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三話:喪失者3

 蒼々とした草原の上に広がる、白い空は微かに色づく。

 シオンとメイは足早に出会った場所から離れ、無人の畑の横を歩いていた。


「シオン、けっこう容赦ない人?」

「さて、わからないが。感謝のない者にかける情けはない」

「うん、確かにそうだね。けど、魔王軍はまずいなぁ」

「魔王軍もだが、あの男のような性根の歪んだ下郎は多いのか?」


 知識の足りないシオンの問いに、メイは別のことが気になる。


「珍しくはないけど。なんだかシオンって喋り方固いよね?」

「そう、かもしれない。メイとは言葉が違っている」

「ちょっと特徴的過ぎるから、私みたいな喋り意識してみない?」

「メイ、みたいな。話し方、いや、喋り…………」


 じっとメイを見たシオンは頷き、答えを返した。


「いいよ、そうする」


 写し取るように同じ喋り方を意識して。


「それでさ、メイ。何処へ向かってるの?」

「おぉ、すごい。シオンって演技派?」

「その言葉はわかんないよ」

「ま、いっか。えっとね、ともかく私が今住んでる町。何もないあそこにいるよりも見つかりにくいかなって。それに、人がいる所行けば、シオンも何か思い出すかも」


 メイの気遣いにシオンは空を見上げて嘆息した。


「空の色もわかんなかったからね。少しでもわかることは増やしたいな」

「空ねぇ。青空なんか見たことないし、雲の上って何色してるんだろ?」


 メイの疑問にシオンは改めて空を見上げる。


(あおぞら? 空が青い? 雲の向こうを見たことがないのか、あるのかわからないな。これは私が忘れているからか?)


 薄い雲に覆われた空は白く、透ける光は淡く色づいていても紫や赤、黄色が躍る。

 青を思わせる色などない。


(色と言えば)


 シオンはメイに目を向けた。


「私を見つけた時、近くに黒髪の誰か、いなかった?」

「黒髪? この辺で見たことないなぁ」

「見たことがない? よくある色じゃ、ないの?」


 シオンの困惑に、メイが何かを察したように真剣な声を出す。


「ねぇ、シオンってどこ出身?」

「出身? 覚えがないのに答えられないよ」

「本当に? ここが何処かわからないだけとかない?」

「ここが何処かも、自分が何処で生まれたかもわからない。なんなら、自分の顔もわかっていないし」

「え、あ、そうか。鏡なんてないしね。うーん」


 考え込むメイは、シオンの顔を見てまた別のことを告げた。


「シオン、綺麗な顔してるから気をつけてね。髪の色は白で、目は灰色してて、だいぶ儚い感じのキレイ系」

「それは、褒められてる、でいい?」

「褒めてる褒めてる。けどそういう人ってやっぱりさっきの奴らみたいなのに目つけられやすくてさ。町の中だと人目あるからましだけど。自分でどうにかしないといけないから」


 メイはどこかやさぐれた風情で唇を尖らせる。

 嫌なことを思い出しているのか、眉間に力がこもった。

 ただシオンの視線に気づくと笑顔を作って見せる。


「で、さっきの感謝しない奴も普通にいるし。だから、シオンが人助けするって言ったのすごいと思ったんだ」

「そう、なの? すべきだと思ったんだけど」

「うん、すごいことだよ。この世界、助けるなんて当たり前じゃないから…………。本当、すごいそんな当たり前が、当たり前に言える人、いるんだって」


 メイは呟くように、噛み締めるように言うその声は、シオンに聞かせるものではない。


 察してシオンも、浮かんだ疑問をぶつけることは自重した。

 遠くに見える石を積んだ道のような何かの上に、木を横にして、金属が敷かれている。

 知るもんゴア見れば線路だと教えるだろうものも、シオンにとっては初めて見る心地しかしない。

 そしてメイの発言の意味も、半分程度しかわからないのが現状だった。


(意味がわからないのは私が忘れてるせいか、メイが特殊なのか。この世界とはまた、ずいぶん広い視野のように思えるが、はて)


 ただシオンにわかるのは、メイが悪人ではないこと。

 そもそもシオンを心配して声をかけ、こうして共にいてくれている。

 危険に遭っても一人で逃げることはせず、不条理に怒りの声を上げていた。


(何より、怒れるのは正常な証だ、と思う。私には怒る余裕がない)


