砂の民、黒い球
試練は、乗り越えるためにある。
校長「私が留守の間、部下が失礼しました」
そう言って申し訳なさそうに牙を収縮したのは、ドワーフの校長先生だった。
子狸「いえ、そんな」
出張から戻ってきた校長先生に、子狸さんは救われたのだ。
ここは校長室。室内には得体の知れない機材が点在していて、壁には幾つものモニターが設置されている。
校長「悪く思わないでやって下さい。彼らも教師ですから。子供たちに何かあってからでは遅い、と」
穏和な口ぶりに。
同じ校長先生でも、王立学校とはぜんぜん違うのだな、と子狸さんは思った。
子狸さんが籍を置く王立学校の校長先生は、人当たりがきつい苛烈な性格をしている。いつも忙しそうにしていて、黒い交際の噂……もある。
年長者に頭を下げられて恐縮するしかない子狸さんに、ドワーフの校長先生は安堵したように面差しをゆるめた。
全身をびっしりと覆う、黒い――鱗。ドワーフの、色。
本来の、生まれ持った鱗の色は青いが、成人するにつれて黒くなっていく。深く、冷たい海の色だ。
砂魚と。そう呼ばれることもあるドワーフは、砂漠を泳ぐ人間たちだ。
砂との摩擦で鱗はすり減り、薄く、より強靭に、しなやかさを獲得していく。
子狸さんは意を決して尋ねた。
子狸「あの。おれを喚んだ子たちは……」
ずっと気になっていたのだ。
あの子供たちは、犬の召喚に失敗して子狸さんを招き寄せた。
単独召喚では起こり得ない、国境を越えたそれ。何かしらのイレギュラーによるものだろう。
王都「…………」
校長先生は穏やかに微笑んでいる。
校長「ああ、紅白戦かな。君が召喚された経緯は聞きました。劣勢を跳ね返すために喚んだと」
ドワーフは武器商人を生業とする一族であり、幼い頃から武器の扱いを叩き込まれて育つ。
将来扱う商品に精通するためには、じっさいに使ってみるのがいちばん早く、そして確実だ。
だからドワーフの学校では、定期的に実戦を模した模擬訓練を行う。どちらかと言えば、サバイバルゲームに近い。それが紅白戦だ。
今回、子狸さんを召喚したのは劣勢に立たされた紅組だ。
部隊壊滅の寸前まで追い込まれたから、相手の意表を突くために不確実ではあるがセオリーにはない索敵手段を欲した。つまり優秀な猟犬を召喚しようとしたのだ。
もしかしたら子狸さんは逆転の一手になり得たかもしれない。
子狸さんの、冒険者としてのポジションは遊撃手だ。勘の鋭さ、俊敏性に優れる。
校長「紅組、白組の振り分けはランダムで行っているのですが、今回はだいぶ戦力比が傾いたようです」
戦力比を均等化しないのは、負け戦から学ぶこともあるからだ。逆境で思わぬ才能を発揮する生徒もいる。
校長先生は、紅白戦の結果について明言を避けた。
もちろん敗北したのは紅組だったのだが、そのことで子狸さんが責任を感じる必要はないと思ったからだ。
校長「今回の紅白戦……。あれくらいの年齢だと、やはり傀儡球の適性がある生徒が目立ちますね」
傀儡球というのは、所持者の意思に従って自由自在に宙を駆ける小さな球のことだ。扱いが難しく、使いこなすにはとくべつな才能を要する。逆に言えば、才能があるものはあっさりと使えるようになる。
ドワーフは「器用」な民族だと言われるが、それは生来の資質とは異なる。彼らに備わる「器用さ」は、たゆみない修練によるものだ。
有機生物には容量の限界というものがあり、複雑な機構の武器を生まれ持つ種族は居ない。
だから、武器を扱うことに対して強烈なモチベーションを保てる種族がもっともうまく武器を使えるようになる。
ドワーフがそうだ。
長い歴史を持つから他国の信頼を勝ち取ることができたし、ひいては顧客の獲得につながった。
央樹国に絶対の忠誠を誓っているということは、私利私欲に左右されにくいということでもある。
校長「ああ、傀儡球というのは……」
校長先生は片手を上げると、囁くように詠唱した。握り込んだひれをゆっくりと開くと、小さな黒い球がころころと机の上に転がる。
校長「これがそうです。ポン=ポコくん。君なら使いこなせるかもしれませんね。試してみますか?」
子狸「これは……」
子狸さんは前足を器用に使って傀儡球を集め、日に透かして眺める。精霊の「核」に酷似した、小さな黒い球。
前足の上で転がしてみると、重心が一定ではないことに気が付く。砂時計を引っくり返したときみたいに、わずかな重みの変移がある。
央樹国が南砂国に下賜した究極の一端がそこにあった。
ふっ、見くびられたものだな……。王都のひとが内心であざ笑った。
使いこなせるかもしれない、だと? 甘く見てもらっては困る。
魔法は人間の願望を映し出したものだから、最先端の科学技術と似通った面も出てくる。
似たような魔法があるから、傀儡球の操作は子狸さんにとって決して難しくはないということだ。
校長「どうです?」
校長先生はにこやかに微笑んでいる。
部下によれば、この子狸は魔法使いであると言う。使ったのは、召喚魔法ではないとも聞いている。
つまり、この国の生まれではないということだ。
――ならば、いったいどこから来た?
