十四話:魔王2
魔王軍の中で身支度をされていたシオンが呟く。
「音が変わった。たぶん、来たみたい」
シオンの言葉は聞こえていたが、メイは俯いて着替えを続けた。
控える女性たちに手伝うと言われたが、二人揃って辞退。
別々に衝立の中で着替えを行っていた。
(シオンって、誰なんだろう?)
メイは今さらな疑問をぼんやりと考えた。
戦い慣れているのは珍しいことではない。
妖魔と呼ばれる獣よりも危険な生き物が跋扈しているのだ。
町の外に行くなら戦いは必至となる。
戦えない者は町からも出られないまま、一生を終えるのも難しくない。
メイの領巾は戦いに向かないと思われるが、力を強め能力は足の速さも上げた。
それを使ってメイは逃走という移動を可能にしていたのだ。
(シオンも、私と同じだったりしないかな…………)
メイはそんなことを考えて手が止まる。
生まれた時から、自分だけが違うという自覚がメイにはあった。
だからこそ、日々を過ごすことは苦痛で、違う人々と交わるのは徒労だ。
自分一人だけという孤独と、一人だからこそどうにでもなれという投げやりさ。
そんな中、シオンが初めて同じかもしれないと思えた相手であり、縋るように連れ帰ったことに、少しの罪悪感がある。
巻き込んでしまった、と。
メイが思考に沈んでいると、シオンの不安げな声が聞こえた。
「うん? すみません、この靴の履き方は?」
普段泰然自若としたシオンが、靴も履けないという記憶の抜けで弱った声を上げる。
メイは完ぺきではないからこその微笑ましさに笑い、自分も靴へと手を伸ばした。
「…………う、私も、すみません」
同じく靴の履き方がわからない。
(ブーツならチャックあると思ったのに。何これ、ボタン? え、めっちゃ固い)
メイの所にも世話役の女性がやって来て、跪いて靴を履かせる。
メイはいたたまれない思いでされるまま。
(この感じだと、この世界ってチャックないよね。変なこと言わないようにしないと。シオンは記憶喪失で誤魔化されてくれてるけど、ホオリとかカガヤとか。それに、魔王とか)
メイは、から打ちするような心臓を押さえる。
シオンが音と言ったのは、外の慌ただしい足音や人が動く音のこと。
さらには魔王軍の陣営で喇叭の音が鳴るのは、魔王の招来を告げることもわかっていた。
しかも着替えは魔王に会うためにしていること。
「あ、あのぉ。私たち、カガヤをちょっと手伝っただけで。それで、えっと、まお、大王さまに会うようなことは…………」
「決められるのはお上でありますので。それと、貴人に対してさまと呼び掛けるのは、敬意を損なうものであり、尊称を使うべきです」
「そ、尊称?」
叱られた上で決定事項と取りつく島もなく、メイは戸惑う。
そこにシオンが応えた。
「では、すめらみこと、とお呼びすべきか?」
「すめ? シオン、どういう意味?」
「む、統治者の尊称だった気がしたんだけど…………」
衝立の向こうでシオンも困ると、世話役は答えを教える。
「本来呼びかけるようなこと自体が不敬であります。その上で尊称であれば陛下です」
「許しがなければ喋ってはいけないのは、なんとなく覚えている気がする」
「シオンの記憶って確かに穴って感じなんだね」
自分の知識に困惑するシオンに、メイは少しの安堵を得る。
上手く生きていけないのが自分だけではないという後ろ向きな考えだったが。
世話係はそれ以上無駄口はせず、靴を履かせた後は着替えを手伝い済ませる。
(凛々しいのに、ふわふわしたところもあって。ちょっとシオンに和むなぁ)
メイは緊張を圧し込めるように笑って衝立から出る。
用意された衣服は、勿忘草色の振袖に瑠璃色の飾り紐、白鼠色の袴にブーツ。
頭には白藍の髪飾りが結われた。
「清廉で、メイの心持ちに沿う装いだと思う」
「え、う、そ、そんなことないよぉ」
