十一、アーテルにとっての愛
アーテルの凜とした声が響く。彼女は真っ直ぐだ。真っ直ぐに、ウィリデのことを愛していたし、愛しているのだろう。それがラファエルに伝わってきた。
「苦情、ですか? あるわけないです」
ラファエルは弱々しく笑った。時が戻る前のラファエルの心残り。それは、ロジュの側にいる権利を得られなかったことなのだから。
「アーテル様」
ラファエルは立ち上がった。そしてゆっくりと跪く。
「時を戻してくださり、本当にありがとうございました。深く感謝を申し上げます」
跪いた状態のまま、ラファエルは頭を下げる。それに対して、アーテルは立ち上がってラファエルのその仕草を止めようとした。
「止めてください、ラファエル様。そんなにかしこまらないでください」
「いいえ、アーテル様。本当に、感謝しているのです」
ラファエルはアーテルに向かって微笑んだ。彼のその瞳は太陽が沈みかけている空のように凪いでいる。
「僕は、あの時後悔していたのです。ロジュ様に、声をかけなかったことに。明日こそは、明日こそは、と毎日思いながら後回ししていたことに」
ラファエルは目を閉じる。今でも鮮明に蘇ってくる。あの時の身を焦がすような後悔。太陽は墜ち、燃え盛るこの地を見たときに、ラファエルは後悔した。
憧れていた、ロジュに寄り添える身分を手に入れたら、良かった。
ラファエルが今回、ロジュに側近になりたいと申し込んだとき、この記憶はなかった。しかし、頭のどこかに、後悔だけはこびりついていたのかもしれない。だからこそ、ラファエルは積極的にロジュへ嘆願することができた。
「アーテル様。貴方やロジュ様を非難するする人もいるかもしれません。それでも、覚えておいてください。僕のように、深く感謝している人がいる。それを、忘れないでください」
ただただ純粋に。ラファエルはアーテルへ感謝を伝えたい。そのことは、アーテルにもしっかり伝わった。アーテルは警戒を完全になくし、ラファエルに向かって微笑んだ。
「ラファエル様、分かりました。こちらこそ、ありがとうございます。貴方の謝辞を受け取ります」
アーテルの言葉を受け、ラファエルは立ち上がり、席へと戻った。そして、柔らかい笑みを浮かべる。
「アーテル様、貴方がご存じのことを詳しく伺えますか?」
アーテルは頷く。彼女の暗めの銀の髪は、肩から滑り落ちるように揺れた。
「分かりました。私が認識しているものに限りますが」
アーテルは考えこむように、視線を彷徨わせる。
「私は、ノクティス国でとある資料を見つけました。それによると、『同程度の太陽と月が手を組んだとき、時すらも干渉することができる』とあったのです」
ラファエルは、薄紫色の目を見開いた。そんな文言があるのか。
「初めて聞きました」
「ええ。これは、詩の一節でしたから、記録だけを見ていたら、見つけられませんでした」
おとぎ話のような一節。アーテルも、資料を見ている中で、関係ないと最初はとばした文章だ。それでも、それは希望であった。
「だから、ロジュにお願いしたのです。私と一緒に、時を戻さないかって」
ラファエルは、納得したような笑みを浮かべる。しかし、首を傾げた。
「同程度? 失礼ながら、ロジュ様と同程度というのは、難しいのでは……」
言いにくそうではあるが、ラファエルはそれを口にした。ロジュがいかにフェリチタから愛さえているか。それをラファエルは知っている。その疑問は最もだったのだろう。アーテルも頷いた。
「ええ。でも、ラファエル様、覚えていらっしゃいますか? ロジュはその時に太陽を堕としたのですよ」
それに対して、ラファエルはハッとした表情をするが、すぐに顔を曇らせた。
「それは関係があるのでしょうか。だって、加護は与えられるものであり、減るとか増えるとかの概念じゃないですよね」
加護が減る。つまり、愛が減るということか。それは、どう解釈したらいいのだろうか。図れるものであるのか。数という概念なのか。ラファエルは首を傾げた。
「その辺のことは分かりません。でも、賭けでもよかったんです。ウィリデが、生きているのなら、それで」
アーテルは、透き通るような微笑みを浮かべる。その脳裏には、ウィリデしかいないのだろう。
アーテルはきっと、どうでもいいのだ。なぜ、とか。どうやって、とか。そんなことに、興味はない。彼女が重視しているのは、ウィリデが生きているか否か。ただ、それだけ。
「愛、ですね」
ラファエルがそう言うと、アーテルは嬉しそうに微笑んだ。彼女にとって、愛とは、そういうものなのだろう。思い出すと、つい微笑んでしまうようなもの。
「ただ」
アーテルの表情に影が入った。
「ロジュのことを、巻き込んでしまったことが悲しいです」
「巻き込む? 一体何に?」
ラファエルの表情が訝しげに変わったが、すぐにハッとした表情へと移ろう。
「もしかして……。ウィリデ様がアーテル様のことを覚えていなかったことと関係がありますか?」
アーテルが動きを止めたあと、ゆっくりと頷いた。その表情は悲しげであり、泣きそうだ。
