十話:勇者の火織2
「誰かー!」
誰かが助けを求めて叫びをあげた。
シオンは太刀を握ると走り出す。
その後ろ姿にメイは笑った。
「シオン、覚えてなくても正しいことを知ってるんだと思う」
「それはすごいな」
「えへへ、私シオンのあんなところ好きなんだ」
言って、メイはシオンの後を追い、ホオリも遅れず続く。
「記憶は失くしても、義侠心は忘れてない、か。メイも同じ志を持ってるのだろうな」
「えー、私はそういう風に教えられたから? けどシオンは覚えてないのに人助けするし。それって、心から思っての行動で、すごいと思うんだ」
「教えられても行動に移すのは難しいだろ? 特にこの国では。こうして後に続けるだけでもメイは誇っていいさ」
ホオリの言葉にメイは一度照れ、そして思いついた様子で聞いた。
「って、他の国は、違うの? 助けた途端に裏切られない?」
「少なくとも、この国の人間の質は他の陸にある国と比べて悪いと言えるな」
ホオリの笑みに自嘲が混じる。
「助けても、何故もっと早くと責められ、助けろと縋った後には見捨てて逃げて行く奴はいくらでもいる。他の陸でもいないとは言えない」
「確かに。私も、シオンに声かけた時にそうなると思ってたんだよね。でも違った。…………嬉しかったなぁ」
独り言ちるメイに、ホオリは走りながらその背を優しく叩く。
身に覚えがある、あるいは想像して余りあるというその共感に、メイははにかんだ。
「でも、前に立つのは俺ね」
片目をつむって見せるホオリと共に、メイは立ち止まったシオンに追いついた。
「シオン! どうしたの?」
「メイ、あれは何?」
困惑した顔のシオンは太刀を抜いてはいるが、対処に迷っていた。
その足元には這う這うの体で逃げる女がいる。
他にも逃げる人々が四方八方に走っていた。
その女の向こうにはそびえるように大きな黒い影。
煤を振り落とすように舞う黒は、草に触れると途端に萎れさせる。
音もなく動くさまは不気味で、長大な体の向こうがうっすら透けるようでもあった。
「あれ、鬼女じゃん! しかも何あの大きさ!?」
「鬼女? 確かに女に見えなくもないし、角が、あるようにも?」
人の背丈の倍を超す存在に慄くメイだが、初見としか言えないシオンは首を傾げる。
茫洋として波打ち、確かな実態があるとも思えない鬼女。
ただ女のような肢体と引きずる裾のような足元、崩れるかのように下に流れる腕は振袖にも似ていた。
そして頭だろう一番高い位置には一本角にも見える突起物がある。
ただ一番目を引くのは、人なら胸に当たる位置に空いた穴。
そこを中心に崩れては形成される不安定な存在が、鬼女だった。
「あ、あぁ! 助けて!」
叫んだ女は、太刀を抜いたシオンを横目にメイに襲いかかる勢いで飛びつく。
抱き留めたメイだったが、そのまま盾にされ、鬼女のほうへと押し出された。
「こういうことだよね…………。はいはい、邪魔だからあっち行って」
助ける相手に盾にされ、さらには身代わりのように押し出される。
そんな無情な行いが初めてではない様子で、メイは助けを求めた女を追い払う。
ホオリは苦笑して、宣言どおりメイの前へ出た。
シオンと並んで、ホオリは鬼女について教える。
「鬼女って呼ばれてるが、よくわからない何かだ。触れると命を吸われるように動けなくなったまま苦しみもがいて枯れるようにして死ぬ。しかも死んだ相手は食うのか、死体は落ちた枯葉のように割れ消えて鬼女の体が大きくなるんだ」
「人を襲って食らうなら、妖魔の類ではないの?」
シオンは妖魔と呼ばれる存在があることは知っていた。
変異した獣で、好んで人を襲う害獣だ。
世界に当たり前にいる存在であり、人以外は襲わないという。
妖魔の特徴は、黒く煤に汚れたような姿と、額の角。
それは向かってくる屋根より高い鬼女にも該当した。
