二十、連絡を断った理由
「なあ、ウィリデ陛下」
ロジュの瞳にある色が微妙に変化した気がする。ラファエルは気がついた。ロジュは、覚悟を決めたのだ。少しだけ、自分の中の心境を打ち明ける覚悟。信頼している相手に対してすら、今まではさらけ出す機会はほとんどなかったロジュにしては珍しい。
「ウィリデ陛下にとって、俺は信頼に値する人物なのか?」
それは、ウィリデにとって、思いも寄らない言葉であった。ウィリデは数回瞬きをする。そんな答えは分かりきっているはずなのに。
「勿論だよ」
「本当に?」
ロジュが藍色の瞳を細めた。そして食い下がるように疑いを口にした。珍しいことだ。ロジュがここまでウィリデへの疑いを顕わにするのは。いつもなら、疑わない。あるいは飲み込んでなかったことにしている。
「ロジュ、何が言いたいの?」
「知っているんだろう? 俺が何をしたか」
ロジュは嘲笑するように口元を歪めた。その藍色の瞳に宿る感情の名前は、すぐに分かる。それは、自身への嫌悪感。
「俺は、この世界を終焉へと導いた、張本人。貴方がいない世界では、俺は正しく生きられないみたいだ」
ロジュは深紅の髪をぐしゃりとかき混ぜた。そしてウィリデを見つめる。その瞳に宿るいつも以上に暗い藍色に、ウィリデは声を出すことができない。
「俺に。破壊する力ではなくて、人を守れるような力があれば。ウィリデ陛下みたいに。そしたら、ウィリデ陛下の助けになれたかもしれないのに。ウィリデ陛下は頼ってくれていたかもしれないのに」
「そんなことないよ。ロジュ。今でも頼らせてもらっている」
「いや、違う」
ウィリデの言葉にロジュは首を振る。ロジュは一度迷うように視線を下ろした後に、真っ直ぐウィリデを見据えた。
「だから。だからウィリデ陛下は。シルバ国の鎖国期間中、俺に連絡を取らなかったんだろう? 俺がウィリデ陛下に執着しすぎないように」
その場の時が止まったかのように、誰も口を開かなかった。ラファエルの中で一つ、納得した部分があった。これが、根底にあったのか。ロジュの中で、ウィリデが五年前に連絡を断ったことは、大きな打撃を与えた。ロジュは悩んで、迷ったのだろう。そのときのロジュは自分が太陽を堕としたことなんて覚えていなかった。だから、ウィリデが急に連絡を断った理由がすこしも分からず、混乱したはずだ。そして、ラファエルがロジュに側近にするように嘆願したとき、ロジュが言っていたこと。
『俺の側から、離れないでほしい。俺を見限らないでほしい』
このロジュの言葉が、ラファエルの中で妙に印象的だった。それが、やっとつながった。これは、ウィリデから見放された、と思ったロジュの中から出た言葉なのかもしれない。
「ごめんね、ロジュ」
ウィリデが弱々しく笑う。彼は、気がついていた。自分がロジュを傷つけたことに。それに気がついていながら、今までウィリデはそれに触れることはしなかった。
「ロジュの推測は正しいよ。私は。当時の私は、怖かったんだ。再び繰り返すことを。この世が滅びを向かえることも、ロジュが世界を滅ぼしたと自分を責める結果になるのも、怖かった」
ウィリデはそこで言葉を句切って、顔を覆った。しばらくして顔から手を外す。ウィリデは悩むように目線を動かした。ウィリデは悩んでいた。どこまでを話すべきか。いつもは隠し込むロジュが本音を漏らした。その事実がウィリデは勇気づける。それでも、躊躇した。
「他にも理由はあるんでしょう?」
唐突にアーテルがウィリデへと告げる。ウィリデは動きを止めてアーテルを見つめる。そして口元を緩めた。
「どうして、そう思う?」
「だって、ウィリデはシルバ国の王よ。他にも手段はあったじゃないの。ロジュと距離を取るは確かに正しそうに見えるけど、それは互いにとって、ウィリデ自身にとっても苦しいだけでしょう? 一番の原因であるテキュー殿下を消すことだって不可能ではなかっただろうし、ロジュをシルバ国に連れてくることもやろうと思えばできたはずよ」
ウィリデはロジュのことを大切に思っていた。それはアーテルも知っている事実だ。だからこそ、ウィリデがロジュからの執着を薄める目的で、遠ざけることはあまりにも理性的すぎると感じていた。ウィリデは、冷静ではあるが、理性を投げ捨てて行動に走ることもある。アーテルは詳しくきいていないが、先ほどラファエルが「ロジュの毒殺未遂事件の解決にウィリデが動いた」と言っていたことからも、それは健在だとアーテルは悟っていた。
アーテルはそれを含めてウィリデのことを愛しているのだから。ロジュを大切に思っているウィリデごと愛している。
「その通りだよ、アーテル」
ウィリデは天井を仰ぎ見た。目を閉じるが、少ししてゆっくりと開く。彼の瞳は穏やかな空気を持つ森の中のようであった。
「もっと、正しく言うと、さっきの推測は半分、正しい。まだ、他にも連絡を断ったのには理由があるんだ。私は。ねえ、ロジュ。私は嬉しかったんだ。世界を壊すくらいロジュが私を大切に思ってくれていたことを。そんな自分が……。なんて言えばいいんだろう。恐ろしい、かな。そんな感情を抱いたんだ」
ウィリデは言葉を探しながらも言葉を紡ぐ。ウィリデの言葉にロジュは目を見開いた。
「恐ろしい……。なんでだ?」
「ねえ、ロジュ。前の言葉を覚えている? 大切に思っている、愛しているっていう言葉」
「……。忘れる、はずがないだろう」
ロジュは頷いた。忘れるはずがない。ウィリデに、あそこまで直接的に、大切だ、愛している、といわれたことはないのだから。
「執着が怖かったのは、ロジュから私への執着ではない。本当に、怖かったのは、自分が執着しすぎる方だ」
愛情に飢えていたロジュと愛情を持て余していたウィリデ。二人は、ある意味で相性がよかった。だからこそ、ウィリデは危惧していた。時間がまき戻る前の記憶もある自分は、ロジュに対して、ロジュよりも重い感情を持ってしまう。
ウィリデがロジュに持つ感情は何なのだろうか。ウィリデ自身、適切な単語がわからない。庇護欲や慈愛という言葉では足りない。恋愛とも違う。ぴったりと当てはまる単語をウィリデは持っていない。
「でも、無駄だった。距離を取れば薄れるものだと思っていたけど、そんなことはない。むしろ、逆だ。逆効果だった。遠ざけようとすればするほど、焦がれることとなる」
ウィリデは表情を暗くした。鎖国中のウィリデの生活は忙しかったけれど、時折ロジュのことを思い出していた。ロジュと会いたくなった。そして、そのたびに自分に言い聞かせていた。これを、選んだのは自分だ、と。
「だから、ロジュ。あの件は。私が鎖国中に連絡を断った件は、ロジュのせいじゃないんだ」
「……」
ロジュは視線を彷徨わせながら、黙っていた。そのロジュの思考を待つか躊躇ったが、ウィリデはあまり間隔を開けずに口を開いた。




