表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/177

第83話 荊州・揚州の統治は思っていたよりずいぶん大変だ

 さて、袁術は洛陽で好き勝手に振る舞っていることで、名家である弘農楊氏の楊彪と決裂し、袁術の回りには同様に名家で散財好きな連中や、袁家に恩があるので仕方なく従ってると言う連中ばかりになりつつあるようで、魯粛や劉曄・劉勲と言った人物も袁術から離れていっているようだ。


 皇甫嵩と違い権力が嫌いな皇甫規やその一族も南陽に脱出してきた。


「皇甫(規)威明様お久しぶりでございます」


「うむ、久方ぶりだな。

 そしてすまぬがしばらく世話になるぞ」


「どうやら洛陽はかなりひどい状況のようで」


「うむ、悪徳宦官共がいなくなったにもかかわらず状況はあまり変わっておらぬ」


「そのせいで司隷の民衆の怒りは貯まるばかりのようですな」


「ああ、当然であろう、各地の王に対しても反感が高まっておるようだ。

 皇甫(嵩)義真には時代の変化が見えておらぬのかもしれんがな」


 なかなか辛辣な意見ではある。


 一応、袁術は洛陽を押さえ献帝を抱えてるという状態であるのと、史実の董卓は反董卓連合軍に北と東と南を囲まれていたので守りづらく、そのために洛陽を焼き払って長安に遷都したのにたいして、現状の俺は袁術にも袁紹にも中立的立場であるので、司隷東部と豫州を押さえてる袁術は、今の所北と東に対応すればいい。


 とはいえ北は皇甫嵩がいるからまだなんとかなるかもしれないが、史実と違い孫堅がいない袁術の軍勢は正直強いとは言えない。


 まあそれでも袁紹たちが内輪もめもしてるので、当人たちには政争を行う余裕もあるのだろう。


 実際は足元が崩れている状況でそんなことをしてる余裕はないんだけどな。


 閻忠がそれとは別に報告をしてきた。


「兗州にて劉(岱)公山が橋(瑁)元偉を殺害した後に、黄巾残党により殺されたようです」


「ふむ、兗州刺史の地位を巡って闘っていたようだが、そうか、中原では劉家の名家はむしろ民衆には目の敵にされてきているということだろうな」


「はい、そう考えてよいかと思います」


 袁紹の方も同盟をしていたはずの士大夫の郡太守たちが、お互いの利益のために争い合っていて、それとは別に袁紹自身が彼を担ぎ上げた張邈と、袁紹の振る舞いを改めるよう諫めたことで不仲になり、袁紹は冀州方面に逃げ出している。


 また袁紹が太守や刺史を勝手に命じて派遣し、元は霊帝の時代や袁術の派遣した朝廷の正式な官司と対立したりもしているようだ。


 後漢の皇室の権威の崩壊は董卓が暴政を行って洛陽を焼き払ったことが原因とされるが、実際は袁紹や袁術が勝手に郡太守や州刺史を自分の部下から送り込んで朝廷の人間を追い払ったりして事実上の朝廷が地方統治ができなくなったことが原因だからな。


「まあしかし本当に袁家の連中は話を聞かないらしいな」


 だからといって俺は楽を出来てるかというとそうでもない。


 いや袁術や袁紹の自滅にたすけられられている部分はかなり大きいが。


「それにしても荊州や揚州は広すぎるな……」


 史実では劉表が収めていた荊州だが、中原に比べれば著名な者同士の戦いがないので190年代から200年代前半くらいまでは荊州は平和だと思われてるが、ちょくちょく孫策などの揚州の勢力の攻撃を受けていたり、南方で反乱が起きていたりする。


 しかも劉表は事実上、自分自身の実働戦力を持ってなかったからな。


 袁紹は劉虞の代わりに劉表を皇帝に押し立てるつもりでいたらしいので、劉表も袁紹の勢力が強い間は焦ることはなかったが、官渡の戦いで袁紹軍がまさかの大敗北を喫っしたことで状況が変わってしまった。


「中原に比べて華南の州は広すぎなんだよな……」


 21世紀の日本であえて比較するなら中原は関東地方、そうでない場所は北海道くらい人口密度が違うと言っていい。


 揚州においては結構細かい争いはあるのだが、孫策が劉繇・呉郡太守の許貢・会稽郡太守の王朗などを打ち破って割と早めに統一はしている。


 その後は江夏の黄祖と孫策は長い間闘っていたりする。


 人口密度の高い場所と低い場所でどちらが商業を推奨したり、治安を維持したりしやすいかと言えばどちらにもやりやすいやりにくいはあるんだが、巡回などをして目を届かせやすいのは人口密度の高い方なのは間違いないだろう。


 荊州は北部・中部・南部で気候も結構違ったりするので余計に大変だったりする。


 俺が実際に農業などに力を入れられているのも荊州だと南陽・南郡・江夏の北側3つ。


 揚州は九江・廬江ぐらいで丹楊・呉などの北東側や会稽・豫章などの南部までは手が回っていないというのも実情だ。


 丹楊には劉繇が、呉郡には許貢が、会稽郡には王朗がいるしな。


 まあ、揚州には刺史としての権力を働かせる権利は俺にはあるんだが。


「士燮や劉焉に目立った動きがないのがまだ救いかね」


  劉焉が益州に入った後は五斗米道の兵士を掌握して、董卓や袁術と通じて皇帝になることをもくろんでいたとも、益州で独立することをもくろんでいたとも言われるが、史実でも最初は交州の牧に任命される事を期待していて、権力からは離れるつもりでもあったらしい。


 しかし、侍中の董扶が益州に天子の気があると告げたため、益州への派遣を望み天子の地位を望むようになったとも聞く。


 交州は天子の地位を望むには益州に比べて遠すぎるし余計なことは考えないでいてくれれば良いんだが。


 交州に関しては名目上刺史としての権限は持ってないしな。


 反乱でも起こればそれの鎮圧という名目はできるけど。


「まずは洛陽で政変でも起こるのを待つか、それとも揚州北部を制圧するべきか」


 既に中国全土で後漢王室に対する反感は高まってるので俺が劉繇を攻撃したとしても表立ってそれを非難するものは少ないだろう。


 まずは曹操の動きも見つつ揚州北部・徐州南部などを抑えていくべきかね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