衝立を出たシオンが、微笑んで褒めた。
メイは恥じ入りつつ、シオンの装いも見る。
白地に桔梗色の霞模様の振袖には、黒みを帯びた紫の帯が合わせられていた。
菖蒲色の筒袴が緩い裾から覗き、紅の飾り紐のブーツへ続く。
太刀も変わらず携えられており、戦う者としての風格があった。
「わ、わぁ。私よりかっこいい」
「ありがとう」
シオンはメイの誉め言葉に余裕の笑みを返す。
「では、ご用意できましたのでどうぞ」
「え、は、早いよ。まだもうちょっと心の準備をですね」
メイが慌てて手を振ると、その手を取ってシオンは言った。
「いっそ早く終わらせたほうがいいかもしれない。行こう」
握られた手にメイは強がりでもなく口元が緩む。
一人ではないという状況が頼もしく、メイはシオンの手を握り返した。
陣幕の張られた中へ案内され、シオンとメイは黙々と歩く間なんの説明もない。
ただ捲くられた陣幕の中には目立つカガヤの姿がある。
カガヤも着替えた二人の姿に頷き、得意げに陣幕の奥を振り返った。
「ご紹介いたします、我が君。この者たちが私と共に鬼女を討伐した者の内二人…………跪きなさい」
立ったままだと気づいたカガヤに言われ、シオンは片膝をつく。
メイもそれに倣うが、シオンのように決まらない。
理由は慣れない姿勢以上に、カガヤが我が君と呼ぶ相手、魔王がいるという緊張感による。
荒々しさのない静かな姿で座る魔王だが、そこに慕わしさや和やかさなどない。
冷ややかで無機質差を感じるほどに動かない、壮年を過ぎた赤髪の男だった。
年齢的に衰える頃のはずが、静かに圧する空気が誰の上にも広がる。
魔王が目を動かしたことで、メイは慌てて視線を落とした。
「この者、か」
「我が君、お喜びください。あの忌まわしき鬼どもが闊歩する度にご足労いただくこともなくなりましょう。この者たちとこのカガヤが揃えば、我が君のお力と成れます」
カガヤは表情はもちろん声も嬉しげで、今までになく上機嫌だった。
何より頬を紅潮させて魔王を見つめる浮かれ具合は、年相応の少女らしさがある。
そんなカガヤ相手にも、魔王は不動。
秋波を送るカガヤを邪険にする様子もないが、特に反応を示すこともない。
ただ、じっとメイを見ていた。
「貴様、巫女だな」
魔王のひと言でメイは肩を跳ね上げる。
その言葉に、魔王の部下もカガヤも殺気立った。
シオンだけは知識が足りないため反応が遅れるも、魔王が見据えるメイへと目を向ける。
(確か、予言をした? いや、魔王を倒すのに必要な勇者と共に語られるほうか?)
シオンにも視線を向けられ、メイは半端に笑って見せる。
さすがにあからさまな反応の上で白を切ることは難しかった。
何より、魔王はメイの返答など聞いていない。
巫女だと断定したのだ。
「であれば、鬼を倒すのも道理」
「巫女? 巫女ってあの予言の? メイが?」
カガヤに睨まれ、メイは黙る。
だが、魔王がメイに詰め寄ろうとしたカガヤを止めた。
「カガヤ、やめよ」
「しかし我が君! この者は我が君に害成すやもしれません!」
「それは、刀乃のものだ」
「あ…………」
魔王の言葉にメイが声を漏らす。
カガヤも告げられた名に勢いを弱めた。
「あぁ、そうでございましたね。十六年前に生まれた巫女なら、トノの、妹」
カガヤに言われてメイは肩を震わせる。
(そっか、あの人…………魔王の下についてるんだぁ)
メイは動揺しながら、俯くしかない。
何を言うこともできず、何か言いたいことがあるわけでもない。
ただ突きつけられる視線が怖かった。
地面についたメイの手に、シオンはただ手を重ねる。
何も知らない、ただ気遣いの思いで添えられた温かさにメイは震えが収まった。
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