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第127話 冬になり河が凍結したので決戦が始まりそうだな

 さて、季節は巡って冬になった。


 後漢末は小氷河期であったこともあり、黄河等の北部にある河は皆凍結してしまい馬で渡ることが簡単にできるようになる。


「そろそろ決戦か」


 北方の遊牧民族が黄河を渡って何故中国に簡単に侵入してこれるのかという理由が、この黄河などの河の凍結によるもので、チンギスハーンの金の攻撃なども冬季に渡河して行われているし、21世紀でも凍結した上を車で渡っていく人間もいるほどだったり、春になって低緯度な地域の氷が溶けても高緯度な地域の氷は溶けないので、洪水を防ぐためにわざわざ空軍機で爆撃したり、砲で砲撃して氷を砕いたりしているくらいだ。


 そしてこの時期は晩秋に種をまき、晩春から初夏にかけて収穫を行う麦が主食である地域は食料が不足しがちな時期でもある。


 米の場合は春に種まきをし初夏に田植え、秋に収穫するので米が不足するのは春の種まきのあとであるのとは対照的ではあるな。


「陳留などへの食料の輸送は確実に行えているな?」


 俺が賈詡に聞くと彼は大きくうなずいた。


「は、問題ありません」


 北馬南船というのは中国北部では北方には平原や山野が多いので馬に乗り、南方は川や湖が多いので船を用いるからとされているが、北方は河が凍るので船を使わずにすむということも理由にある。


 そして万里の長城がなぜ必要であったかというのも、冬になれば黄河を渡るのが簡単だからだったのだ。


 黄河の凍結期間は緯度にもよるのだが緯度が高く凍結期間が長い内モンゴルなどでは半年以上、中原地方でも四ヶ月ほどは凍っていて、氷の厚さも1メートルに達するといわれる。


 もっとも実際に、河を渡れるのは氷結し始めてから半月から1ヶ月程度は必要で、氷が薄いと割れて水に落ちる可能性もあるわけだが。


 史実の官渡の戦いの序盤である白馬・延津の戦いは建安5年(200年)の2月に開始されているが、淳于瓊・郭図・顔良などは、凍結した黄河を渡って南岸にある白馬に布陣していた曹操軍の東郡太守劉延を攻撃しているはずだ。


 豫州の孫堅、徐州の臧覇や并州の韓遂も、陽動で冀州東部や青州や冀州北部へ攻めるようにするはずだ。


「このまま行けば決着は来年にはつくであろうか?」


 俺が賈詡に聞くと彼は大きくうなずいた。


「おそらくは」


 曹操には劉和や麹義に対して袁紹が行ったことなどの宣伝工作を行わせで世論を味方につけさせようともしている。


 ここまですれば問題はないとは思うが有名な項羽の例だけでなく、勝ち続けたにもかかわらず最後に敗北したり暗殺されたりしててそれまでの戦績を無に帰した人間も多い。


 だからまだまだ油断は禁物だろう。

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