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第71話 洛陽に関して様子見で地盤固めが先だな

 さて、霊帝崩御の後の中央における権力争いは董太后と董重、何進、何皇后と何苗は相打ちとなり、董太后や何皇后の回りの宦官も殺され、袁紹が汝南に逃げ出し、袁術が中央を把握した。


 その際、何皇后の息子であり一度は帝として即位した劉弁は弑逆され、劉協が傀儡の皇帝として即位した。


「袁術が最終的には生き残ったか。

 さて、洛陽がどうなるか、見ものだな」


 史実における董卓は董太后の同族であると思っていた事から、外戚として権勢を振るったつもりだったが、周りは誰もそれを認めなかった。


 そして司空の劉弘を辞めさせ、自らこれに代わっって権力を握ると、陳蕃・竇武及び諸々の党人の無実を明らかにして、人望に沿うように願い出て、朝廷は陳蕃らの爵位を悉く旧に復し、子孫を抜擢して登用した。


 さらに蔡邕・黄琬・楊彪・荀爽を朝廷の要職につけ周毖・伍瓊・何顒・鄭泰ら信任し、不正を働いている人物を罷免し韓馥・劉岱・孔伷・張邈・張咨と言ったものを地方に派遣した。


 董卓が重用した者たちは顕職に就けられず、ただ将校に留められた。


 これは宦官や豪族による身内贔屓が腐敗の下だと考えていたからだ。


 しかし、そういった董卓が抜擢した清流派の家柄の良いものは荀爽・蔡邕などの一部を除き董卓の行動に何ら感謝をせず批判ばかりして、敵対的な行動を取るものもいた。


 董卓はそういった者たちに対しへりくだった対応をし続けたが、それがむしろ良くなかったのか周囲は反発を強めるばかりで、その理由が表向きは董卓の出自が卑しい身分の武官に過ぎないからで、実際は袁家の庇護下にあった人物が多かったからであった。


 洛陽の国庫にはる軍兵を養うだけの蓄えがなく民衆から搾取して財産を貯め込んだ貴族や皇族はからの財の略奪や皇族や貴族の婦女の陵辱することを許可したのはも、兵士のウサを晴らさせる意味合いもあったろう。


 もっともこれは董卓だけが行った行為というわけではなくむしろ中国では日常的風景だった。


 村祭りをおこなったの住民の男を虐殺し女は陵辱した件は3人以上集まって群飲することや、許可なく祭祀を行うことを禁じているにもかかわらず、各地で「反董卓連合」が決起している非常時に祭りを開いていた住人を、賊とみなしたわけだ。


 江戸時代の徳川幕府も人が集まることに対しては神経質になっていたくらいだからな。


 結局、腐敗の元は後漢王室だけでなくそういった名家にもあると認識した董卓は以後、清流派は引き下ろして、反発するものは殺し、自分の身内に高い官位を与えて重要し、歴代皇帝の墓を暴いて財宝を手に入れるなどの暴政を行うようになり、反董卓連合軍との戦いになる。


 そして洛陽を焼き払って長安に撤退し最後は王允と呂布によって殺されるというわけだ。


「まあ、今の洛陽を抑えても全く利点がないし今の内に長安より西と并州を抑えておくべきだな」


 袁術が権力を握っても、国庫は空っぽだ。


 霊帝が溜め込んでいた金は一応あるはずだがそれを使えば責め立てられるだろう。


 だからといって税金を上げれば民衆からの支持は得られない。


 袁術は一体どうするつもりかな。


 史実では献帝を擁していた曹操に対して、劉虞(劉虞が死んだ後は劉表)と袁紹、劉焉と袁術がつながっていてそれぞれ献帝を廃して、支部の推している人物を皇位につけ外戚として権力を掌握するつもりであったらしい。


 もっとも袁術は劉表によって南陽から追い出されてそれができなくなり、自分を新たな皇帝としてしまい自爆したわけだが。


 袁術というと袁紹に比べてほとんど支持するものがいなかったように思われているが、実は冀州に逃げ出して基盤もなにもない袁紹より先祖代々の基盤である汝南に近い南陽を持っていた袁術のほうが圧倒的に優位で孫堅や呂布が袁術を頼ったのもそのためだ。


 もっともお坊ちゃん育ちの袁術は内政の能力がないし清流派を重用することもないだろう。


 そうなれば家柄だけは良い連中が政治の中枢に居座り、袁術達の私欲による奢侈放蕩な生活のための重税できっとすぐ民意は離れるだろう。


「最悪司隷は捨てても良い。

 益州の漢中巴蜀と涼州・并州を押さえるぞ。

 俺は曹(操)孟徳の戻るのを待つがな」


 俺は馬騰や韓遂、それに降伏した異民族の頭領たちなどに涼州に向かわせ、県や郡の庁舎を抑えさせ、漢中巴蜀などは張魯を先頭にこちらも県や郡の庁舎を抑えさせることにした。


 おそらく冀州では盧植や皇甫嵩が、幽州は劉虞や公孫瓚が、豫州あたりで袁紹が動きを見せるだろう。


 荊州や揚州南部などは反乱でゴタゴタするだろうし、并州の東半分や冀州の西半分は黒山賊が居る。


 徐州・青州・兗州などでは黄巾残党が活動してるようだができれば黒山賊や黄巾残党も配下に入れてしまいたいものだな。


 何れにせよ今洛陽に向かっても良いことはなにもないだろう。


 袁術にとっておれは卑しい身分のくせにでかい面してる武官と言う扱いだろうからな。

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