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第130話 汝南・潁川の黄巾残党が反乱を起こしたか

 さて、年が変わって初平4年(193年)になった。


 史実であれば初平3年(192年)4月に董卓は呂布に暗殺されているので、その年を超えて無事に生き残れたのは良かったぜ。


 そして呂布は顔良を下して官渡を抑え、白馬に兵を進めている。


 その他の将軍たちの動向として、まず徐州の臧覇は徐州を完全に制圧し、青州の北海国へ兵を進めて袁譚と交戦しており、青州方面からの冀州方面への増援を食い止めている。


 豫州東部の孫堅は豫州の沛国・陳国・魯国などを制圧したあと兗州東部の泰山郡・済北国も落として倉亭へと向かっている。


 并州の韓遂やその下にいる麴義などは壺関から黎陽方面へ進撃中だ。


 劉備は幽州方面から冀州北部中山国にて後方攪乱を行っていて、劉和ともともと劉虞の臣下であったものなどは幽州から袁紹の勢力をだいたい追い出したようだ。


 揚州南部の朱儁はまだ平定には至ってないようだがこれは仕方あるまい。


「あとは袁紹を包囲しながら粉砕するだけかな」


 そう思っていたところに悪い知らせが届いた。


「汝南で黄巾の残党が反乱をおこしました」


「ち、戦線を北へ押し上げたすきをつかれたか」


 黄巾の乱が終結したあともその残党は少なからず残っていて、汝南・潁川には劉辟・何儀・黄邵・何曼・龔都といった者が反乱活動を継続してそれぞれが数万の軍勢を率いている。


 史実の官渡の戦いでも袁紹はやつらを動かしてるっぽいが、正当な天子を掲げたのがこれに関しては悪い方に動いたんだろうな。


 ぶっちゃけ霊帝は民衆に嫌われていただろうから、張角などの幹部が死んだあとで太平道を支持する民衆はまだまだ少なくなかった。


 そして荊州の南陽と兗州の陳留の間に存在するのが汝南・潁川であってここで反乱が起こると補給線が司隷を経由することで長く伸びて厄介なことになる。


「豫州は好きにしろとでも袁紹に言われたのであろうが、そうはさせんぞ」


 俺は南陽に残していた裨将軍である張遼と偏将軍である黄忠を呼び出した。


「お呼びと聞き張(遼)文遠、参上いたしました」


「同じく黄(忠)漢升参上いたしました」


「うむ、二人には汝南・潁川で反乱を起こした黄巾残党を討伐してほしい。

 汝南は張将軍に、潁川は黄将軍に任せる。

 この汝南・潁川における騒乱を早くおさめねば北に兵を進めている者たちが飢えかねぬからな」


「かしこまりました、お任せくださせ」


「かしこまりました、早急に鎮圧してみせましょう」


「うむ、たのむぞ」


 まあこの二人ならば黄巾の残党を早急に破るのは間違いないだろう。

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