十四、彼にとっての「何か」になりたかった
ウィリデの葬式が終わって、数日後。とある噂が流れ始めた。
「ロジュ第一王子殿下が王位継承権を放棄しようとしているらしい」
その話をきいたとき、ラファエルは耳を疑った。ロジュが、王位継承権を放棄する? それなら、一体誰がソリス国の王になるというのか。テキューしか、いなくなる。
ラファエルは、テキューに関しては、何の感情も抱いていない。そもそも、ほとんど知らないのだ。だから判断のしようがない。
ロジュが決めたことなのだから、ラファエルには何の口出しもできない。そもそも、そんな立場でない。
それでも、妙な空虚感をおぼえていた。
ロジュが王位継承権を放棄して、どうするか。答えは明白だ。シルバ国に行きたい、ということだろう。
ロジュは、ソリス国を捨てるつもりか。
ラファエルの中に、ポカリと穴があいた感覚がした。ラファエルは胸のあたりを押さえる。何も変化はない。それなのに、苦しい。
ロジュのすることに対して、文句をいうつもりはない。それでも、この気持ちはなんだろう。全てを失いそうな、手のひらからこぼれ落ちそうな感情をなんと表現したらよいのだろう。
ウィリデの葬式から、一週間後。ラファエルは、ソリス城の中を歩いていた。ロジュの元に行くという、覚悟をしたのだ。ロジュがソリス国を捨てるとしても、会って話したかった。感謝だけでいい。ラファエルは、ロジュに救われたというその事実だけを伝えたかった。
「あれ、ここはどこだろう」
ラファエルは、人気のない場所で立ち尽くしていた。ロジュがどこにいるか、分からない。ここがどこかも分からない。迷子になってしまった。ラファエルは、キョロキョロと周囲を見渡す。人はいなさそうだ。どうしよう。
困っているラファエルの元に、人の声が届いた。そのことに、ラファエルは薄紫の瞳を輝かせた。その人に、正しい道を教えてもらおう。
そう思って、声の出所である一つの部屋へ近づいていったラファエルは、聞き覚えのある声に動きを止めた。
「なぜ、ウィリデ陛下を、狙ったんだ」
この声は勿論きいたことがある。忘れた日なんてない。ロジュの声だ。ロジュは、なんと言った? ウィリデが殺された。事故ではなく、事件ということか。しかも、この質問から考えると犯人がロジュの目の前にいる、ということだろうか。
「なぜか、を聞いてどうするのですか? もうウィリデ陛下は戻ってこないのに」
挑発するような言葉が聞こえる。この声も、きいたことがある。ソリス国の第二王子である、テキュー・ソリストだ。
彼の声には、ロジュをからかうような様子はなかった。ただ、ロジュの興味を引きたいだけに聞こえる。それが正しいか、ラファエルには判断ができない。それでも、この言葉は不味い。ロジュは、傷つくだろう。
「言葉には、気をつけろ。今すぐに死にたいのか?」
ロジュの声には、すさまじい怒りを包括していた。明らかにロジュは怒っている。それでも、部屋を覗くことのできないラファエルは、二人がどんな表情をしているかは、分からない。
「ロジュお兄様になら殺されてもいいですが……。それで、なぜ殺したか、ですか?」
テキューの言葉に、ラファエルは猛烈な違和感が湧き上がるのを感じた。まるで、テキューはロジュのことを好き、みたいではないか。ロジュと王位継承をめぐって対立をしておきながら。そこまで考えて、ラファエルは体が強張るのを感じた。急激に自分の体温が下がる感覚がした。
逆だ。テキューは、ロジュの憎しみを生みたいがために、対立をしていたのか。ロジュからの強い感情を享受したかったとしたら、辻褄はあう。
戦慄しているラファエルの考えを決定づけるのは、次のテキューの言葉であった。
「ロジュお兄様、あなたに好かれるウィリデ陛下が大っ嫌いだったのですよ」
「……。は?」
カラン、と音がした。何かを落とした音だろうか。しかし、その音にラファエルの意識が向くことはなかった。やはり、テキューという人間は、ロジュが好きなのか。それでいて、ロジュが大切に思っていたウィリデを殺した。王位継承をめぐって対立をした。
全ては、ロジュを。ロジュから強い感情を受けたいがための行動。
テキューの狂気的な愛情に、ラファエルは息をするのを忘れそうになる。胸がドクリ、と変な音をたてる。落ち着け。ラファエルは自分の呼吸に集中した。
「それ、だけか?」
「それだけです」
