三十三、似ている
「グレース王妃様。お願いがございます」
ロジュは、自分の母親に向かって、丁寧に声をかけた。急にロジュが来たことで戸惑いを隠さないグレースの前で、ロジュはお辞儀をしながら右手を差し出す。その手の震えに気がつけるのは、目の前にいる人物だけであろう。
「私と、踊っていただけませんか」
時が止まったかのように、周囲の人間は動きを止めた。ロジュとグレース王妃の仲がそこまで良くないことは、知られている話だ。だからこそ、ロジュが母親に声をかけたことは、珍しいことのように思われた。
「ええ。勿論です」
グレース王妃はゆっくりとロジュの手に自身の手を重ねる。ロジュは顔が強張らないように気をつけながら、会場の中央へと向かう。
「本当によろしいのですか?」
ロジュは誘っておいてだが、曲が始まる直前、一応確認をした。ロジュは断られる可能性も十分に考えていた。
「貴方が誘ったんでしょう?」
グレース王妃はクスリと笑いながら答える。その表情には嫌がっている様子も、面倒だと感じている様子もなかった。ただ、ロジュに向けられるのは、優しげな表情。
曲が始まって、しばらくはただ踊っているだけであった。ロジュもグレース王妃も、幼い頃からダンスは習っている。目をつぶっても踊れるというくらいは余裕がある。音楽が流れているため、周囲には声は漏れない。ロジュは口の動きで会話を知られては困るから、口をあまり動かさずに、声を発した。
「応じていただけるかは正直、賭けでした」
ロジュの言葉に、グレース王妃は苦笑をした。
「断るわけがないではないでしょう。滅多にない息子からの頼みを」
軽やかな声で答えるグレース王妃に、ロジュは言葉を迷いながらも口を開いた。
「でも、母上は。お嫌いなのですよね? 俺のことも、俺の、瞳も」
その苦しげな言葉に、グレース王妃は息を呑んだ。迷うように視線を動かしたあと、再び口を開く。
「いいえ。そんなことないわ」
「それでは、なぜ。どうして今まで」
どうしてロジュを生んですぐに泣いたのか。どうしてずっと会いにこなかったのか。どうして触れたがらなかったのか。ロジュが疑問を口に出そうとするも、口ごもる。それでも、ロジュが何を言いたいか分かったのだろう。グレース王妃はロジュから視線を外しながら声を出した。
「貴方に、申し訳なかったのよ。第一王子なのに、赤い瞳で生んであげられなかったことが。それに、貴方が優秀であると顕著になればなるほど」
ロジュは、藍色の瞳をこぼれそうなほどに見開いた。グレース王妃を見つめる。彼女は苦しげな表情を浮かべていた。ロジュに、ずっと申し訳なさを感じていたのだろう。だからこそ、ロジュに近づかなかった。ロジュを見ると、ロジュの瞳を見ると、苦しくなるから。自身の罪悪感に苦しめられるから。事情は分かった。それでも。
「母上。俺は、自身の瞳を嫌だと思ったことはありません」
「そう、なの?」
ロジュは嫌だと言ったことはないというのに。しかし、ソリス国の人間であれば、仕方がないことだとは思う。赤い瞳が王の素質だと見られ、それ以外は王になれないものである、と決まっていたのだから。
「それに、俺は……」
ロジュは迷いで視線を動かした。どこまで、本心を明かしていいのだろうか。どこまで言っても迷惑ではないのだろうか。分からない。家族との適切な距離感なんて、知らない。
少しだけ。グレース王妃が本心を述べてくれた分、踏み込んでもいいのかもしれない。
「少しだけ、寂しかったです」
少し、ではない。ロジュは寂しかった。母親からも父親からも関心を持たれていないという事実に。それでも、構わないと思えるほどは強くなかった。仕方がない、と諦めるしかないほど、弱かった。愛されるように努力をして、それで上手くいかなかったら。そう考えてしまう。
ロジュ・ソリストは弱い人間だ。その事実をロジュはとうに知っている。ロジュは苦笑した。
グレース王妃は橙色の瞳を見開いた。
「ごめんね、ロジュ。許してとは、言わない。貴方は私に、何をしてほしい? できる限り、叶えるわ」
グレース王妃は、ロジュと似ているのかもしれない。この場で、契約のように、相手からの要求を欲するところが。ロジュは緩やかに首を振った。
「何も、ございません、母上。今日、この場で一緒に踊ってくださったこと、それだけで十分です」
ロジュは、迷いがなくなった表情でそう言った。それはまさしくロジュの本音だ。すがすがしい笑みを浮かべる。それに対し、グレース王妃の表情は曇った。
「貴方は、私に何も求めないのね。何も。私から求める価値はない、ということね」
ロジュは瞳を瞬かせた。そういうことが言いたいわけではない。グレース王妃は勝手にマイナスの方向に捉えている。
そこで、ロジュは一つのことに気がついた。ロジュは表情が引きつりそうになるのを、必死に堪えた。どこかで、見た光景だ。まるで、自分がラファエルやリーサ、ウィリデに言ったようなことだ。
敬愛を向けてくるラファエルには、欲しいものは何かと問いただし。
恋愛感情を向けてくるリーサには、勝手に来てもいない未来のことを考えて、公の場で一定の距離を取り。
愛している、と言ってくれたウィリデには、価値のない自分を何で好きになるのか、と問うた。
自分は、今まで人の感情をどれだけ蔑ろにしてきたのだろうか。相手は本音を言ってくれていたのに、自分は悲観的に捉えてまともに取り合わなかった。それをされた相手は、どれだけもどかしく、苦しかったのだろう。
自分の思考で黙り込みそうになったロジュだが、グレース王妃に言葉をかけないと、ということに気がついた。ロジュは口を開く。
「違います。母上。俺は、貴方に何を求めたらいいかが、分かりません。俺は、貴方のことを何も知らないですから。なので、これから機会をいただけませんか? たまにお話をする時間をください。それでしたら、何か見つかるかもしれません」
自分に似ている相手であれば、どのような返しをすればいいかわかりやすい。ロジュは自分が納得するであろう言葉をかけた。ロジュの予想通り、グレースは明るく表情を変え、頷いた。
「分かったわ。そうしましょう」
その後、無事にダンスを終了したロジュとグレース王妃は、互いに一礼をしてその場を離れた。
「それでは母上。残りのパーティーを楽しんでください」
「ええ。ありがとう」
ロジュとグレース王妃は、どちらも笑みを浮かべて別れた。ロジュとグレース王妃の不仲であると思っていた周囲の人々がざわめていているのを、二人とも気にする様子はない。
ロジュは迷う様子なく、ラファエルとリーサの元へと向かった。
「ロジュ様、お疲れ様です」
「ああ。ありがとう」
ロジュに、ラファエルが声をかける。ロジュは軽く頷いて返した。ラファエルは、ロジュに気遣う視線を送った。
「問題なかったですか?」
「ああ」
憑きものが落ちたように穏やかな笑みを浮かべるロジュを見て、ラファエルも微笑んだ。ラファエルはロジュの今までを全て知っているわけではない。ロジュの苦悩を考えることしかできない。それでも、少しでも解消されたのならよかった。