「やっぱり、ウィリデは私のことを覚えていないんですね」
金に輝く瞳を伏せる。その目をラファエルに向けた彼女の瞳は、思った以上に強い色を放っていた。
「これは、代償なんです。代償がなく、願いを叶えることなんてできません」
アーテルは、もう覚悟をしていたのだ。だからこそ、落ち込み続けている暇はない。
「私が月のフェリチタに言われたのは、ウィリデは時間が巻き戻る前の記憶は残る。その代わり、私の記憶は全てなくなる、というものです」
ラファエルは、ようやく納得ができた。ウィリデが、婚約者であったアーテルのことを忘れていた理由。それは、フェリチタが関わっていたからだ。
「ウィリデ様が、思い出すことはないのですか?」
ラファエルからの質問に、アーテルは口の端を持ち上げた。
「希望はあります。条件は、ウィリデと再び恋におちること」
ラファエルは、その言葉に驚きを浮かべた。そんな救済があるのか。しかも、その内容は非道なものではなく、どちらかといえば優しいものだ。難易度が易しいかは疑問であるが。
「じゃあ、今日が勝負所かもしれませんね。今日を逃せば、ウィリデ様と自然に接触するのは難しいでしょうから」
「ええ」
アーテルの意志は強そうだ。彼女は諦めないのだろう。そのことが伝わってきたラファエルは、口元を緩めた。
「貴重なお話を、ありがとうございます。アーテル様。最後に一つだけ伺ってもよろしいですか?」
ラファエルが視線を正して、アーテルへ声をかける。アーテルは頷いた。
「ええ。なんでしょう」
「ロジュ様は、何をフェリチタに差し出したのですか?」
その言葉に、アーテルは暗い表情を浮かべた。アーテルは目線を下げる。
「それが、分からないのです」
「分からない?」
「ええ」
アーテルはため息をつき、頬に右手をあてた。
「月のフェリチタに尋ねたところ、『管轄違い』と言われました」
「ええ? 管轄違い、ですか?」
ラファエルは首を傾げる。しかし、すぐに納得したように頷く。それはそうか。アーテルが得ているのは月のフェリチタからの加護であり、ロジュは違う。ロジュは、太陽と炎。
「了解しました、アーテル様。お話をお聞かせいただき、ありがとうございます」
ラファエルはふわりと微笑む。アーテルも、笑みを浮かべながら頷いた。
「こちらこそ、ありがとうございました。ラファエル様。また、お話しましょう」
「あ、そうだ」
ラファエルが、アーテルに近づく。耳元で、こそりと囁いた。
「アーテル様。テキュー・ソリストをご存じですか?」
アーテルの金色の目が見開かれ、鋭い光を帯びる。その名前は、勿論忘れた日はない。
「ウィリデを殺した犯人、ですよね?」
「やっぱりご存じだったのですね」
ラファエルも眼差しを厳しくした。そしてアーテルに告げる。
「テキュー殿下も、時間が戻る前のことを覚えている、ということをお伝えしておきます」
アーテルは目を見開いた。他にもいるとは。しかもそれは、アーテルが時間をまき戻るに至った元凶である。しかし、同時に納得はする。
「だからウィリデは、今回は殺されなかったのですね」
記憶があったウィリデが何らかの策を打った。それが理由だとアーテルは考えていた。しかし。テキューにも記憶がある、ときいたことで、それも理由なのかもしれない、とアーテルは思い当たった。
「では、アーテル様。戻りましょうか。今日中にウィリデ様と接触しなければ、貴方の目的は達成されないでしょう?」
「ええ。行きましょう」
アーテルの目はキラキラと輝いていた。決意の色が濃く、彼女は一度深呼吸をした後に、姿勢を正して部屋から出た。ラファエルは、その自信に満ちた様子に、少し微笑ましく感じながら、部屋を出る。
ラファエルは一方で、疑問が頭をもたげる。時間が戻る前のロジュは、ウィリデに婚約者がいることに寂しさを感じることはなかったのだろうか。しかし、ロジュに記憶がない以上、この疑問は解消しないのだろう。
「アーテル様、そういえばこちらにくる道中でおっしゃっていたことの意味を教えていただきたいのですが」
「ああ、ロジュが貴方を気に入りそう、というお話ですか?」
アーテルはフワリ、と微笑んだ。
「だって、貴方はロジュのためなら何でも犠牲にできそうな眼差しをしていましたし、実際にその後の話でもおっしゃっていましたよね、全てロジュのものだって」
アーテルは、ラファエルに向かって、ニコリと笑みを向ける。
「ロジュは貴方みたいに意志が強い人間は、好きだと思いますよ」
ラファエルは足を止めた。彼の瞳は軽く潤んでいる。頬が上気しているのは、一目でわかる。
「ラファエル様、外で涼んだ方がいいかもしれませんね」
アーテルはそう言って、ラファエルの剣を差し出した。
「申し訳ありません、ラファエル様。これを返すのを忘れていました。それではお先に失礼します」
ラファエルは、震える手で、自身の剣を受け取る。いつもの定位置に戻した。
「ありがとうございます。アーテル様。お気を付けて」
アーテルは笑みを浮かべながら、軽く頷くと、銀の髪を揺らしながらパーティーの会場へと入っていく。