ロジュも動揺しているのだろう。彼の声は震えている。それに対し、テキューの返事はあっさりしている。そのことが、余計に薄ら寒さを感じさせる。危険だ。ラファエルの中で警鐘が鳴る。テキュー・ソリストという人間は異常だ。
ロジュは、大丈夫だろうか。ウィリデの死を受け入れられるだろうか。ラファエルに不安が押し寄せてきた。
「俺の、せいで、ウィリデ兄さんは……」
絶対に大丈夫ではなさそうなロジュの声がした。彼の声からは覇気が失われており、憂愁満ちた声であった。急に扉が開いた。扉の近くにいたラファエルは、肩をふるわせて、扉の影に隠れた。しかし、これは意味はなかった。ロジュの目は、何も映していなかった。ラファエルがそこにいたことを、普段のロジュであれば気がつかないはずがなかったが、今のロジュは気がつくような状態ではない。彼の目に映るのは、なんであろうか。おそらく暗闇であろう。
ラファエルは、ロジュについていくか迷ったが、軽く首を振った。ラファエルができることは何もない。ロジュを絶望の暗闇から救い出すことなんて、できるはずがない。そんな言葉を持ち合わせていない。ロジュの虚ろな藍の瞳と、紙のように真っ白な顔色を見たラファエルは、それを悟っていた。
自分のせいで大好きな人が亡くなったとき、どうしたら立ち直れるというのだろうか。時間が癒やしてくれる? そんな単純だと思えない。時間が経つ前に、ロジュはきっと、生きていることすらまともにできなくなりそうだ。ロジュが原因でなければ、まだ救いはあっただろうが、テキューはロジュがウィリデを気にかけるのを、心底羨んでいた。ロジュのせいではないが、ロジュは自分を責めるだろう。自分さえいなければ、と思うだろう。
ラファエルは、部屋に残っているだろうテキューに声をかけるか、迷った。しかし、やはり声をかけることはできなかった。ラファエルの理解を超える行いをするテキューに対して、何かを言える気がしない。でも、知ってしまった事実をどうすればいいのだろうか。テキューが証拠を残しているはずがない。音を記録する道具を何か持っていれば良かったのだが、ちょうど良く持ち合わせているはずはなかった。これでは、テキューを殺人犯として証明する手段はない。自分はこれから、どうしたらいいんだろう。
ラファエルは、ただ次の行動、未来の行動を考えていた。当たり前に、未来は続くと考えていた。
太陽が墜ちるのを、見るまでは。
ズドン、というすさまじい衝撃の後に、火柱が立っていた。ラファエルは、息を呑む。慌てて窓の外を見ると、そこは火の海であった。
地獄だ。そこは、地獄が広がっていた。ラファエルは、全身を強張らせた。これは、何だ。何が、起こった。
そのように、何も分からない振りをして、自身に問いかけながらも、ラファエルの中に、正解は浮かんでいた。
これは、ロジュの絶望だろう。力を持つ、ロジュ・ソリストという人物の感情が制御できなくなった、結果だ。あるいは、全世界を巻き込んだ自殺なのかもしれない。
ラファエルは、窓から外を見る。この地を見守るように浮かんでいる太陽は、あるべき場所にはなかった。それが、答えだった。
ラファエルはため息をつき、窓から背を向け、窓にもたれた。ガラスの冷たさがラファエルを冷静にした。彼に浮かんでいるのは、諦念。もう、この地は長くもたない。そのうち、滅びを迎えるだろう。
「やっぱり、ロジュ殿下とお話をしてみればよかったなあ」
彼は、ロジュの高潔さに惚れ込んだだけであり、ロジュ自身のことを何も考えていなかった。それが、後悔として頭をもたげる。こんな終わりの瞬間に、後悔をするのか。何か、自分にできることはあったのではないか。ロジュを支えるものの一つになれていたら、なんて烏滸がましいことを考えてみた。決して実現しないと分かっていること。だからこそ、ラファエルは自分の本当の願いに気がついた。
ラファエルは、ロジュにとっての「何か」になりたかったのだ。
「もし、やり直せるなら、もっとロジュ殿下に積極的に話しかけたいな」
ラファエルはそう呟いた。ふと、疑問がよぎる。なぜ、ソリス城は燃えてないのだろう。ソリス国自体に加護があるのか、あるいは、ロジュがこの場に存在しているというだけでこの場にも害は与えられないのか。どちらが正解かラファエルは判断できないし、あまり興味もない。
どうせ、今は燃えていないソリス城も長くはもたない。
それ以降の記憶はない。ラファエルは、自分が死んだのかどうかすら知らない。




