第67話 なんとか涼州の反乱を抑えたよ
とりあえず、涼州へ急いで移動した俺達は、まずは自分たちの身内の身柄の安全確保に関して、俺の娘婿の辺章などからの文もきたこともあり早急に対処をしておいた。
「とりあえず家族の身柄は確保できたか」
こういった場合身内に家族がつかまっても見殺しにされるのがこの時代ではあるが、なるべくそういった事にならぬようにしておくに越したことはないからな。
この間に車騎将軍の皇甫嵩は冀州の一年分の田租を引き受け、飢餓にあえぐ民衆を助けようと上奏し天子ははそれに従うようにとの指示を出して、冀州の民衆は税徴から逃れることができたと思った。
俺たちが湟中義従胡の北宮伯玉と李文侯や涼州義従の王国・宋謙がいる金城へ向っている間に年が変わって中平2年(185年)になっていた。
しかしこのあいだに金城太守の陳懿は北からの北宮伯玉と李文侯 南からの王国・宋建の挟み撃ちによって、殺害されてしまった。
「間に合わなかったか」
とは言っても実際問題として涼州に派遣される郡太守が搾取をしなかれば、反乱は起きなかった可能性が高いので、自業自得なのではないかという気もするがな。
ちなみに年が変わって中央では霊帝が増税をおこなった。
これは二月に南宮の雲台と楽成門で火災があり、その消火に半月ほどかかって貴重な図書や宝物なども焼けた。
そのためまずは天子は宮殿の修復と威厳を保つためにと霊帝の銅像を鋳造する費用を捻出するため、全国の田1畝つにつき10銭を課税することにした。
さらには、刺史や太守、茂才や孝廉に推挙された者からは助軍銭という名目で、強制的に金を取ることにした。
これに関しては天子の私銭を反乱治安圧のために提出させられて、手元の金が大きく減った董太后の意思が強いらしく、具体的な金額が郡太守で2千万銭など途方もない金額で、結局その財源は民衆への増税で補われたことで、冀州北部から并州や司隷にて黒山賊と呼ばれる者が10万人規模の大規模な反乱をおこした。
その頭目は、張牛角と呼ばれるものが10余りの黄巾党の残党の賊を統合して、黄巾の本拠地であった冀州の鉅鹿郡に攻め入ったが、頭目の張牛角が流れ矢に当たって死亡すると、張牛角の遺言に従って常山の褚燕がその後を継ぎ、褚燕は張牛角の姓を継いで張燕と名乗ることになった。
朝廷は皇甫嵩に黒山賊を討伐する命令を出したが、冀州においては税金をなくすという約束を破ったことで死兵となった黒山賊に対して、幽州の烏桓人の三千突騎を徴発したがその者達への給金が支払われなかったので、みな本国へ帰ってしまって、義勇兵もまともに集まらない皇甫嵩は黒山賊を討伐をできずにいた。
そんな状況の皇甫嵩の元へ閻忠という者が訪れた。
閻忠は賈詡には張良・陳平ほどの奇策があると評価していた人物でもあり。
彼は涼州漢陽郡出身で冀州安平郡信徒県の県令やめさせられたばかりだった。
そして閻忠は皇甫嵩にこのままではあなたは古の韓信と同様に暗愚な皇帝により殺されてしまうだろう、今こそ独立するべきだと言ったのだが、皇甫嵩は後漢の武官が名門故に本朝に忠誠を尽くして臣下の節義を守るべきだと言い、閻忠は自分の言説が用いられないことを悟ると、狂人のふりをして冀州から逃げ出したらしい。
そして涼州へ逃げ帰ってきているところのようだ。
とは言っても皇甫嵩のとこにはやる気のない兵士が無理やり集められて、結局戦わずに逃げてしまってるので黒山賊の討伐などとてもできるような状態ではないようだが。
この間に俺は涼州義従の王国・宋謙の兵を蹴散らして両者を捕らえ、湟中義従胡の頭目である北宮伯玉と接触した。
「我らは段(熲)紀明将軍の下でともに戦った。
ゆえに無駄に殺したくはない。
重税や以前との扱いの違いが問題であれば、それが中央にとりなすので、ここはおとなしく従ってほしい、だが従わぬと言うならば仕方ない斬る!」
「我らは使い捨ての道具ではないと、そちらが認めてくれるならば我々はそちらに従おう」
「ああ、わかっているさ、少なくとも俺はそんな扱いをするつもりはない」
「……わかった。ならば、我々は矛を収めよう」
なんとか説得はできたが中央朝廷では、司徒の崔烈が涼州の放棄を提案していて、それに対して議郎の傅燮が猛烈に反対し、涼州が賊の手に渡った場合、司隷が直接攻撃され脅威となることを天子に説き、昨今の反乱は刺史や太守の失政が原因であるので、司徒の重職にありながら反乱の鎮圧に尽力せず、涼州を手放すことを進言した崔烈を批判したが、結果として天子は傅燮の意見をとり入れて、涼州を放棄する崔烈の案を却下したことで、俺は涼州及び益州の刺史権限を用いて刺史や太守を入れ替えるように命じられた。
「最初からまともなやつを送ればいいのにな」
とりあえず不正蓄財しているやつは罷免して、洛陽へ送り返してまともで清廉な人間を郡太守などにつけることで、涼州も益州もなんとか落ち着いたよ。
7月には司隷で螟害が発生し、霊帝の徳がないから宮殿が焼けるような火事が起きたり蝗害が起きたりするのだと司隷の民の間でも言われるようになっていく。




