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第126話 大軍を運用するには足場を固めるのが大事だ

 さて、兗州の陳留を制圧した呂布は陳留の復興に力を注いでいるようで、今のところ反乱などは起きていない。


 史実では袁紹は麴義や呂布の略奪行為をよく思っていなかったため彼らを処刑したり追放したりしているが、民衆にはかなり支持されていたようで、後の晋の時代まで彼の統治を惜しむ声が上がっていた、といわれているし、兵士に対しての鎧の支給率もこの時代にしてはかなり高かった。


 袁紹がもう少し若く官渡の戦いの直後に病死しなければ、曹操の河北平定はもっと遅れていた可能性も高い。


 史実の曹操の統治はどちらかといえば法治主義に近い割には、徐州大虐殺や青州兵の勝手な行動などの悪評もあって民衆の支持を必ずしも得られていたわけでもなかったようだ。


 呂布は民衆の反乱などがないように、そして略奪などせずにすむように、物資集積地や補給線をきちんと構築し必要であれば食料や衣類を支給している。


「これで本格的な冀州侵攻の足がかりができたな」


 冀州の西には并州がありそこは俺が既に制圧している。


 そして并州は、上党、太原、西河、雁門、定襄、雲中、五原、朔方、上郡の9郡に分割されているが、もともと朔方を中心とした黄河を挟んだ西側のオルドスの草原地域は前漢では并州刺史とは別にこの地を統括する為に朔方刺史が置かれていた。


 しかし、後漢では南匈奴や鮮卑の実質的支配地域となって、漢の支配がまったく及んでいなかったのだ。


 史実において正式に朔方・上党・五原・雲中・定襄の各郡は215年に破棄されている。


 そして、残った地域は様々な川の源流が湧き出す山岳地帯であって大軍の運用には全く向いていない。


 上党や太原は黒山賊の本拠地があったあたりだが、後漢朝廷は何度か黒山賊を鎮圧しようとしたが、鎮圧できなかったので、平難中郎将と言う官位を与えており袁紹や曹操も攻めあぐねている。


 道が険しいというと蜀のある益州が想像されがちだが、冀州や兗州などの黄河中流の中原を除けば中国大陸は山が結構多い。


 無論、県と県をつなぐ街道は整備されているが、その整備されている具合などは通常からの交通量や地形に左右されるのは当然で、山がちな場所の街道を整備維持しようとするよりは、平坦な場所の街道を整備するほうが基本的には楽だ。


 豫州は孫堅が兵を率いて制圧しているが豫州陳王の劉寵と宰相の駱俊を降伏させた。


「袁紹に担ぎ上げられたとはいえ善政を行っていた方だ、そのまま陳国を統治させるのがいいだろう」


 そして陳国の役人であった梁習を俺は召し出した。


「今後は俺のために働いてほしい」


「かしこまりました、微力ながら力を尽くす所存であります」


 史実において梁習は曹操の下で并州刺史を代行してその統治に多大な貢献をした人物だ。


 演義では出てこないので無名だけどその能力は疑うものはないはずだからな。

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