二十五、当たり前の日々を踏みにじったという自責
「ウィリデ、どう? 呆れた?」
アーテルは自嘲するように笑う。自分がとんでもないことをしたのは分かっている。弟のようなロジュを巻き込んで、世界をぞんざいに扱った。時間を巻き戻す、なんて証明もなにもできないから、誰に罰されることもなく、裁かれることもない。誰も、この事象に関しての責任を追い求めない。
「これは、私の罪よ」
アーテルは儚げに微笑んだ。だからこそ、アーテルは自覚をしていないといけない。自分のしでかしたことの意味を考えないといけない。この世界のために自分が何をできるか考えないといけない。
儚げな表情とは裏腹に、彼女の瞳は強い色を放っていた。
「違うよ、アーテル」
否と唱えたのはロジュであった。彼もアーテルと似たような表情で微笑む。
「貴方の罪ではない。主に俺の罪だ」
ロジュはスッと目を伏せた。藍色の瞳がより一層闇を帯びた。その表情は後悔ではない。ただ、淡々と事実だけを見ている。ロジュは言葉を続ける。
「俺は世界を滅ぼしたようなものだ。当たり前に、次の日が続くと思っていた人たちの思いを、平穏を、未来を、日常を。全て俺が踏みにじったんだ。それを覚えている人間が俺たちしかいないからといって、それが許される訳がない。許されては、いけないんだ」
それは、ロジュが記憶を取り戻す前から心の奥底では感じていたことなのかもしれない。ロジュが自分自身を愛せない要因の一つ。自分のせいだから。自分が幸せを望んでは、いけないから。
「俺は。俺は、罪人と同等だ。結果的にそれをなかったことにしてくれたアーテル姉さんの英雄のような行いとは違う」
ロジュにとって、自身は世界を滅びへと導きかけた悪人であり、アーテルはそれを正してくれた英雄だ。自分とは違う。自分のように感情に振り回される弱い人間とは違う。
「それは結果論よ。ロジュが何をしなくても、私はあの世界を捨てる道を選んだわ」
「それは仮定に過ぎない。結論は、変わらないんだ。だから、俺は贖わなくてはならない。この世界に、この世界の人達に。だから、止まってはいけないんだ」
ロジュは口元だけを緩めるように笑うが、そこに穏やかな感情は込められていない。どちらかといえば使命感であり、義務感だ。追い詰められながらも余裕ぶっているかのような笑みに見える。そのロジュの表情をウィリデは強張った表情で見つめた。
「記憶を取り戻して少しの間でもうそこまで考えたんだね」
ロジュは、アーテルと会ってから記憶を取り戻した、と言っていた。それからまだ一時間も経っていないはず。それなのに、すでに罪の意識を持ってしまっている。奇跡を喜ぶ、という間はなく。
ロジュはウィリデが生きていること、アーテルと親しげにしていることに喜びを感じていても、自分自身の罪の意識に苛まれている。
そして、それはアーテルも同じかもしれない。そして、過去を忘れられずに苦しんでいるのはウィリデも同様だ。
「何かから解放されるのって、難しいんだね」
ウィリデは呟いた。自分だけだと思っていた。過去に囚われ、未来を恐れ、地獄のような出来事が繰り返されるのを恐れていたのは。
でも、そうではない。恐怖。それは当たり前の感情なのかもしれない。自分の犯した過ちを恐れ、繰り返さないと誓いながらも、また自分は同じ事をしてしまうのでは、と不安になる。
その感情こそが抑止力へとつながるのかもしれない。
確証はない。証明はできない。それでも、人の意志や人の覚悟は、本当に無駄なものなのだろうか。役に立たないと、一蹴することは正しいのだろうか。
「意志や決意を抱えたまま自分を戒め続けるって、必要なことなんだよ、きっと」
そう言うロジュは覚悟を決めたのだろう。誰にも裁かれることも、罰せられることもない自分に重圧を課する覚悟をした。自分で、決断した。
「人のためと行動できる王になれば、俺は……。少しは自分を許せるのかもしれない」
ロジュは目を軽く閉じてそう言った。その言葉には彼の切実さが含まれており、声をかけるのをみんな躊躇した。ロジュが許されたい相手は世界でも人でもない。自分自身なのだろう。
「それでは、ロジュ様。僕にお手伝いをさせていただけますよね?」
疑問の形を取っているが、確信に満ちた瞳をラファエルは向ける。ラファエルは疑っていない。ロジュが断るなんて、思っていないのだ。断られたとしても勝手に動く。そんなラファエルに、一瞬ロジュは目を見開いた後、穏やかに笑った。
「ありがとう、ラファエル」
「気にしなくていいです、ロジュ様。僕は貴方のものですから」
熱烈な言葉をラファエルは照れることなく口にする。ウィリデはロジュの様子を窺った。ロジュは困惑を浮かべていない。そのことに、ウィリデは安心した。ロジュは、人から感情を向けられることに慣れてきたのだろう。戸惑いを全く見せていない。むしろ、穏やかだ。そのことにウィリデは嬉しく思う。




