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第111話 羌族や南匈奴との関係を円滑につなぐために息子たちを涼州へ向かわせたよ

 さて、袁紹と公孫瓚の争いは公孫瓚が自滅気味でどんどん追い詰められてはいるものの未だに決着はついていない。


 一方の俺も揚州南部や益州南部、それと徐州北部の袁紹と協力関係にあった青州黄巾残党の対処や兵站のための街道や運河、食料などの備蓄施設の整備、鎧や武器や大車(輸送用馬車)の生産、弓兵や騎兵の鍛錬で手がいっぱいだ。


 諸葛孔明が北伐の前に南蛮征伐をしたのは劉備の死後でこちらはそこまで平定に長い期間はかかっていないが、揚州の山越に関してはものすごく鎮圧に時間がかかっていて、孫策が195年から200年にかけて揚州の大半を武力で制圧していったあとで、最後の山越の大規模討伐は234年に、諸葛瑾の息子である諸葛恪が行っている。


 諸葛恪は撫越将軍・丹陽太守になり着任して現地で行ったのは、徹底的な兵糧攻め。

田地の戸籍登録を強化し、領境を固めて移住逃散を不可能にし、きっちり防御を固めながら、降伏してきた山越賊はきっちり労り、頑強なものは兵に加えそうでないものは田畑を開墾させることで3年で山越を帰順させた。


 もっとも193年には予章郡の異民族を大規模に討伐し、210年には予章郡を分けて鄱陽郡を、長沙郡を分けて漢昌郡を作っていたり、交州へも進出しているので、210年位にはある程度は孫権の揚州支配は進んでいたようだ。


 もっともその後も216年に会稽郡の山越山賊の潘臨(はんりん)を陸遜が捕らえ、同じ216年に、曹操から印綬を受けた鄱陽の山越の頭目である尤突(ゆうとつ)が反乱し、これは賀斉が鎮圧降伏させている。

翌年の217年、費桟ふつせんが丹陽で山越を扇動して曹操に内応しようとしたところを撃破し、第二次濡須口の戦いで曹操は攻めあぐねて退却しているが、この後度重なる曹操の攻撃と山越による揚州各地での反乱に困った孫権は曹操と漢王朝に降伏を申し入れ臣下の礼をとり魏に従うように見せつつ、山越の反乱討伐に力を入れ、225年から227年まで続いた山越の彭綺ほうきの反乱などを鎮圧している。


 益州は漢の高祖劉邦が地盤としていたため北部の盆地の開発はかなり進んでいたが、呉越の土地であった揚州の場合は山岳地帯には引き続き異民族である山越が住んでいため、実際には山越については戸籍に載っておらず租税も取れなかった。


 もっとも長江周辺で太守を置いてそこからそれなりの租税を徴収できればそれで十分だったのではあるが。

山越は主に獣の狩猟や野草山菜木の実などの採集や焼き畑で食料を自給していたらしい。


 孫策は反抗するものは皆殺しにして、兵に入れたり開拓などの農作業に強制的に従事させたりしていたためかなり山越から反感を買っていたのも原因だけどな。

焼畑農業と灌漑農業ではその辛さはぜんぜん違う。


 なので益州南部はともかく揚州南部はそう簡単には安定しないだろうと思う。


 それはともかくとして、涼州方面の羌族や南匈奴のような異民族に対して、俺が事実上隠居して息子たちに後を譲るということで彼等に舐められないようにしつつ、息子たちとの仲をそれなりに保たてるようにするためにも息子を羌族の族長の元へ向かわせることにする。

その役割は俺の三男である董仁に行わせることにしようか。


「そう遠くないうちに袁(紹)本初と我々は雌雄を決するために直接争うことになるだろう。

 そのときにあちらは烏桓や鮮卑の協力を得ている可能性が高い。

 故に我々は羌族や南匈奴の協力を得ることが大事であろう」


 俺が賈詡にそう言うと彼はうなずいた。


「左様ですな、中平2年(185年)に反乱を鎮圧してからは涼州では問題は起きておりませぬが、董相国からご子息へ代替わりしても、彼等への対応は変わらぬということを示しておいたほうがようでしょう」


「うむ、涼州へいかせるのは董仁で、その護衛には趙(雲)子龍や馬(超)孟起をつけようと思う」


「それで問題はないかと」


「ではそのように進めようか」


 というわけで俺は董仁、趙雲、馬超を呼んで、話をした。


「お前たちをここへ呼んだのは他でもない。

 涼州の羌族や南匈奴などに対しては今後も変わらぬ対応をするということを伝えてもらいたい。

 そして彼等は我々に従うのはそれなりに勇あるものであるということを示す必要があるであろう。

 お前たちならばそれが可能だと信じているがどうであろうか?」


 まずは董仁は答えた。


「は、必ずや父上の期待に答えましょう」


 そして趙雲、馬超もコクリとうなずいたあと答える。


「その大命必ずや果たしてまいります」


「わが父の名を汚さぬようにいたします」


 俺は三人の答えにコクリとうなずいた。


「では、頼むぞ」


「はっ!」


 こうして息子とその護衛の二人を涼州へ送り出した俺だが、まあうまくやってくれると信じよう。

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