二十六、いつまでも子どもではない
「ウィリデ、私から質問があるんだけどいい?」
アーテルがウィリデに金の瞳を向ける。ウィリデは甘さを含んだ視線をアーテルへと向けながら頷く。
「いいよ、アーテル。何でもきいて」
ウィリデはアーテルが自分に興味を持っているということに嬉しいのだろう。ウィリデの甘さを含んだ表情から、ラファエルは目を逸らした。ウィリデという人物が身内に甘いのは知っていたが、恋人にはもっと甘くなるようだ。恋人がいないラファエルはその表情を直視できない。
ウィリデを視界にいれていることが気まずくなったラファエルは、いつものようにロジュへと視線を移す。姿勢良く座っているロジュを見て、ラファエルは感心した。ほぼ初対面のアーテルがいるため楽な気持ちにはなれないラファエルとは違い、ロジュにとっては身内だけの場といえる。しかし、気を抜く様子はなさそうだ。
ラファエルが全く別のことを考えている間に、アーテルはウィリデに向かって口を開いた。
「どうして、シルバ国は鎖国をしたの?」
アーテルの言葉に、ウィリデは黙り込んだ。言った場合と言わなかった場合の利益、不利益を考えているのだろう。国に関することだ。ウィリデは損得の判断をする。その相手が恋人だったとしても。結婚をしたら迷わずに言うかもしれないが、今はまだ言ってもいい、と判断したことしか言えない。
世間的に、ウィリデは鎖国の理由については沈黙を守っており、面と向かって聞かれたとしたら、「国のための判断」とだけを口にし、ぼかしている。人に広まったときの影響力を考えての結果だ。
シルバ国の国民は、そんなウィリデの判断に対し、「ウィリデ陛下が決めたということは重大な理由があるのだろう」と受け入れている。そこから、ウィリデに向けられる信頼の高さが窺える。
「言ってもいいんじゃないか、ウィリデ」
迷っているウィリデに向かって、ロジュが口を開いた。ウィリデは若草の瞳を瞬かせてロジュを見た。
「アーテルは旅をしてきたんだろう。何か手がかりを持っているかもしれないじゃないか」
「いや、でも、流石に……」
アーテルが旅の途中でシルバ国の密輸事件についての何かを見た可能性はあるのだろうか。そんな、偶然があるか、とウィリデは首を傾げる。
「え、何で二人とも私が旅をしていたことを知っているの?」
アーテルに問われて、ウィリデとロジュは視線を合わせた。
「ラファエルが言ってたからだ」
「うん」
ロジュが答えを出し、ウィリデも頷く。アーテルからの視線を受け、ラファエルは首を傾げた。アーテルは何を不思議そうに言及するのだろう。
「えっと、アーテル様。社交界では有名な話だと思うのですが……」
「ええ? そうなのですか? 他国の人に知られるほど?」
アーテルは驚きの声をあげる。自身の影響力を正確に把握しているロジュやウィリデ、ラファエルとは違い、アーテルはどこか疎いところがある。それは、アーテルが次女という長女よりも注目をされない立場だからか、それともアーテル自身の性格か。
「『銀の女神』様だろう?」
ロジュがアーテルについている、大袈裟に聞こえるあだ名に対し、からかいを含んだ声で言う。アーテルは、頬を手で押さえた。
「ええ? そこまで知られているの?」
「ラファエルからアーテルの名を聞いた後にちょっと調べたらいろいろでてきたぞ」
アーテルを見るロジュの藍色の瞳は優しいものであるが、心配げに表情を変えた。
「結構恨み買っているんじゃないか? 今日みたいなことがまた起こるかもしれないぞ」
「え? そんなに恨み買ってる?」
アーテルが多くのことに首を突っ込んできたのを知り、さらに影響力を自覚していないアーテルを見て、ロジュは、瞳に不安を滲ませる。
「俺が知るだけで、アーテルが介入した中で、少なくとも五件は恨みかってるぞ」
「え? ロジュ、本当? ていうか何でそんなに知ってるの?」
「調べれば分かることだ」
恨みを買っていると調べやすい。なぜなら、恨んでいる相手が派手な行動で報復しようとする時、多くの人間を介する。そのとき、必ず情報は漏れる。情報を漏らしたくないのなら、全ての準備を自分で行う。ロジュだったらそうする。しかし、アーテルを恨んでいる者達はそうではないようだ。ロジュは口の端をつり上げた。随分お粗末な方法でアーテルに報復をしようとしていたからだ。情報は時間をかけるまでもなく見つかった。
「そうなのね……。でも、私の行動が導いたことなら、しっかり責任はとるわ」
アーテルは初めて聞いたようだが、あまり焦っていなさそうだ。落ち着いた表情を崩さなかった。
「ちょっと待っててくれ」
ロジュは立ち上がると、早足で部屋から出て行った。急なロジュの行動に、アーテルは黙ってロジュが出て行ったドアを見つめることしかできない。ロジュの部屋はこの応接室から本当に近かったのだろう。ロジュはすぐに戻ってきた。
「好きに使ってくれ」
バサリ、という音とともに大量の書類が机に置かれた。そこに書いてあるのは、アーテルが干渉して不正や悪事を暴かれた貴族の名と、現時点でその貴族が考えているアーテルへの報復。
アーテルがやったことは民から苦情をきき、現地の状態を見て糾弾するところまでだった。命令をできる立場である貴族と違い、搾取される側の民に寄り添うために、貴族の不正を明るみにしていた。しかし、証拠が薄かった。数値としての証拠を集める間もなく糾弾をしていた。アーテルが糾弾していた貴族は、不正を犯していたことは間違いなかった。それでも貴族はアーテルの指摘を勘違いだと言って否定し、失脚することはなかった。だからこそ、今日のパーティーでアーテルに怒りを滲ませた令嬢がワインをぶっかけようとしたわけだ。
そして、ロジュから渡された資料には、貴族たちの不正や悪事の確固たる証拠がびっしり書いてあった。もし揉めたときに脅しに使える材料も載っており、アーテルは戸惑うように金の瞳を瞬かせた。
「ロジュ、これどうしたの?」
「俺もいつまでも子どもではないということだ」
ロジュは椅子に座りながら言う。どうやって集めた、などは言うつもりはなさそうだ。何も調べられない子どもではない、と言っている。アーテルはまだロジュを子ども扱いする節がある。ロジュの十六歳の様子が色濃く記憶に残っているからだ。しかし、ロジュはそのときの自分とは違う。
「この資料をお集めになったのは、最近ですよね? だって、ロジュ様はアーテル様のことを覚えていらっしゃいませんでしたから」
ラファエルがロジュに尋ねる。ロジュは特に目立った表情の変化はなく答えた。
「前、ラファエルから話が出た後に気になって少し調べただけだ」
少し、というには多い気がする。アーテルは資料を前にして黙り込んだ。ロジュは気になったらとことん調べる性格だ。気になったら行動を起こすところはアーテルと似ているが、表立つ動きをするアーテルと違い、ロジュは裏で動こうとする。だからこうして裏で情報を集めたのだろう。
「ありがとう、ロジュ。使わせてもらうわ」
アーテルは資料を受け取った。ロジュはお礼を言ったアーテルに向かって軽く頷く。




