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第170話 周辺国に使者を送り形式的従属を行わせよう

 さて、新たなる建国の宣言は多くの民衆などからは問題なく受け入れられ、大きな反乱が起こるようなこともなくすんだ。


「まあ基本的には俺がやっていたことを改めて明示した上でそのまま続けるだけだしな」


 そして、国内が安定しているならば次は外交だな。


「東西南北の諸国や異民族の一族の長たちへと使者を送り、王に封ずるゆえ挨拶に来るように通達せよ」


 俺は董超を通じ、周辺各国へ正式に挨拶へ赴くように伝えるようにした。


「かしこまりました父上」


 史実では後漢末期より三国時代初期にかけては、遼東公孫氏が事実上の独立政権を打ち立てていたため、朝鮮半島への外交ルートが閉ざされていて、高句麗や倭や韓などの諸国、諸民族の外交ルートはなかったので司馬懿によって公孫淵が滅ぼされるまではそちらに介入することもできなかった。


 公孫淵が滅ぼされると魏が直接統治に乗り出したため、邪馬台国の女王の卑弥呼は帯方郡へ使者を送って、魏に臣従し、この時の魏の皇帝である曹叡は卑弥呼に下賜品を与えるとともに、卑弥呼を「親魏倭王」に任じてその証である金印を与えたとされる。


 二十四史から倭の歴史的経過をみるなら178年から184年に倭国大乱が起こって、184年には倭国大乱をおさめるため、国人は卑弥呼を女王に擁立したとされるから現状はまだ収まってはいないのだろう。


 とはいえ卑弥呼が死んだのは242年~248年頃とされるから現状ではまだ年若いだろう、魏へ朝貢を行なうよりもはるか前に大乱は収まっていたのだろうけどな。


 ああ、もしかしたら大陸から逃げ出した者たちが九州で悪さをしてるとしたら済まないと思うが、おそらく元々の原因は夫余という満州あたりに住んでいる農耕遊牧民族が高句麗や鮮卑の圧力で朝鮮半島を南下して日本に逃げ延びたものがいたのが原因だと思う。


 もっとも東の朝鮮半島や対馬、九州よりもシルクロードに直接関係し中央アジアからインド北部までを支配している大月氏国こと、クシャーナ朝やモンゴルでいまだに大きな勢力を保つ鮮卑などに比べればそこまで重要性は高くないのも事実だが。


 いずれにせよ、使者を送ってくるか来ないかで、さらなるその外側からの勢力の攻撃に対する防壁として使えるか使えないか判断をするのは大事だろう。

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