第四話 王様とお話をして、世界中に広告をばらまきましょう!
「広告とな?」
眠たげだった王の目がわずかに開き、玉座に深々と座していた玉体が、すこしばかり前傾する。
「詳しく話して聞かせよ」
「はい。私は軍属の回復術士として、戦場の多くを見てきました」
「いまでは衛生兵と呼ばれているそうではないか。そなたこそが、衛生兵の始祖であろう、胸を張るがよい」
「……有り難く存じ上げます」
別段、そこにエイダの興味はないので、なんとなく感謝をしながら話を進める。
いま少女の頭脳は、どうアプローチすれば自分の語る内容が王様に魅力的だと伝わるか、それを導き出すために全力稼動していた。
王城に来るまで、散々考えていたことでもある。
わずかながら思考の時間を与えてくれた聖女に、少女は感謝してもしきれない。
「戦場では、野戦病院などの実態を目にしてきました。塹壕の掘られた前線、そこから後方に下がった位置に病院は作られます」
「無論知っておる。で?」
「私が初めて野戦病院を訪れたとき、そこは酷い有様でした」
彼女は蕩々と語る。
なにひとつ誇張することなく、ありのままの事実を。
だからこそ、凄惨で残酷な光景を。
「兵士たちは血に濡れた使い回しの包帯で患部をくくられ、汚物にまみれた病床に寝かされ、命尽きれば埋葬されることもなく野にうち捨てられていました」
「余もその惨状には胸を痛めておる。しかし、改善したとも聞く」
他ならぬそなたの手腕ではないのか?
王はそのように訊ね、少女は肯定するでも否定するでもなく首を振った。
「何故そのような事態に陥ったか……すべては、意識と物資の不足によるものです」
「続けよ。いささか食指が動いた」
「はい。まずは意識――衛生という概念です」
「……大賢者の遺産にて、その言葉を聞いた覚えがある」
さすがは王様、博学多識でいらっしゃると、エイダは素直に喜び。
「不潔な場所では、病が蔓延するということです」
と、ざっくりまとめてみせる。
すると、王は一度顎に手を当てて考え。
それから唸るようにして言葉を吐き出した。
「得心がいったぞ。包帯、シーツ、器具諸々も。それらが使い回される環境は、病の温床ということであろう?」
「その通りです」
「ならば続く言葉もわかる。そなたが行った改善とは、その意識を変え、物資を与えることであった。どうだ、合っておるか?」
「ご明察です」
エイダが正解だと言えば、王は子どものような無邪気さで手を叩いて喜んでみせた。
上機嫌の王は、そのままエイダに発言を続けるよう促す。
「すべてはいま、王様の仰ったとおり。しかし、物資は未だ心許なく、衛生についての知識は一部にとどまっているに過ぎません」
「そうなのか、大臣?」
「は? はっ……」
急に話を振られて、大臣は目を白黒させる。
彼は文官のトップではあったが、戦場のすべてを知っているわけでは決してなかったからだ。
大臣がしどろもどろにしていると、王は興味を失ったようで、少女へと向き直った。
「それで。そなたはいまの前提を踏まえ、余になにを望むと言ったか」
「広告です」
エイダは、言った。
「戦地の過酷さ、最前線で戦う者たちの命がたやすく消えゆく危機、艱難辛苦、剣林弾雨の戦場がいかなるものかを物語り――兵士たちの命を繋ぐため、汎人類生存圏すべての臣民から、物資を募集したいのです!」
唖然としたのは大臣だった。
そんなことがまかり通ってはならないと彼は考え、すぐにエイダを黙らせようとした。
だが、それを王は許さなかった。
なぜなら彼は、蒼色の瞳をついに見開き、好奇心に爛々と輝かせながら、もはや身を乗り出してエイダを見つめていたからである。
「エイダ・エーデルワイス。布告、接収ではなくてよいのか?」
「確かに、陛下がお声を上げれば、臣民たちは悉く傅き、命を含むすべてを供出するでしょう。ですが、それはなりません」
「ほう? なぜだ」
「私の使命は、命を繋ぐことだからです」
軍隊に日々の糧を強制徴収されれば、民草は怨念を募らせ、けっして兵士たちを助けたいとは考えないだろう。
だが、彼ら民草のために家族が――そう、家族のような隣人が死地に臨み、そして困っているというのならば、手を差し伸べたくなるはずだ。
それは、ヒトの善性を信じるということであり、ヒトの心の仕組みにつけ込むということでもあったが、それでもエイダは、誰もが同じものを見ることを望んだ。
そのために、戦地のあるがままを、物語として示すべきだと考えたのだ。
「なるほど。それが、広告を打つと言うことか。同情を得たいと考えたのか、そなたは?」
