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十二、ラファエル・バイオレットの誕生

 ラファエルは、ぼんやりと空を眺めた。星も月も輝いている。それでも、ラファエルにとって、それは対した興味をひくものではなかった。

 時が戻る前のロジュのことをよく知っていたであろう、アーテルに褒められたのが嬉しい。

 ロジュの記憶はない。それでも、やっぱりロジュはずっとラファエルの中で憧れである。

 例え時が戻る前と後、ロジュが別人であったとしても、ラファエルはロジュから離れない。


 ラファエルは、どちらのロジュにも救われているのだから。



 これは、時間がまき戻る前、後どちらでも共通して起きた出来事だ。



 ラファエル・バイオレットは、おとなしい子どもであった。彼は、父親が命をかける剣にも、母親が時間を費やす政治にも興味が持てなかった。


 彼にとって、この世は自分とは切り離したところで流れる劇のようなものだった。大抵のことは自分と関係があるとは思えず、ただそうなっているだけであった。


 ラファエルは、周囲から見て変わった子どもだったのだろう。周りと比べて、異質さを放っていた。


 他と比べて違う。

 それは、大人達にとって、たいしたことではなかったが、他の子どもにとってはそうではない。


 ラファエルは、他の人と異なる。何にも興味をもたない。それに反し、彼は優秀であり、それは知能の面でも剣術の面でも表れていた。


 ラファエルと同世代には、ロジュ・ソリストという絶対的な才覚の持ち主が存在していた。ラファエルは、一番にはなり得なかった。それは、ラファエルにとっては、幸いであっただろう。興味がないのに一番を取ると、期待ばかりが大きくなりすぎてしまう。だから、ラファエルは、心の中でロジュに感謝している部分があった。自分より、確実に上回ってくれる。

 それでも、ロジュは遠すぎた。彼は圧倒しすぎていた。だから、貴族はロジュではなくラファエルを自分の子どもとの比較対象に持ってくる。ラファエルの成績を自分の子どもの前で褒め、ロジュにはなれないからラファエルを目指せという。ラファエルは、貴族の中では他と比較するには格好の存在であった。


 貴族の子どもはラファエルに嫉妬する者がでてきた。ラファエルは、何の意志もないのに、難なくこなしてみせる。自分は、できないのに。ラファエルは、バイオレット公爵家であるから、それだけで、彼は才覚を手にしている、そう思って妬む人間は何人もいた。


「お前が、ラファエル・バイオレットだな?」


 あるパーティー、ラファエルが九歳のときだ。ラファエルは知らない貴族の子どもたちから声をかけられた。おそらく、ラファエルよりも年上であろう。体格がラファエルよりも一回り大きかった。


「そうですが」


 ラファエルは振り向くと、奇妙なものを見る目で見られていた。誰だかは知らない。


「お前、本当に変な奴だよな」


 ラファエルは、急な暴言を飲み込めず、首を傾げる。いきなり初対面で名乗りもせずに、なんだ。


「お前は、やる気がないくせに、バイオレット公爵家だからって優遇されて」

「本当にずるいよな」

「バイオレット公爵家の人間とは思えないくらい無気力だ」


 何の話をしているのか、ラファエルにはよく分からなかった。それでも、ラファエルへ向いているのは、明確な悪意。


「何のことですか?」


「とぼけるな。学院でお前がそんないい成績をとれるわけがないだろう」


 社交界に出るのと同じ年齢、八歳から通い始める学院で、ラファエルはやる気がなく、授業中もぼんやりと上の空であったが、成績だけはよかった。それを、家柄のせいだと言うのか。


