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第70話 霊帝崩御とその後の混乱

 さて、中平3年(186年)初頭に病に倒れた霊帝は31歳と言う若さでそのまま崩御した。


 その情報を俺は洛陽へ向かう前に受け取り困惑した。


「天子が病気で崩御した?!」


「はい」


 本来霊帝の崩御は中平6年(189年)のはずだが……。


 このころの霊帝は病で伏せることも多くなっていたとも聞いたが、これはおそらく霊帝の機嫌取りばかり行い甘言ばかり囁いていた十常侍を俺が粛清し、周囲が遠慮なく諫言を行うものばかりになったことで霊帝のストレスがマッハで溜まっていったんだろうな。


 と言っても俺が悪いことをしたとは思わないが。


 俺は洛陽へ向かうのを一旦止めて参謀たちを集めて話を聞くことにした。


「天子の崩御により状況は急変した。

 皆の意見を聞きたい」


 まずは賈詡が立ち上がりいう。


「現在の中央は大きく分ければ4つの勢力が争っています。

 まず一つは、何(進)大将軍の軍閥。

 二つ目は何(苗)叔達将軍と何皇后の閥。

(何進と何苗はまったく血が繋がっていないうえに仲が悪かった)

 三つ目は、董(重)将軍と董太后の董閥。

 四つ目は蓋(勳)元固殿。

 そして何大将軍は袁(隗)次陽殿や袁(紹)本初殿が。

 何(苗)叔達将軍は一部の宦官が。

 董(重)将軍は袁(逢)周陽殿や袁(術)公路殿や一部の宦官が。

 蓋(勳)元固殿は皇甫(嵩)義真殿や呂強殿などの一部の宦官が。

 それぞれ支持を表明しているようです」


「ふむ、なるほどな」


 見事にバラバラになってるがそれも当然だろう。


 袁隗は兄である袁逢より先に出世していることで、袁逢によく思われてなかっただろうし、袁紹と袁術も同じような理由でお互いをよく思ってなかった。


 蓋勳や呂強のような清廉な宦官を、同じような行動原理の皇甫嵩が支持するのは当然だな。


 何皇后が生んだ劉辯と、王美人が生んで董太后が育てている劉協のどちらを後継者とするか霊帝は生前には明言していない。


 もっとも王美人の子である劉協を後継者にしたかったようではあるんだが。


「ここはすぐには洛陽には向かわず、長安もしくは河東郡にて兵をとどめ、李(儒)文優殿や宦官たちからの情報を得つつしばらく様子を見たほうがよろしいかと」


「ふむ、そのほうが良いか」


「もし我々が洛陽に向かっている時に、皇位継承の話などで洛陽に何らかの政変が起きた時は、いつでも涼州や益州・もしくは并州に引き返せるように帰路の確保をするべきでしょう。

 万が一政変が起きてしまった事を想定して、今のうちに洛陽に居る李儒殿と連絡を取り交わし、連携して洛陽にいる我々の協力者を洛陽から脱出させるための経路の確保もするべきです!

 そして李儒殿も政変が起きてしまった時は、涼州や益州への亡命を希望するでしょう」


「そうだな、少数の兵を派遣し脱出の手助けができるようにしておくべきであろう」


「ではその役割は私が」


 そう手を上げたのは曹操。


「うむ、君ならば宮殿の内部にも詳しいだろう。

 うまくやってくれることを祈るぞ」


「お任せください」


 そして呂布も手を挙げる。


「ならば俺は河東郡で様子を見て、并州へ避難するものの手引きをするとしましょう」


 その提案に呂布と義兄弟となった子どもたちもうなずく。


「ああ、そうしよう」


「それが良いだろうな」


 俺は三人へうなずいて言う。


「わかった、そちらもうまく頼むぞ」


 俺自身は長安にとどまって様子を見つつ、曹操を洛陽に忍び込ませつつ、呂布と義兄弟となった息子たちにくわえてその部下たちを河東郡に派遣し様子を見ることにしたのだった。


 ・・・


 その頃の洛陽の様子だが、まず皇帝崩御の少し前、群臣は霊帝に対し太子を立てることを請うたが、霊帝は劉弁は軽く威儀が無いとしゆえに太子には出来ないとした。


 だが、しかし何皇后や何進の権勢が強く、劉協が幼すぎることもあり、太子は決まらないでいた。


 また董重の進言により結果を出せない皇甫嵩を罷免し、そのかわりに何進に大将軍として冀州の黒山賊を撃つように天子より指示があったが、何進はそれを知り自分のかわりに董卓を向かわせようとしたが、董卓の現状では東方へ行くことはできない、だがそのかわり盧植を派遣してはどうかという意見を取り入れ盧植に兵をさずけて東へ向かわせた。


 そして霊帝は病が重くなりもはや先がないと知ると、劉協と董重を呼び劉協を跡継ぎとする遺言を授けた。


 そして霊帝が崩御すると、董重はまずは何進派を誅して劉協を立てることを計画し、何進や袁隗は呼び寄せられ殺害され、それを知った袁紹は汝南へ逃亡した。


 しかし、その後に群臣の協議により劉協は幼すぎると言うことで劉弁が即位し、何皇后は太后となり、何苗が大将軍になって朝廷に臨んだ。


 そして董太后が政事の参加を欲する毎に何太后はそれを禁じ塞いだ。


 それを恨んで董太后は何太后をののしり言った。


「汝は今、驚き恐れ、汝の兄弟を頼りとするのか?

 すぐさま驃騎に頭を斬り来させる勅令が下るだろう」


 その言葉は何太后に届き、それを受けて何苗らは新しい天子に董太后が宮から本国へ遷るべきであると上奏し、その上奏は許可され、何苗は兵で驃騎府を囲み董重を捕らえ、董重は監獄の中で殺され、それに従った宦官も殺された、その間袁術は宮殿から逃亡し何進の配下だった兵をまとめていた。


 そして董太后は病に倒れてそのまま死んだ。


 何苗と何太后は政治闘争に勝ち抜いたと思ったが、何進の配下だった兵を率いた袁術が宮殿へ乗り込んで何苗と何太后、さらに即位したばかりの少帝とそれに従う宦官は彼らの手によって殺され、その間に袁術は劉協を保護し、即位させた。


 蓋勳やそれに従う宦官の多くは洛陽から逃げ出した。


 殆どのものが倒れまたは逃げ出した洛陽で袁術は大笑いした。


「ふはははは、肉屋ごときが大きな顔をするからこうなるのだ!

 確かな血筋を持つ俺こそが洛陽の主にふさわしい」


 袁術は三公の司空となり娘を新たなる天子の后として入内させた。


 彼は前漢を滅ぼした王莽に(なら)って、後漢王室より禅譲を受けるべく図ったのだった。

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