傀儡球の扱いを見れば、ある程度は正体をしぼれるだろう。歴史が長くなればなるほど、魔法は特定の分野に特化していく傾向がある。自分たちの召喚魔法がそうであるように。
校長先生は、好々爺然として傀儡球の使い方を説明する。
校長「遠隔操作型で、いちばん怖いのは乗っ取られること。ですから、傀儡球は電子的に……アナログな処理を施されています。放り投げると、細い糸が指につながる……と考えて頂ければ結構かと」
細かい理屈は省くが、インターネットにつながっていないパソコンを外部から遠隔操作するのは不可能ということだ。
安全に遠隔操作する技術がありながら銃器が廃れていないのは、傀儡球による支配を免れるためだ。
自然科学を用いる技術にはやはり限界というものがあり、自ずと最適解が導き出されるようになっている。
傀儡球が丸いのは、最速、最短で対象に取りつき、意のままに操るためだ。まっすぐ飛ばすだけなら相当なスピードが出るから、わざわざ先端を鋭利にするなどして殺傷力を高める必要はない。
……もっとも竜人族には利かないが。あの連中は身体に穴が空いても平気なので、殺傷力を高めたところで意味がない。竜人族の外皮は、自らの増殖を一定の域にとどめるためにある。生きるということの生々しさをぎゅっと凝縮したような生命体である。
竜人族ではないというだけで、校長先生は子狸さんに優しくなれる気がした。脆く、儚いということはこんなにも美しい。竜人も、脆いと言えば脆いが。脆いと言うよりは漏れるように身体ができている。
生命の神秘について思いを馳せると、どうあっても竜人族に行き着くかのようだ。校長先生は強張った眉間を解きほぐすように、ぞろぞろと牙を収縮した。出張中、体内に入り込んだ砂が排出され、さらさらと口の端から零れる。
はたして子狸さんは頷いた。
子狸「なるほど、それなら」
傀儡球は、オプションと呼ばれる魔法の使用法(適量)に似ている。魔法で武装を固め、手数を増やす技術だ。
子狸「よぉし……」
ワインドアップ。傀儡球を握りしめた子狸さんが、大きく振りかぶる。
子狸「ふっ!」
渾身の投球。
――甘いっ。校長室の片隅でミットを構えていた骨のひとが眉をしかめる。
バッター、見えるひとの強振。鋭く、コンパクトなスイングだ。しかし――
亡霊「なにっ!?」
見えるひとのバットが空を切った。
骨「っ……!」
どしぃっ、とミットに収まった傀儡球には力があった。
今のボールは……。骨のひとが瞠目する。これまでの子狸さんの投球とは、何かが――違った。
子狸さんにとっても意外な結果だったのだろう。不思議そうに前足を見つめている。今の感覚を忘れないよう、ぐっと前足を握りしめた。
校長室に頭を突っ込んでいる蛇のひとが、王都のひとに尋ねる。
蛇「完全に捉えたと思ったが……だいぶ下を振ったな。伸びたか?」
王都「いや……」
王都のひとは首を振った。
子狸さんは、どちらかと言えば打たせて取るタイプのピッチャーだ。
今この場には居ないが、チームメイトの歩くひとは力投派の本格左腕だったから、変化が欲しいと二番手の子狸さんにはコントロールに重きを置いた投球術を教えてきた。
言ってみれば子狸さん本人の資質を度外視した、チーム優先の采配だったのだが……
眠っていた才能が、誰も予想しない形で、ある日とつぜん開花することもある。
呆然と子狸さんを見つめていた王都のひとが、じんわりと笑みを浮かべた。
王都「これだから面白いんだ、野球は」
熱砂の地、魔物たちの熱い夏が幕を開けようとしていた――。
~fin~




