第62話 やっぱり洛陽は魔都だな
さて、荊州や冀州の黄巾の反乱はほぼ収まっている。
兗州や青州でも反乱は起こっているが、それは皇甫嵩が冀州への行きがけに鎮圧するだろう。
「まずは洛陽に向かうか」
俺たちは汝南から洛陽に向った。
そのとき賈詡がそっと言ってきた。
「十常侍や汚濁官司を粛清したことで、天子や董太后や何皇后は貴方を脅威と思っているはずです。
くれぐれもご注意を」
俺はそれに対して苦笑するしかない。
「俺は漢王朝のためを思ってやってるんだけどな、結局の所は自分のためではあるが」
「李(儒)文優殿や洛陽の下級宦官からも、同様な意見はあがってきております。
自らに侍りおもねり気分を害させないようにと行動していた十常侍達を殺され、諫言を行うものが残ったことを天子はあまり良く思っていないようで」
「まあ、そうですそうです素晴らしいです、しか言わない連中に囲まれてるのと、あれは駄目これは駄目と言う連中に囲まれてるんじゃ、天子様の気分もだいぶ違うだろうからな」
賈詡は小さくうなずく。
「わかってくださればいいのです、何大将軍も董(重)票騎将軍も貴方の名声を抑えるために皇甫(嵩)義真殿を車騎将軍に任ずるようにしたのでしょう」
「涼州じゃ皇甫家の方が武官の家系としては圧倒的に俺より上だし、家系を重んじる儒者から見れば俺が偉い立場にあるのも許せんのかもな」
「そういったこともあるかもしれません」
ま、いずれにせよ俺は宮仕えだし、将軍という地位も後漢王朝から与えられるもの。
それを取り次ぐ大尉は現在は鄧盛という人物。
「今の大尉はどこの派閥なんだろうな」
「はっきりはわかりませんが、楊家や袁家ではなく張家ではないかと」
「ふむ、そうか」
結果として言えば征東将軍の返上からの征西将軍の拝命に関しては特に何もなく終わった。
ちなみに董太后は俺と同じ董姓なので血縁関係は全くないわけではないが、董太后の生まれは河間で河間王家に嫁げる程度の血筋ではあったようだ。
実際の所を言うならば董太后も何皇后も、政治そのものには殆ど関心はないが権力を失えばどういう末路を迎えるかはよくわかってるから、どちらも権力を手放すつもりはないわけだ。
そもそも売官は董太后の入れ知恵で行われたものだから、後漢を実質的に滅ぼしたのは董太后だといってもいい。
で、何皇后の実家が屠殺業の平民だったことは血筋が尊いことだけが誇りの董太后には気に入らなかったらしい。
皇后となる何皇后が男子を出産すると、董太后は良家の子女で美人かつ性格も控えめな王美人を支持したし、董太后は霊帝に”王美人から生まれた子が男子なら必ず皇帝にしなさい”と吹き込んだ。
それを聞いた何皇后は王美人の子供を流産させようと宦官を買収して王美人に毒を飲ませるようなことまでしたらしいがその効果はなく、月は満ちて王美人は男子を出産した。
その後何皇后は王美人を毒殺し、董太后は孫の劉協を養育するようになって、何皇后は廃され獄に入れられる寸前までいったが、何皇后は宦官に多額の賄賂を贈って助命を請い、宦官が霊帝をとりなして何皇后は許された。
とはいえ董太后は霊帝に会う度に”次の皇帝は絶対王美人の産んだ劉協にしなさい”と言い、寵愛する王美人を殺した何皇后を霊帝も赦してはおらず、二人はほぼ劉協を後継者にする事で決定していたらしい。
とはいえそうなれば何皇后がいずれどうなるかは火を見るより明らかであったので、後宮の宦官にくわえて清流派の官僚や袁家などを抱き込んで生き残りを図っているらしいが。
董太后と何皇后の二人にとっては俺はそれぞれの味方の宦官を誅殺した敵とみられている可能性も高いが、どちらもそれだけに俺を敵に回すのは嫌なのだろう。
俺はまず董重に呼び出された。
「うむ、董将軍の働きは聞いておる、同じ董姓でもあるしこれからも頑張って欲しいものだ」
「は、ありがとうございます」
「ところで、そちらの息子に私の妹などを嫁に取らせたりなどはどうであろうか」
「は、ありがたきことではございますが、私達は同じ董姓でありますゆえ、婚姻を結ぶことはできぬかと」
「ふむ、それもそうであるな」
「それに私は辺境の将軍程度が身の丈にあっているようです。
我が師匠である張(奐)然明様と同じように、そろそろ田舎でゆっくりと過ごしたいともおもいますが、それは反乱を鎮圧してからになりそうです」
「もうその歳で田舎に引っ込むというのかね?」
「私はずっと戦い続けてきましたし、そろそろ息子たちも戦場で戦える程度には育っておりますので、安心して田舎暮らしはできます」
「ふむ、そうであるか」
こんな感じでぼちぼち無難に対応したつもりだ。
それから何進からも呼び出された。
「荊州に続き、豫州の賊討伐はうまくいったようで何よりだ」
「はい、豫州では皇甫(嵩)義真将軍や、その下で火計を成功させた袁(紹)本初殿の働きが大きく、荊州の賊はさほど統率が取れておらず幸いでした」
「なるほど、豫州では皇甫(嵩)義真将軍や袁(紹)本初の働きが大きかったというのだな」
「はい、私が豫州に赴いた時にちょうど火計が成功していましたので、私が到着しなくとも冀州の反乱は鎮圧されていたでしょう、少し時間はかかったかとはおもいますが」
「巴蜀の乱が鎮圧できたら君を少府に推薦しようかと思っているのだがどうかな?」
「とてもありがたいことですが、私には田舎暮らしがあっているようです。
巴蜀や涼州は乱れているようですし、その地にとどまらせていただき、不正官司を摘発させていただければと、内府には私より袁(紹)本初殿のほうが血筋的にもふさわしいかと」
「ふむ、田舎のほうが良いか。
その気持は少しわからぬでもない」
「わたしは袁(隗)次陽様のおかげで引き立てていただきましたが自分には過ぎた地位かと思っております。
ただ、袁(術)公路殿は袁(紹)本初殿を目の敵にされているので、私がそういったといえば私も彼の敵とされてしまうかもしれません」
「ふむ、袁(術)公路は袁(紹)本初が自身より声望が高いことを妬み、袁(紹)本初の出自の低さをたびたび持ち出して中傷していると聞くな。
そのあたりは私がうまくとりなしておこう」
「ありがとうございます」
こんな感じでなんとか洛陽での董重と何進との話を終えて、俺はまずは漢中を経由し巴郡へと向かうことになった。
ちなみに征西将軍は長安に駐屯し、涼州や益州の刺史を統べる権限もあるぞ。




