表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/177

第31話 閑話この時代の武器防具の真実

 さて、三国志というと呂布は方天画戟(ほうてんがげき)、関羽が青竜偃月刀せいりゅうえんげつとう、張飛が蛇矛(だぼう)、紀霊の三尖両刃刀さんせんりょうじんとう、徐晃の大斧(だいふ)黄蓋こうがい鉄鞭(てつべん)などが有名だが実際にはこの時代にはそんな武器は存在しない。


 方天画戟などの名前を上げた武器は、宋代の武器で後漢から三国志の時代では、ようやく鉄製武器や農具が一般化され始めた頃なので、この時代の冶金技術では作れないし、この時代では存在意義が薄い武器も多い。


 では戦場で一番使われていた武器は何かと言うと、まずは弓。


 遠距離から攻撃できれば有利なのはどの時代でも変わらないので遠距離攻撃武器の代表でもある弓はこの時代大活躍しているが、構造的にはそんな複雑ではない単弓なので有効射程は50メートルほどと射程はそこまで長くない。


 またこの時代の馬具には、「当胸」という矢よけや頭や尻などを覆う鎧が使われたりしていて、当胸を馬の胸に垂らして矢が馬の正面から刺さるのを防いでいたりする。


 弩もすでに存在していてその有効射程は100メートルと長く攻撃力も高いが、矢の装填に時間がかかるという欠点もそのままだ。


 そして白兵戦で用いられる両手持ちの中距離武器の長柄の武器は(げき)(ほこ)など。


 春秋戦国までの戦車戦でよく使われていた()は長い棒の先に横向きに刃を取り付けた武器で相手を引っ掛けたり、刃の部分を前にして柄を右横に突き出して戦車を走らせることで相手の戦車兵に突き刺したりするために用いられた(戦車兵の攻撃の左側は弓兵が担当した)が、戦車がほぼ用いられなくなってきた後漢では騎乗では主に弓などを用いるため、戈は使われなくなり、棒の先に刃を取り付けた矛や縦と横の両方に刃をつけた戟が使われるようになるが戟は当然刃が多くなる分重くなって使いづらいということや貴重な金属を無駄に多く使うという理由から矛が多用されていき、更には刺突専門の(ほう)後の槍が使われていくことになる。


 矛は両刃の刃を持つため切ると突刺の両方ができるが、それが突き刺すのがほぼ専門の槍に変わっていくが、矛と槍に明確な差をつけているのは中国と日本だけでその他の場所では明確な区別はなかったりもするが。


 また(ほこ)は片手持ちの短めの矛で、もう片方には盾を持つのが普通だな。


 基本的に騎乗時に使う目的ではこれらは使われていない。


 長槍としては(さく)と呼ばれる武器がある。


 槊は基本的には騎兵用の長槍でありその長さは非常に長く、騎兵専用の西洋のランスに相当する武器。


 重さと長さから振り回すようなことはできないので、柄の一番後ろの部分についている縄を肩にかけて腕で握って固定し後は馬の突進力でそれを突き刺すというもの。


 厳密には騎兵用は馬槊で歩兵も歩槊と呼ばれる長槍は使ったが歩槊は、西洋のパイクのようなもんで柄の部分を踏んで両手で穂先を持ち上げて突撃してくる敵を待ち構えるというものだ。


 もちろん飛び道具には弱いと言う欠点がある。


 接近戦武器としては刀剣も存在する。


 刀は片刃なので頑強な威力重視の武器でこの時代で多く用いられたのは環首刀、細身の直刀に柄頭の環が特徴だな。


 剣は諸刃なので軽量で取り回しの良い重視の武器としてそれぞれ用いられているが剣は王の剣位の象徴としても用いられている。


 この時代の刀は切れ味よりも片刃であるメリットを生かして重さで叩き斬るのが主だったりする。


 一方防具だが春秋戦国時代には小さな長方形の札を革紐で縦横に綴った札甲、西洋で言うラメラーアーマーが広まったが、漢代には楕円形の小札を上だけ綴って隙間なく並べた魚鱗甲、西洋でいうところのスケールメイルが出現し腕を筒状の袖で覆う筒袖鎧も現れて防御力もあがることになり、騎兵が敵の攻撃から足を守るために腰や脚などの下半身を守る鎧も現れている。


 また鎧の上から戦袍(せんぽう)と呼ばれる衣服を身につけるのが普通なので昆のような打撃武器だとあんまり有効打を与えられられなかったりするのだが、後漢王朝には或る程度規格の整った鎧を大量に運用するだけの技術も財力もないので、古代中国の甲冑の部位ですら頸部を守る「盆領」、胸部を守る「身甲」、腕を守る「披膞」、腰から下を守る「垂縁」 の中で全部をつけられるのはそれなりに富裕なものだけで、身甲が身につけられれば良い方であったりもするのだが。


 日本の鎌倉から戦国時代でも武将は大鎧や当世具足のような全身を守る鎧を身につけられたのに対して足軽などは胴丸のような胴体を守る鎧を身につけるのがせいぜいであったのにもにている。


 で実際のところなんだが、この時代の歩兵の最小単位は「五兵」からなっていて5名で5種類の武器を運用し最小の戦闘集団として運用するんだが、最前列が鉾と盾、その後ろが矛や戟、更にその後ろが弓や弩と言う順に並ぶ。


 で、基本的に鎧も支給されるのは最前列の矛と盾を持つものだけで、後は普通の服で戦うのだな。


 下手すれば最前列にも鎧が支給されないことも有って、曹操が袁紹と戦った時には彼の配下の兵士はほとんど鎧をつけていなかったそうで袁紹の兵士ですら15%程度だったそうだが、そもそもが曹操の配下は山賊崩れ、黄巾賊崩れが多いのでそれも当然だろう。


 それを考えるならそろそろ兵士用に安くて揃えやすい鎧を作る方法を考えるべきかもな。


 竹鎧とか青銅のブレストプレートとか。


 それ以前に馬具などを揃えたほうがいいのかもしれんけど。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