 ラファエルはどうするのが正解か、と冷静に考える。言いがかりに対し、処理をするのも面倒だ。周囲にいる人は遠巻きに見ている。干渉はしないつもりなのだろう。


 殴られれば、正当防衛としてやり返せる。ただでさえ、公爵家であるバイオレット公爵家への侮辱であるから、後で裏で手を回して家を潰すことも無理ではないだろう。


 ラファエルの脳は、至極冷静に働いていた。しかし、どこか空虚さ感じていることは否めなかった。


 自分だって、そうやって生きていきたいわけではないのに。それなのに、なんでこんなことを言われないといけないのか。


 後になって考えれば、ラファエルは怒っていたのだ。自分がやりたくてもできないことを、馬鹿にしてくるやつらを。


 それでも、ラファエルの中にはどこか他人事のように眺めている自分もいて。ラファエルは、黙ってその子どもたちを見つめているだけだった。


 それは、余計にラファエルの雰囲気を異様なものにしたのだろう。何もしない、何も言わないということが。


「こいつ、気持ち悪いな」


 薄気味悪そうに、その貴族の子どもたちは言う。ラファエルに何を言ってもよい、と判断したのか、さらにその子たちが口を開こうとしたとき。


「おもしろそうな話をしているじゃないか」


 あまり高くはない声が割って入ってきた。その人物は、深紅の髪を揺らしながら、口角を持ち上げる。

 このときのロジュは、まだ作り笑いを浮かべている時期であった。しかし、この場では、それがさらに彼の雰囲気を尖らせていた。

 ロジュの表情は笑っているのに、目が全く笑っていなかった。


「ロジュ殿下」


 貴族の子どもたちは、ロジュが来たことで、真っ青になった。ここがどこであり、今が何の場であるかを思い出したのだろう。



「お前たちは、何の根拠があって、彼が不正をしているという? なぜ、やる気がないことを非難する? なぜ、バイオレット公爵家の人間は無気力ではいけない?」


 ロジュはニコリ、と笑う。しかし、それが楽しいから笑っている、と考える人間は一人もいなかった。


「ああ。それとも、ソリス国の学院が、公平性に欠いている、という苦情があるのか? それなら俺が聞こう」


 その言葉に、答えられるものはいなかった。ソリス国の学院を否定するつもりはないが、そう受け取られても仕方がない発言をしていた。


「ラファエル・バイオレット公爵令息」


 ロジュの藍色の瞳がラファエルの方を向く。ラファエルは、緊張して、つばを飲み込んだ。


「なん、でしょう」


 声が震える。ロジュは自分に、何を言ってくるのだろう。このロジュという人物に、否定をされたら、嫌だという気持ちが心の中を広がっていたことに、ラファエルは気がついていなかった。


「成績を発表されるとき、貴方に抜かされていないかいつも心配している。だが」


 ロジュは頭を下げた。ラファエルはそれに薄紫の目を見開く。周囲も、急にロジュが頭を下げている状況に、ざわついている。


「ソリス国の王族としては、感謝している。貴方のような優秀な人間がこの国にいてくれることに」


 ラファエルは、息を呑んだ。ロジュは、折れるなと言いたいのか。ラファエルが、今回の件をきっかけにして、今後は妬まれないように成績をわざと落とすようなことを恐れているのだ。


 それは、ソリス国のためだろうか。ソリス国から優秀な人材がいなくならないように、という配慮であり、ラファエル自身に何か思い入れがあるわけではないのか。

 もしかしたら、ラファエルを助けるための方便であった可能性もある。ロジュが自ら割って入ったのは、ラファエルが成績がいいからだ、という格好の理由となる。


 しかし、ラファエルにとっては、それはどうでも良かった。どちらが理由でも良かった。ロジュがラファエルに対して、頭を下げた。その事実だけが、重要であった。


「頭をお上げください、ロジュ殿下。貴方の望み通りにいたします」


 そこまでしてロジュが望むのなら、ラファエルは手を抜いたりなんてしないと決めた。ラファエルの返事をきいて顔を上げたロジュは、こちら見て微笑んだ。その笑みに、ラファエルへの言葉の後悔なんてなく、ラファエルは胸が締め付けられるほどの感覚がした。


 ああ。この人は。ロジュ・ソリストという人間は。プライドが高そうに見えて、自分を下げることも厭わない。それを、九歳でしかない人物がやってのけたことに、ラファエルは驚きを覚えた。


 この、高潔な人物に、ラファエルは強く、強く心を揺さぶられた。この人を、支えたいと思った。ラファエルの心が全て持っていかれた気分だった。


 足りなかったピースが、全てそろった感覚だ。ラファエル・バイオレットはこの瞬間に生まれたと言っても過言ではない。


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