「いかように捉えていただいても結構です。それで、傷つき倒れるものたちの、今日の命を明日に繋げられるのなら」
「具体的には、どのようにする?」
「ギルドの派遣する、従軍記者がいます。彼らに記事を書いていただき、各地に配布してはどうかと」
「ふむ……」
王は、王座に深くもたれかかり、腕を組んで沈思黙考をはじめた。
その場にいた誰もが、口を開くことを許されない圧力が彼からはあふれていた。
時間の感覚が狂うほどの圧迫感。
やがて、王がゆっくりと口を開いた。
「よかろう」
それは、了承の言葉だった。
「エイダ・エーデルワイスの言葉、まことに愉快。よって、赦す。篤に赦す。人類世界がそのすべてに、そなたの思うとおりの広告を撒くことを許可する!」
「へ、陛下! それは」
「黙っていよ、大臣。余はすべてわかっている。その上で、このものの心意気に応えると言っているのだ。それでなお、余を諫める道理が、そなたにはあるのか?」
「……は」
王の言葉を受けた大臣は、身を縮こまらせその場から下がった。
王が、少女を見下ろす。
少女が、王を見上げる。
蒼の瞳と、赤の瞳が、まっすぐに線を結んだ。
「思うがままに生きよ。余はそなたの成し遂げる事業を、この目で見たい」
「ありがとうございます。光栄の至りです……!」
エイダはその場で、深々と頭を垂れた。
そして。
「やったー!」
控え室に戻されるなり、飛び跳ねながら喜んだ。
これで、きっとたくさんの兵士たちが助かるだろう。
223連隊たちも、そのほかの多くの者たちも。
「さあ、忙しくなりますね。まずは記者さんたちに配る、もととなる文面を考えなくちゃ……あ、そうです!」
そういえば、こういうことを前にやった仲間がいたと、彼女は、不敵な笑顔で煙草をくゆらすエルフを思い出す。
さっさと普段着に着替え直したエイダは王城をあとにし、一路戦場へとんぼ返り。
レイン戦線が仲間たち。
223独立特務連隊の元へと、向かうのだった――
§§
「恐れ多くも……よろしかったのですか、我が王よ」
エイダが去った王座の間。
大臣は、自身が忠誠を捧げる主君へと訊ねていた。
「なにがだ」
どこか浮かれた調子の王は、大臣に問いを返す。
大臣は一度息を呑み、覚悟を決めて、口にした。
「戦場のすべてを伝えると言うことは、我らに損耗がありと認めることです」
そう、それこそを大臣は懸念していた。
魔族と人類の大戦争。
これが優勢に運んでいるからこそ、臣民たちは王を称え、軍部を必要とする。
「ふん。だが、人の血があたら流れているとなれば、民草は厭戦感情をもたげるというのだろう?」
「……は」
「わかっておる。余は暗君ではない」
サンジョルジュ1世は、それらをすべて承知していた。
承知してなお、エイダの理想を聞き届けようと考えたのだ。
「あの娘がどこまで考えていたか、それは余をしても計れぬ。だが、銃後からの物資に、激賞が混じればどうなる? 民草を護る兵士たちに、その民草からの感謝が伝えられれば?」
「それは……おおいに兵士たちが生きる活力となりましょう」
「おまけに余の宝物庫も、軍の財政も痛まぬ」
「しかし……」
「みなまで言うな、大臣よ」
王は、かすかに口元をほころばせながら、大臣の言葉を制した。
「政治は余と大臣、そなたらが取り仕切ればよい。戦いは武人が勤めだ。だが、人の傷は誰が癒やす? 権謀術数では命を奪えても救えはせぬ。同情を餌にした罪の誹りなど、余らで受け止めれば済むではないか。だから、余はあれに賭けることにした」
それは、どこか祈りにも似た言葉だった。
「見ておらなんだか? あの娘、余の浄眼を直視して、怯みも物怖じもせなんだ。なんと肝の据わった娘かと、うれしくなったわ」
「…………」
「だが、気に入ったのはそこではない。よいか、大臣。机上にて大勢の命を奪う余らは、いずれ歴史に裁かれる悪ぞ」
王は語る、己の治世を。
そして、理想を。
「この世は善の善なるものによって運営されているわけではない。悪なるものは絶え間なく、邪なるものは決して消えることがない。いまとて、余は激賞を偽装しても同じ効果があがるだろうと考えておる」
だが。
「それでも、エイダよ。エイダ・エーデルワイスよ。そなたのように、まっすぐ歩き続けられるものがいれば」
あるいは。
「いつかは、この世界から、争いが――いや、妄言が過ぎたな。忘れよ、大臣。戯れ言だ」
「――は」
かくて、王と大臣は、誰にも聞かせられない話を終える。
そのまま、山のようにある執務へと戻っていく。
ただひとかけら、潔き少女に、希望を委ねて。
「余は、そんな世界を、見てみたいぞ」
夢見るように、そっと。




