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第32話 安めの武器防具を量産し医療の普及にも務めないとな

 さて、この時代位の兵士は結局鎧を与えられないで刀一本などの簡素な武器だけで戦場を往来することになり、その結果死傷率もあがる事が多い。


「せっかく鍛えた兵士を失うのは避けたいよな」


 また鎧を身に着けない兵士が多いことが、武勇の士の突撃で兵が総崩れになる理由だったりもする。

つまり統率の取れた兵士を武将が陣形を保って運用するというのもほぼフィクションであり、歩兵同士であれば人数の多いほうが人数の少ないほうを蹂躙するということが多かったりする。

なので曹操などは袁紹と戦った時にはそのハンデを覆すために奇襲や食糧駐屯地への襲撃などを繰り返してなんとか勝ったわけだ。


 ただし董卓が黄巾の乱で黄巾の兵を鎮圧できなかったのは黄巾の兵が宗教的理由もあって死兵に近くて降伏するという選択を取らない可能性が高い大軍であり、そういった集団と董卓がそれまで戦ったことがあまりなかったというのもあったろう。

要するに逆らうなら情け容赦なく皆殺しという漢人的な戦術を黄巾の乱では董卓は取れなかったのもあると思うんだよな。


「これからは全員騎兵というわけにもいかなくなるだろうし、軽装でも鎧はほしいな」


 現状ではあんまり重たい鎧を作っても馬乗状態では鐙がないとか弓を使わないといけないと言う理由もあるしそこまで丈夫な甲冑は使えないだろう。

日本の武士が身に着けた大鎧のようなかなり重装甲な鎧を弓兵が身につけるのはかなりの例外なのだ。


「だから、安くてたくさん集められそうな竹を使おうと思ったんだがな」


 この時代の記録にはまだ竹を使った竹簡(ちくかん)が用いられていて普通に竹も手に入れられる。

竹簡は竹で出来た札。

それをバラバラにならないよう穴を開けて紐でまとめ編むことを「書を編集する」というわけだ。

でその穴を開けてまとめれば丸くするのも難しくはないから甲冑に代用できないかと思ったんだけどな。

ただしタケやササはもともと熱帯の植物のイネ科タケ亜科でマダケ属の自然分布域は中国の長江流域以南なので并州や涼州では少々手に入りづらい。

だが東アジアでの竹の生育域は以外に広くて淡竹(はちく)孟宗竹(もうそうちく)のように耐寒性の高い竹はここいらでも手に入らないでもない。


「しかし、防寒も考えれば皮か毛糸を膠で煮込んだほうがいいかな?」


 実際にフランスなどで使われていた亜麻を膠で煮込んだリネンキュイラッサや皮を膠で煮込んだキュイルボイルなどの布や皮を膠で煮込んだ鎧はかなりの防御力と耐久性を持ち、なお軽くて片手剣ではまともに貫けなくらいの丈夫さを持っていて、下手すれば青銅の甲冑より丈夫であったりする。

材料も麻の布や動物の皮などを膠でじっくり煮込めばよいから材料もそこまで手に入りづらいわけでもない。


「とりあえず皮をでかい鼎に入れて膠で煮込んでみるか」


 まずは試してみたがやはり結構丈夫な鎧に仕上がるようだ。


「まずは隊長格から着てもらい、なるべく全員に行き渡るようにしよう」


 取り合えず比較的かるくてこのあたりでも作りやすい丈夫な鎧についてはこれでいいか。

湿度が高くて暑い場所での鎧はまた別に考えないといけないかもしれないが。


「後はやはり有能な医者がほしいな」


 後漢末で医師として有名な人物は華佗(かだ)張機(ちょうき)などがいるが、この時代の医師は社会的にとても身分の低い者とされていた。

日本でも1946年に医師実地修練制度に基づき、第一回医師国家試験が行われるまでは誰でも医師を名乗ることができたのもあって医師だからといってあまり信用されていたわけではないが、古代の中国では儒教の思想で疫病が起こるのは統治者の不徳によるものとされていたりもしたからな。

そういうところではあんまり合理的でないところもまだ強かったりする。

華陀は当時の中国医学を超越した医学的知識を持っていたのだが彼と曹操は同郷で曹操の頭痛治療に当たったが、曹操は華陀を士大夫として扱わずにいたのでそれに嫌気が差したということもあったようだ。

そして華陀は外科手術を行ったようだがその後は手術は儒教の教えに反するとされたため、西洋の医師により外科の考えが導入されるまで行われなかったりもする。

インドのアユルヴェーダにはちゃんと外科的な考えもあるんだけどな。

俺は曹操を仲介して華陀に并州に来てもらえるように頼んだ。


「きっと彼の医術の知識は役に立つはずだ、天竺の医術なども多分学んでるともうぞ」


「はあ、天竺の医術ですか?」


 後漢の時代はインドから仏教が渡来した時代でもあった。

それと共にアユルヴェーダの知識も渡来していてもおかしくはないともおもう。

曹操は俺の言葉に半信半疑だったようだが豫州沛国譙県に居るという名医の華陀に十分な報酬などを用意するのできてほしいという文を送り、やがて彼は并州へやってきてくれた。


「貴方が名医と名高い華元化殿か」


「うむ、たしかにそうだがいったい誰を見てほしいのかね?」


「皇甫威明様と李元礼様を見ていただきたいのです」


「なんと?!」


「どうかお願いいたします」


「うむ、わかったでは様子を見てみよう」


 華陀に見てもらった二人は丸薬を処方されてちょっと悪くなっていた体調も良くなったらしい。


「さすがですな」


「いやいや、人体は運動を必要とするのですが余り過度であってはならないだけで、いつも動きまわっていれば、五穀精微の気は体に取り入れられ、気血は全身に隈なく流れ通せば病が発生することはないのですよ。

故に五禽戯ごきんぎ一つは虎、二つ目は鹿、三つ目は熊、四つ目は猿、五つ目を鳥としてそれに習った動きを行うことで、手足を軽く動くようにすることも出来るのです」


「ふむなるほどな、朝にそういった動作を行うのが良いということか」


「そうですな、身体の調子が少し悪いぐらいでしたらば一つの動物の動きをまねて体を動かせば汗が出て体が軽くなるものです」


「腹中の虫を駆除でき、五臓に気を通し、体を軽快に保ち、年をとっても白髪にさせないという薬を処方しておきましょう」


「おおそれはありがたいですな」


 これは笹の葉等を用いた生薬であるらしいが、華陀の弟子たちはこれにより100才まで生きたという説もあるし、運動と虫下しというのは重要なのだろうな。

李膺にも皇甫規にも隠居後は長生きしてほしいものだ。

そして俺は病院である養生院をたてて華陀を院長と、治療のために必要な薬を買い込んだり、温熱蒸気療法のために、蒸し風呂なども作ることにした。

流行り病対策のためにそういった病人は隔離できるようにもしておいた。

すべてのものを救うことはできないだろうが病や怪我などをなるべくは治療すれば俺や華陀の名前も上がると思う。

まあ、儒者がどう思うかはまた別の問題ではあるんだけどな。

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