第25話 閑話・その頃の宦官などの動向
一方、この頃の後の著名人が何をしていたかについてである。
まずは洛陽では宦官による党人狩りが行われていたが、宦官に対する不満も大きいためにうまく逃げた党人も多数いた。
張奐はそういった宦官の行動を弾劾したが、聞き入れられずむしろ宦官に貶められそうになっている。
宦官:(張奐)うるさいのでなんとか黙らせたい。
(袁紹)清流派と交わるなど許せないが袁家は敵に回したくないので面倒臭い。
(袁術)だれそれ?
清流:(宦官)許しがたい存在だ、今に見ていろ。
民衆:(宦官)もういい加減にしてほしい。
一方、袁逢の嫡子である袁術であるが、彼はいとこである袁紹と同様に侠人として知られてはいたものの、彼は袁紹のようなガチの清流派ではなく名士の子弟のちょいワル仲間達と放蕩な生活を行っていたぐらいで全然お坊ちゃんであった。
だが、袁紹は行動を改めなかったのに対して袁術は後に改心し行動を改めた。
父親の袁逢よりも弟の袁隗のほうが政治力は高く、袁逢よりも先に三公となっても居たりするのだが袁隗はあくまで袁逢が袁氏の長と考えていたようで袁逢をたてていた。
袁紹は本来長になるべきだった袁成の息子であったので袁逢・袁隗は袁紹をたてていたのだが、袁術は袁紹が自分より袁逢・袁隗に期待されている上に、清流派の中では声望がとても高いことを妬み、袁紹の母親の出自の低さをたびたび持ち出してはこき下ろしている。
まあそんなことをやるから余計に下に見られるわけでもあるのだが。
袁術:(袁紹)母親の血筋が下賤なのに俺より名高いとか許せん。
清流:(袁術)中途半端なボンボン
民衆:(袁術)なんか偉い人らしい
ちなみに後に袁術のもとで出世する孫堅はまだ未成年である。
彼は孫子の兵法の孫武の子孫を自称しているが父母などの来歴は一切不明であったりする。
孫堅:なんとか先祖伝来の兵法で名を挙げ、武功を立てて出世したいぜ!
このころの公孫瓚は成人していたが母親が貧しい身分であったため郡の門下書佐という正直に言えばあまり身分の高くない地位にようやく就いたところであった。
公孫瓚:もっと儒学を学んで出世したい。
一方、後に蜀をおさえる劉焉は董卓より7歳ほど年上。
前漢の皇族である魯恭王劉余の末裔であり、傍系ながら皇室に連なる血統で皇帝になることも可能であったかもしれない人物である。
同じ血統ではほかに劉表がいる。
劉焉は若くして州や郡の役所に出仕し後漢の宗族だという理由で洛陽にて中郎になったが、学問の師の喪に服するため官職を辞したのち、司徒府に招かれ再出仕して洛陽の県令の後に南陽郡太守をしている。
劉焉:もうこの国は長くなさそうだ、安全そうな田舎に赴任したいものだな。
清流:(劉焉)なんかわりとまともっぽい?
同族で後に董卓によって荊州へ単独で行かされされながらも荊州で一大勢力を築いた劉表は董卓より3歳年下であり大学で儒学を勉強して、清流派の党人の中で「八及」と呼ばれる名声を得ているがそれにより党錮の禁において終身禁錮の刑となっている。
後に霊帝から追われる身となった張倹の逃亡を助け、自らも追われる身となったが現在はまだ洛陽にいる。
劉表:そろそろだれかの手を借りて逃げ出すべきか。
清流:(劉表)同士よ!これからどうしようか?。




