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第6話 体を動かしつつも思考力も育てるべきだと思ったが難しい

さて、辺境では馬術に弓術・格闘術に秀でているものがリーダーとして持ち上げられるからまずはそういったことを優先して鍛えつつも蹴鞠も行うことで判断力・空間把握能力なども鍛えていた。

そして翌年本初元年(146年)の閏6月に梁冀により質帝が毒殺され、15歳の桓帝劉志が即位することになった。


「やはりもはや漢王朝の命脈も尽きつつあるようにしか思えないな」


 本来ならば漢王朝の役人の息子が言うようなことではないとも思うが、この梁冀という人物は後漢草創期の功臣の1人梁統の玄孫であり、妹は建康元年(144年)に亡くなられた順帝の皇后である梁妠と、今上である桓帝の皇后の梁女瑩、名門の血筋の外戚であることも有って好き放題しているらしい。

しかしながら10年後くらいには九族もろとも皆殺しにされるのだが。


「そろそろ思考力も強化しないとならんな」


 春秋戦国に様々な兵法が書としてまとめられ、それを学ぶ者も多いが、机上の空論では役に立たないのは春秋戦国でも後漢末でも変わらない。

現実を把握した上で理論を現実に当てはめていかなければ兵法などというものは役に立たないものだろう。

それはそれとして象棋のような対戦相手の思考の先読みを行う思考ゲームは思考力を鍛えるのに役に立つはずだ。

象棋はインドのチャトランガと呼ばれる対戦型盤上ゲームが中国に入ってきて変化し、後には日本の将棋のもとになったゲームだな。


「父上、遊びの幅を深めるために象棋を行いたいのですが手に入りませぬでしょうか」


「象棋とな?」


「はい」


「ふむ、手に入れるのは吝かではないが打てる相手はいるのだろうか?」


「皆で教え合いながらやりますよ」


「ふむ、まあよかろう」


 もちろん日本における古将棋が現代将棋とルールなどが違っているように、むしろ朝鮮半島の将棋であるチャンギにも近いし駒が立体的なのはフィギュアを使ったボードウォーゲームに近いとも言える。


 漢と楚という大将を取られると負けなんだが王将と玉将よりはわかりやすく前漢の名将韓信が、楚漢の戦争をモチーフにしてチャトランガを改良して象棋を考案したとも言われてる。

このあたりの人間は車や馬はともかく象の駒をみても何だこりゃという感じではあるだろうけどな。


「今日は皆で象棋をやるぞ」


「象棋?」


「まあ、説明するよりやったほうが早いだろうし誰かやってみないか?」


「じゃあ俺が」


 そんな感じで象棋をやってみたが、正直強い相手は居なかった。


「うーむ、コマ落としでやるしか無いか」


「っていうか仲穎はなんでそんな強いんだよ」


「うーん、才能の差って奴かもな」


 残念ながらこのあたりでは象棋の腕の良い子供はいないようだ。

良く考えればこのあたりの人間は皆馬に乗って弓を射れるのが当然で、歩兵とか戦車兵みたいな兵科の異なる存在は居ないし普通に後退射撃もできるのだから、むしろモンゴル騎兵のように接近しつつ弓を射かけて偽装敗走で敵を釣りだして逆襲するということを戦術として取り入れてくことに専念したほうがいいのかもしれないな。

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