「いや、それが実体はないから別物だ。そして実体がないから斬りつけても意味がない」
「ではどうすればいい? このまま進むと町に至る」
シオンは太刀、ホオリが顕現として握るのは刀。
そしてシオンたちの背後へ向かおうとする鬼女の進行方向には、逃げて来た町がある。
「斬りつけるのは効かないが、こういうのは効くんだ!」
そう言ってホオリは刀を振る。
その軌道で飛ぶ炎。
焙られた鬼女は痛みを感じたかのように煤けた表面を波打たせ、金切り声のような咆哮をあげた。
「あ、すごい! 鬼女がすり減った? 逃げるしかないって聞いてたのに」
言いながら、メイも顕現を出すとシオンに領巾を巻きつける。
「刀でも、顕現なら少しは削れるんだ。だからシオンは下がったほうがいい」
記憶喪失で顕現が出せないという、心を表すなにがしかを出せないシオンにホオリが忠告する。
メイも前に立つシオンが無手に等しいことを察して、領巾を握りしめた。
「そ、そっか。ここは、私が…………!」
「メイ、慣れてないなら無理はしないで。私が、ホオリを援護できる時には言うから」
町での様子からもシオンのほうが戦い慣れしている。
そして鬼女も三人を敵と捉え、振袖のような腕らしき部分を振り下ろした。
「メイ、こっち!」
シオンが抱えるようにして回避する。
ホオリは炎を纏った刀を手に、その場から前へと踏み込んだ。
そして炎を纏った刀で、迷いなく鬼女の腕を切り上げる。
鬼女の腕に炎が走り、煤のような黒いものが吹き上がるように散り、鬼女は咆哮を上げた。
「メイ! 領巾で鬼女の腕を巻いて引っ張れる?」
「や、やってみる!」
メイはシオンの指示に従って、無事なほうの鬼女の腕へと向き直る。
手を振ると、領巾はメイの意志どおりに鬼女へと伸びた。
メイが手を掴むように動かせば、領巾は鬼女の腕に巻きつく。
ホオリを無事な手で払おうとしていた鬼女の動きは、止まるかと思われたが、予想外に激しく暴れ出した。
「うぉ!? なんだ? …………領巾を嫌がってる?」
「わ、わわ!?」
「メイ、落ち着いて。そのままこっちに引いて。それから領巾をほどいて」
シオンが誘導して、ホオリに鬼女の腕が当たらないようメイと走る。
そして領巾をほどくと、瞬間、鬼女の黒く透けるような腕がごっそりと削げた。
「え? うそぉ」
どう見てもメイの領巾で、ホオリの炎よりも鬼女の黒い体が削げ落ちた。
ただそれは鬼女から見ても脅威である。
「そっちに攻撃が行くぞ! 逃げろ!」
「メイ!」
鬼女が体を返してメイに向かって、もう一本の腕を振り上げる。
関節など感じない動きで鞭のように打ちつけた。
シオンはメイを抱えて地面に飛び、転がって避ける。
ただその後もしつこく打擲がシオンとメイに襲いかかった。
「立って! 走って!」
「う、うん!」
シオンに手を引かれてメイは逃げる。
ホオリも鬼女の目を逸らそうと炎を嗾けるが、完全にメイを狙って動き出していた。
実態がないという鬼女が打つ大地は、黒い腕に触れられたところから水分を失くしたように砂と化して干からびる。
草も枯れて虫さえ砂と散るように消えて行った。
すべての命を枯れ朽ちさせるような鬼女の手に追われ、シオンは呟く。
「触れたらまずいが…………これ以上は」
相手の攻撃範囲が広すぎて逃げられなくなるのは時間の問題だ。
シオンが打開策を探って周囲に目を向けた時、逃げられる者は逃げたはずの場に声が響く。
「はぁ!? 何やってんだ! さっさと下がれ馬鹿!」
罵倒と同時に、メイを追っていた鬼女の腕に鉄串のようなものがいくつも突き立った。
不穏な黒い靄で作られたそれに縫い留められ、鬼女は大きく動きを鈍らせる。
シオンとメイが足を止めてみた先には、勾玉を備えたカガヤが鬼女を睨んでいた。
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