 何が正しいのか間違っているのか、そんな基準さえシオンにはない。

 魔王軍だから許される暴行であるなら、怒る理由はない。

 男が行った手段が、卑劣ではなく知恵を駆使した聡い方法であるなら改めるべきは自らだ。

 判断基準となる記憶がないため、シオンは相手が不正だと断じて怒れないでいた。


(基準を、メイにしてしまっていいだろうか)


 基準がなく、違和感があれば迷う。

 ただそんな中にも、原初的な快不快は存在する。

 シオンからしても、出会った赤茶の髪の男も魔王軍も不快に寄る存在。

 それで言えばメイは快い存在だった。


(真似て悪いことはあるまい)


 そんなことを思いつつ、メイに話を聞きつつ、シオンは初めての町に辿り着いた。

 町は真っ直ぐな路面に平屋が並び、黒い瓦が続き、木の壁が連なる。

 人が行き交い砂埃が舞い、声を張り上げるのは男女の別なく騒がしい。


「本当に黒髪はいないんだな。…………あの布が張ってある建物はなんだろう?」

「商家のこと? だったら日避け暖簾かな」


 シオンは初めて見ると感じるものが多く足が鈍るが、メイは袖を引いて先を促した。


「もうすぐ夜になるし、私が寝泊まりしてるところに案内するよ」

「そんな時間なのか…………」

「けっこう町から離れた場所だったからね。そろそろ空が赤くなるんじゃないかな」


 メイが言うとおり、西の空は橙色に染まり始めている。


「つるべおろし? とかなんとか」

「夕日は釣瓶落とし、かな。日暮れが早いっていう意味で、井戸の桶のこと」

「あ、そうなんだ。夕方になると、釣瓶落としだからとかなんとか言われて、なんだろうって思ってた」


 シオンがメイに教える。

 記憶喪失で困ったシオンを、助けたはずのメイが。


 立場が逆転したおかしな状況に、お互い見つめ合うと、メイはばつが悪い様子で呟く。


「えっと、その、実はあんまりもの知らなくてさ、私」

「だったら今から覚えればいいよ。少なくともメイは人としての心はちゃんと知ってる」

「そうかな、うん、そうだね。心ない人にはなりたくないかも」


 メイはそう言うと、シオンに沈黙を促して指を立てる。

 そのままとある店の裏手へと回った。

 さらに人の目を盗んで内部に入ると、勝手知ったる様子で階段箪笥を上がって屋根裏へ。


「ここが、私の寝床。下から水汲んでくるから適当にしてて」


 メイはシオンを置いて降りて行く。

 その姿は来た時と違って隠れる様子はない。


(私を招き入れるために忍んだのか。今日、出会ったばかりなのだが、な)


 暗い屋根裏には隙間から差す光だけで見通しが悪い。

 物が適当に詰められ、物陰が多いが狭さはわかる。

 奥へ行けば、古箪笥などを壁代わりにしたせんべい布団が敷かれた一角を見つけた。


 戻ったメイは水と手ぬぐいを持っていた。


「あ、袴とか脱いじゃって、そこの衝立代わりの戸板にかければ皺にならないよ」

「寝床はここだけ? だったら私はそっちの行李を枕にして」

「え、一緒に寝ようよ。大丈夫、シオン細身だから行ける」

「いや、その…………」


 シオンは困る。

 自認は男なのだが、それも記憶がないことと現実に即していないため揺らいでいた。

 自分は何者かが知れないが、少女と狭い布団をわけ合うことには抵抗がある。


(もし男であればこれは同衾だ。それは善意のメイに悪いことではないか?)


 ただ男と言っても体が女であることも事実。

 何故男だと思うかすら、シオン自身わからない。


 言うべきことを迷っている内に、シオンはメイに袴から水干から脱がされる。


「あれ、下の着物の裾の形違うね」

「えっと、単衣の下は小袖だよ」

「小袖? けどこっちも裾っていうか、襟のとこが裾まで伸びてないし。不思議な形」

「あ、待って、自分で脱ぐって言うか」


 小袖まで脱がされそうになり、シオンは慌ててメイを止めた。

 メイは自分で脱ぎ浴衣姿になり、シオンは目のやり場に困る。


 結果、自分の性を悩みつつ、シオンは布団に入ることでメイの下着姿を見ないという選択を取ったのだった。


連続更新

次回:喪失者4

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