカタシハは、誰より魔王に忠実だった。
その死に対してくだされたのは、愚かという侮蔑の評価。
報告に接して、カタシハの補助をしていたトノも顔面蒼白となる。
その上で、魔王の言葉には息を詰めて口を引き結んだ。
「なんと怖ろしい、やはりあの方には情などないのか」
「大将も甲斐のないことよな。身命を賭したというのに」
ただ魔王を責める声に、トノは言葉を上げた。
「魔王さまの兵を棄損し、自ら報告も謝罪もできぬは恥。大将の死して残る悔恨を、自らの主を責める言葉にすり替えるとはなんたる不敬!」
トノの叱責に臣下たちは気まずそうに目を逸らす。
魔王はそんなやり取りにも興味ない様子で、脇息に腕を突いているだけ。
トノはやり場のない感情と共にアヤツを睨んだ。
「またアヤツさま、あなたも本来のお役目を果たせずおめおめと帰還した謝罪がまだでございましょう!」
「もっともなことだ。陛下には、許しを請うことも恥ずかしくてできぬ」
「何をおっしゃるのですか! すぐにでも兵を立て直して今一度汚名を雪ぐ機会をいただけないかと言を上げるべきです!」
トノはさらに言い募った。
「カタシハさまのご威徳に報いるため、己こそはと名を上げる者もいない体たらく! こうなれば私が!」
黙り込む臣下にトノが膝を滑らせて前に出る。
しかしそこでようやく魔王が手を振って見せた。
「良い。害虫が騒いだところでうるさいだけだ」
臣下を害虫と呼ぶ魔王は、トノを見る。
アヤツも声をかけられないことに頭を下げたまま苦い表情だ。
三傑と呼ばれようとも、失敗した上では害虫と同じとみなされることも覚悟はしていた。
「トノ、いや…………宮松」
「は、ここに」
トノは名を呼ばれて応じる。
予言に松柏とあるのを、トノはカタシハと共に見た。
その時に、互いに顔を見合わせもしたのだ。
予言にある柏と松は自らの名ではないかと。
ここで正しく名を呼ばれる意味を、トノも察する。
「貴様は、国と世、どちらを重んじる?」
トノはもちろんアヤツも、他の臣下も魔王の問いの真意がわからない。
ただ問われたとなれば、答えなければならない。
(予言に関しての問い。世は、月影のさやけさよこそ闇けれに関わる? では国は? いや、何処かに比喩が?)
考えても国に当たる部分はなく、トノは別の予言に意識を向けた。
(いや、私に関わる予言なら、まばゆき松柏焚きてえるべし。選る、選べと? 私が身を投じるべきは国か、世か?)
トノはじっと考え、そして考えるまでもない答えを口にする。
両親が死んだ時に、従うべきは情でも心でもないとトノは定めていた。
「我が君の世こそ、我が身を賭して重んじるべき事柄であります」
魔王は忠誠を言葉にするトノを見下ろす。
ただ沈黙が広間に広がった。
誰もが魔王の答えを待ち、じっと身じろぎすら控える。
「…………であれば、好きにせよ」
またも魔王からの応答は簡素な言葉だった。
ただ続きがある。
「カタシハの後任は貴様に任せよう」
瞬間、トノ自身驚きに顔を上げた。
それ以上にその場の臣下は揃って慌てる。
「お待ちを! 何故経験のない者にそのような重大な役目を!?」
「それはあまりにも、あまりにも前例のないことでありまする!」
「カタシハの後に無力な者など、おやめくだされ! それでは国が乱れます!」
「それこそ力は確かな三傑からお選びになるべきではございませんか!?」
大将に次ぐ戦果のある三傑こそ、カタシハの後任には相応しいと方々から声が上がる。
三傑の一人であるアヤツは言葉もなくトノを見た。
トノは驚きから決意の顔となり、改めて深く頭を下げる。
「ははぁ! 拝命いたします! すべては陛下のおんために!」
怒涛の成り行きにさらに臣下は騒ぐ。
その中で、一人魔王の臣下でもなくその場に侍る者は、気軽に無礼に口笛を吹いた。
「ひゅー、またずいぶん思い切ったことをするね」
恐れもなく魔王に言うのは、勇者のツキモリ。
トノは睨むが、今は反対する臣下を鎮めることに切り替えた。
魔王に任せられたなら、邁進する以外にトノが選ぶべき道はなかった。
それも止めず、ツキモリも気にせず、魔王はアヤツに声をかける。
「二を呼べ」
「カサガミですか? 失態を犯した私ですが、どうか今一度…………」
言い募ろうとするアヤツに、魔王は最後まで言わせなかった。
「ならん。フタを勇者の討伐に向かわせる」
その声に、トノも臣下もまた驚きに黙ってしまう。
三傑の一人カサガミは、魔王軍の将でありながら、軍は連れずに現れる。
ただその強力な顕現で敵を確実に殺すのだ。
個人の強さで言えばカタシハに劣るが、ただ殺すことに関しては勝る存在であった。
「では…………せめて、兵を持たぬカサガミの、補助をお許しください」
アヤツは考え、汚名を雪ぐために勇者との戦いに関わろうと言葉を選ぶ。
自ら同輩の補助に回るという、一段自らの格を落とすような言葉。
そうして反省の姿勢を示すアヤツだったが、魔王はそれも許さなかった。
「それもならん。カタシハがない今、兵を統率しトノを助けよ」
魔王の命令に、臣下たちはざわついた。
つまりトノという実績の足りない新たな大将を助けるようにと、アヤツに命じたのだ。
敗走し、戦場に出ることも許されず、格下に従うことを命じられたアヤツに、臣下の中には失笑する者もいる。
トノとしては助かるが、アヤツを信頼していない以上、従うとは思えなかった。
(どうせ、いつものように上手く口を使って、嫌な役目からは逃れるのでしょう)
トノとしてもアヤツを介して兵を使えるのならば、軍の掌握にかける時間は少なくて済む。
実務の上ではカタシハを補佐していたため、書類仕事に支障はない。
トノにとっての問題は、実績のない新たな大将に従うかどうか怪しい兵の統率だった。
しかしトノの予想に反して、アヤツは従容として答える。
「拝命、致します」
耐える様子で口にする言葉に、トノは驚きアヤツを凝視した。
様子を窺っていたツキモリも、眉を上げてアヤツを貶めるような命令をする魔王を見る。
全く動かない魔王の横顔から、何かを読み取るように見つめ続けていた。
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