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第117話 公孫瓚が攻め滅ぼされたか

 さて、麹義と劉和の俺の陣営への引き込みに成功した。


 幽州は劉和を名目上幽州牧とすることで劉虞の威信や異民族などの取り込みを図り、麹義は一度俺のところへ来させた。


 その間に年が変わり改元が行われて興平元年(194年)となった。


 天子の元服の式典も行い、董白が天子に嫁ぎ夫人から貴人として正式に立つことになった。


 それにしたがって外戚である俺の身分は郿塢侯から郿塢郡王と地位も上がってしまった。


 本来第二十級の列侯が臣下としては一番上の爵位で、王号は本来皇族である劉氏以外は与えられないのだが、


 よほど特筆した実績がある場合にはその限りでなく曹操は魏王となっている。


 最も現状では天子に実権は渡していないわけだがな。


 そして麹義が俺のところへやってきた。


「袁紹は私を利用するだけ利用し、一度の敗戦の罪をかぶせて処刑しようとしました。

 袁紹への報いを与える機会をぜひ願います」


「うむ、お前には袁紹との戦いの最前面にたってもらうつもりだ。

 その前にお前の名声が大きくなったことで、袁紹は焦って密かに処刑しようとしたという噂も流しているが、現状で袁紹に干されている者をこちらに引き込んでほしい」


「ふむ、田(豊)元皓などですな」


 麹義は戦いではないのは面白くないという表情だがな。


「曹(操)孟徳も協力し、袁紹陣営の離間を進めてくれ」


「かしこまりました」


 麹義に引き込みをやらせること自体は難しいかも知れないが、曹操がまた袁紹の陣営に接触しようとしているとなれば袁紹は疑心暗鬼をつのらせるのではないだろうか。


 史実においては麹義をつかって公孫瓚を打倒し、黒山賊は呂布に攻撃させ、袁術には曹操を当てるなど袁紹のもとには後漢末期最強の指揮官が揃っていた時期もあったのだが、麹義は処刑、呂布は追い出され、曹操は離反しているのだよな。


 それでも官渡の戦いは優勢だったのだが。


 それはともかく公孫瓚は包囲された部下に対して救援軍を送らなかったために部下が自軍の指揮官を殺害して自壊するか袁紹軍に降伏するかあっさり撃破されるかと言う状態で袁紹に包囲されていたが、突撃騎兵を率いて出撃し包囲網を突破して城外の息子である公孫続と合流して俺のところへ逃げようとしたようだが、それは部下の関靖に止められ、最終的には公孫続と同時に内外から呼応して攻撃する作戦を立てたのだが、公孫続のもとへ送った密使が袁紹の斥候に捕らえられて計画が漏れ、それぞれ各個撃破されて惨敗を喫し、袁紹は地下道を掘って易京の地下から城内へ侵入。


 その結果公孫瓚は城に火を放ち妻や子らを刺し殺し、自らも自害して果て公孫続も殺されたそうだ。


「最後はあっけなく死んだか」


 公孫瓚は共に戦ったこともあるとはいえあまり接点のない方ではあったが俺のもとにとどまっていたらまた別の未来があったのかも知れないな。


 それは今更言ってもどうにもならないものであるが、フラフラしながらも生き延びてる劉備と比べて対照的でもある。


「袁紹が先に北の問題を片付けてしまったか……」


 揚州南部の山越対策はまだ終わりきっていないが袁紹との決戦の準備を進めるしかあるまいな。

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