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第68話 東の反乱を鎮圧しろと言われたがちょっとまってくれ

 さて、涼州の先零羌・湟中義従胡・涼州義従などの異民族の反乱はある程度逆らうものを武力で蹴散らしつつ、説得を行って、北宮伯玉と李文侯などは降伏させ、宋建と王国は捕らえ、ろくでもない郡太守等はまともなものと入れ替えて、異民族の生活環境改善を言い含めてなんとか鎮圧した。


「まあ、結局扱いの問題なんだよな。

 後漢王朝の異民族や涼州人に対しての」


 史実では偽装降伏によって人質になった辺章と韓遂は中央の腐敗もあって、”宦官討滅”を旗印に反乱に加わって司隷の西側の長安を含んだ三輔地方である右扶風・左馮翊・京兆尹に侵攻し、皇甫嵩は長安の守備で手が回らずにいて、皇甫嵩は功績をあげられないことによって罷免され、その後釜として司空の張温が車騎将軍に任命され、執金吾の袁滂を副将とし、俺は張温の指揮下で戦うが、これはなかなか打ち破れず、苦戦していた。


 ところがその時に大きな火の玉のような流星が落ちて辺章・韓遂の陣営を明るく照らし、これを不吉に感じた辺章・韓遂は金城郡に撤退した。


 しかし追撃はしたものの深追いして逆に大打撃をうけ撤退し、翌年の186年には涼州の反乱はまったく収まっていないにもかかわらず張温は洛陽に召喚された。


 さらにこの年韓遂はこれまで行動を共にしてきた辺章、北宮伯玉、李文侯を殺してその兵を統合してしまった。


 その後、討伐軍から反乱軍に加わった馬騰と韓遂が王国を盟主にして、また再び三輔地方に侵攻を開始したが、この迎撃戦では皇甫嵩と俺は全く反りが合わず皇甫嵩がほとんど単独で涼州軍を打ち倒すと、王国は追放されて馬騰と韓遂は涼州で争い合う。


 そして霊帝の死後に宦官が殲滅され、俺が洛陽で権力を握ると俺は韓遂・馬騰と手を結んで、反董卓連合軍と戦う。


 だがその後に俺が呂布に殺されると、李傕と韓遂や馬騰は敵対して韓遂・馬騰は李傕に敗れて涼州に撤退するが、その後中央で曹操が権力を握り、彼らは司隷校尉の鍾繇に懐柔され、曹操に服従することになる。


 逆に言えば曹操に服従するまでは涼州の人間は延々と闘っていたとも言える。


 ほおっておけばそんな状況になるのは目に見えてるんだが、7月も終わり頃、黒山賊を討伐でき無いのが理由で車騎将軍である皇甫嵩が将軍職を罷免された。


 はっきり言えば馬鹿な霊帝と董太后が宮殿再建の費用だと増税して、冀州での反乱を再度おこさせたのが一番悪いのだが、皇甫嵩も損な役目だと思うぜ。


 そしていつものように俺に征東将軍として黒山賊を討伐するように辞令が飛んできた。


「いや、それはいくらなんでもまずいだろ」


 これで涼州で反乱を起こした異民族達の待遇が悪化すれば、こっちもまた反乱が起こるのは確実だ。


 俺は今回は即時には命に従わず上書することにした。


「私が降伏させた先零羌や湟中義従胡等の涼州義従の兵たちは皆口をそろえていっております。

 今軍に従っていることで支給されている扶持米の給与が絶たれたなら、妻子一族は皆飢え凍えてしまい、そうなるならばまた食べ物を奪うしか無いと。

 そうなれば涼州は混乱しましょう。

 皇甫(嵩)義真将軍の雇った烏桓の兵には禄が支払われなかったことからも、彼らはそのことを心配しており、私の馬を抑えて洛陽へ行かせようとしないのでございます。

 私としてもそれを禁止する事もできず、大丈夫であると説得し彼らの心を落ち着かせてやり、涼州や益州をまずは穏やかに治めることが必要と思います。

 私には異心は何らございませんが、反乱を平定したのに私が離れれば、またすぐに反乱を起こさせるような状況であることをどうか鑑みていただきたく思います。

 討伐には黄巾の討伐に功績のあった尚書の盧(植)子幹殿をその任へつけていただければ思います」


 これでわかってくれるようなら良いんだが多分無理だろうなぁという気もする。


 しばらくして朝廷から返答が来た。


「そちらの上奏については検討し、その意見を取り入れることとする。

 なお、家世二千石の蓋(勳)元固をこちらへ送るように」


 どうやら盧植が討伐に向かってくれるらしくて助かる。


 ちなみに家世二千石は郡太守太守クラスを歴代輩出している家系。


 俺の父親は県史で三百石だから家格的にはずっと上で、蓋勳は代々将軍の家系の皇甫一族と同じぐらい涼州では名家なんだな。


「蓋(勳)元固、天子の命がでたゆえ中央に向かってくれるか?」


「わかりました、天子の命とあらば洛陽へ向かいましょう」


 その後に蓋勳は討虜校尉(とうりょこうい)に任命され、霊帝と会見すると霊帝は蓋勳に聞いた。


「天下はなぜこうもあれて民は苦しみ、反乱ばかり起こるのか?」


 それに対し蓋勳ははっきり言った


「陛下が民の苦しみを理解せず重税をかけ、陛下へ媚へつらう無能な側近一族の子弟が世を乱しているのです」


 と言い放ったがそれを霊帝は珍しく真面目に受けとめて多少態度を改め、助軍銭の徴収を取りやめたたようだ。


 とは言っても、もう遅いとは思うがな。


 ・・・


 この頃、皇甫嵩のいとこである皇甫酈は皇甫嵩へと説いていた。


「もはや本朝は政治に失敗して、天下は既に倒れかかっております。

 この時において危うきを安んじ、傾いた本朝をものを立て直す力があるのはただ大人と董将軍だけでございます。

 今、酷税による恨みによって民心は離れております。

 そして、董将軍は朝廷の命に従わず反乱兵たちを手元において、上書して自らこの命令に従わずに済むように願ったという事です。

 それはきっと邪悪な心を抱いているからでございましょう。

 であればこそ今こそ、大人が董将軍を討てば、上は忠義を顕かにし、下は凶賊の害を除く事となります」


 しかしながら皇甫嵩は静かに言った。


「朝命に従わぬのは確かに罪であるが、それを持って誅殺を勝手に行うのも責められるべき事である。

 それに冀州の状況や烏桓騎兵のことを鑑みればを見れば董将軍の考えもわかる。

 ならば我々が勝手に事をなすのではなく朝廷の裁きに任せるべきであろう」


 と答えたのであった。


 結果としては董卓の行動には疑問は挟まれたものの、その他の交州や益州などでの反乱鎮圧方法と同様でもあることから一応その行動の正当性は認められた。


 このころ霊帝は病で伏せることも多くなり、夢で桓帝に宋皇后や渤海王劉悝を殺したことを叱責され宋氏と劉悝は行いを上天に訴え天帝は激怒しており、これらは救い難い罪だ。といわれて霊帝は恐れたが、結局宋氏と劉悝の名誉回復は行わず精神的に弱っていた。

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