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第50話 北に戻ってやっと落ち着いてきたところで……

 さて、交州の大規模な反乱を鎮圧して、ようやく落ち着いたと思ったら、北方で鮮卑に大規模な敗退をしたということで、俺は南からまた北へ戻ることになった。


 今回俺の下で戦って功績を上げた者たちには、県令などの推薦を行ったり、ついてきたいというものはそのままついてこさせたが、ついてきたものはそこまで多くはなかった。


 あくまでも勝てる将軍の下で、出世の機会がほしいというものが多かったんだろうな。


 南方では蝗害などは受けてないので、食料品をなるべく北へ持ち帰るべく、輜重車に乗せて運んでいった。


「まあ、交州から幽州じゃ気候なんかも、全く違うしな」


 俺は洛陽に向かい、征南将軍を返上して、袁隗に南方の異民族による反乱を沈めて、本来なら鮮卑で有効だった、交易における交換比率の改善案とを提出しつつ心付けを添えて、俺の部下として働いてくれた者たちの官位の推薦をしてもらうように頼んで、すぐ征北将軍を受領し、急いで幽州へ戻った。


 そして最初に行ったのは、再び遊牧民との交易所の交換レートを漢人と同じにすること。


 食料品などがいささか高いのは飢饉だからどうにもならないにしても、そういうときだからと暴利を貪ってる商人が多すぎる。


「ほんと馬鹿じゃないのかこいつらは」


 そんなことをするから余計略奪が行われるのだとわからんのか。


 また、南方から持ってきた、米などの食糧と引き換えに、置き去りにされて鮮卑の捕虜になっているものを引き取る提案を鮮卑に送ってみた。

 、

 鮮卑としても捕虜を生かして食わせ続けるのは大変だからと、捕虜と食糧の交換は早めに成立したよ。


 いろいろやってるうちに熹平7年・光和元年(178年)になり、日食や地震が頻発した。


 それに対して、天子が臣下に意見を求め、光禄大夫の楊賜(ようし)、議郎の蔡邕らが佞臣小人が高位にいることが禍の原因であり、賢臣を用いれば禍はなくなるとし、三公の責任を追及し宦官の曹節、王甫を批判して、鴻都門学の人材の採用をやめるように主張したが、逆に宦官によって楊賜・蔡邕ともに罪に抵てられたが、名家の楊賜は師傅の恩によって特別に許された。


 だが、蔡邕は周囲が棄市を主張した、中常侍の呂強(ろきょう)が蔡邕を弁護したため、霊帝は死罪を免じて、髡鉗刑(髪を剃り首枷をつける刑)の上で幷州への流刑とした。


「蔡邕は重要な人物だし保護しておくか」


 俺は幷州へ流された蔡邕とその一族を保護することにした。


「蔡伯喈殿のような忠臣を流刑にするとは、宦官は国を滅ぼしたいのでしょうかな」


「彼らは後宮の外は見ておりませぬからな。

 まこと困ったことです」


「今後は私が貴方の一族を保護いたしますよ」


「それはまことありがたい、世話になりますぞ」


 それと呂強は、宦官では珍しくまともな政治感覚を持っていたんだな。

 また霊帝の寵愛を失っていた宋皇后が廃位されたが、以前に一族もろとも誅殺された勃海王である劉悝の妃は、霊帝の皇后・宋皇后の「おば」に当たるため、王甫は宋皇后にたいして「宋皇后はまじないをして呪いをかけている」と霊帝に讒言し、その結果宋皇后の皇后としての証となる璽綬を取り上げてしまった。


 このあと尚書になっていた盧植は、党錮に処されている者の多くは冤罪であること、宋皇后の一族も冤罪であること、また、将軍などの武官・州刺史や郡太守のような文官の中に、一年で何度も異動を命じられている者がいて、それでは役目をはたせないので。最低でも3年は任務に就かせるべきなどを諫言したが、天子は聞き入れなかったらしい。


「まともなことを言っても聞き入れないようじゃやっぱどうにもならんな」


 しかし翌年光和2年(179年)の4月に好き勝手をやり尽くした中常侍の王甫は、司隷校尉となった陽球によって、王甫自身にくわえて王甫の養子の王萌、王吉らは一族は捕らえられ、獄中での拷問で死亡し、段熲は毒を飲んで自害した。


 それにより段熲の推薦で官職についた俺と、俺の下の将軍府の人間は連座によりすべて官職を失うことになった。


「張奐のときと同じになったか」


 俺の軍事の師匠とも言うべき張奐も、大将軍の梁冀の将軍府に召されて出世したことで彼が死んだときに免職されているんだがな。


 陽球は曹節を次に殺すつもりだったが、曹節が天子に密告し陽球を衛尉とした。


 陳球と劉納は司徒である劉郃に宦官誅殺の相談を行ったが、陽球の妻が中常侍の程璜の娘だったため、計画が程璜から曹節に漏れてしまう。


 その結果、劉郃・陳球・陽球・劉納らは宦官から謀反の罪を着せられて、処刑されてしまった。


 さらに益州巴郡の板楯蛮(ばんじゅばん)と呼ばれる異民族が反乱を起こし、討伐軍を向かわせたが反乱の鎮圧には至らずにいる。


 で、官職をとかれた俺は袁隗の伝で県史などに再就職できるものはさせ、涼州や并州時代から従っていたものや清流派や曹操などといっしょに涼州へ戻る事になった。


「反乱鎮圧もそろそろまともにできなくなってきそうだな。

 まあ、将軍職を罷免された俺には何もできないが」


 そろそろ下の子供たちも初陣に参加する時期なんだが、来年あたりにはまたどこかの反乱鎮圧を言い渡されそうだ。

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