五、彼のいない世界に耐えられない
彼らは正しく生きることなんてできなかった。
「派手にやったわね、ロジュ」
その場所だけ燃えていなかった。それはロジュが立ち尽くしている場所。
そこに火をよけながらたどり着いた人物が一人。
彼女の名前はアーテル・ノクティリアス。彼女はノクティス国の第二王女。
暗い銀髪の髪を持ち、星のような金色の瞳を持つ女性。
そして、ウィリデ・シルバニアの婚約者だった。
「気持ちは分かるわ。私だって力があれば同じ事をやっていたかもしれない」
ロジュの藍色の目は虚ろで、何も映していない。ロジュは何も返事をしないが、アーテルは構わず話しかける。
「貴方がそこまで激高するということは、相当嫌なことを言われたのね。ウィリデを侮辱するような」
アーテルはロジュの近くにしゃがみ込む。アーテルの服の裾が、アーテルの動きに合わせてフワリ、と揺れた。彼女が来ているドレスは真っ黒だ。
彼女はウィリデの死を悼み、喪服を一週間着続けていた。
アーテルはロジュのことを信頼しており、話し方には遠慮がない。それもそのはず。アーテルはウィリデと恋人になってから、ロジュの元へ通うウィリデについて行っていたのだから。
アーテルがウィリデと会ったのは、ソリス国の大学であった。アーテルは国の事情でソリス国へ留学していた。ちょうど同じ頃に留学していたのがウィリデだ。
シルバ国の王太子であるウィリデと、ノクティス国の第二王女で、王になる未来がないアーテルに接点はなかった。専攻していた物が違っていたことで、普通に生活していたら、接点は生まれなかっただろう。
それでもなぜ知り合ったかというと、朝早い時間にたまたま遭遇したからだ。
アーテルは月が沈んで、太陽が昇る様子を見るのが好きだった。朝の澄んだ空気の元を歩くのも好きだった。
ある朝、大学の庭園を散歩しているとウィリデとたまたま会ったのだ。ウィリデの美しい若草色の瞳が太陽の光を浴びて輝く様子から、アーテルは目を離せなかった。
ウィリデがどう思っていたかはアーテルの知るところではないが、話しかけてきたのはウィリデの方からだった。
朝の静けさは二人の口を思いのほか軽くした。アーテルはその日以降、毎朝外へ散歩に行くことにした。ウィリデも同様で、二人の距離が縮まるまで時間はいらなかった。特別な話はしなかった。ただの他愛もない話だった。
二人が恋人になった後、ウィリデはアーテルに質問をした。ソリス国の第一王子に会ってみる気はないか、と。
おそらくウィリデはロジュが頼れる人間を増やしたいのだろう、とアーテルは思った。アーテルはロジュを一度だけパーティーで見かけたことがある。
ロジュは自信がありそうに、余裕な表情だったが、彼の瞳は自信なさげに揺らいでいた。その、アンバランスさが気になっていたのだ。
だから、アーテルはすぐに会いたい、と返事をした。
ウィリデに紹介されたロジュを見たときは驚いた。あれほどまで迷子のような表情をしていた彼の目が明るかった。
きっと、彼には頼れる大人が必要だった、とアーテルにはわかった。
ウィリデのことを好きなアーテルと、ウィリデを世界で一番というほど信頼しているロジュ。ウィリデという共通なすきなもののおかげで、最初は表情を硬くしていたロジュも、次第にアーテルに心を開いていた。
ロジュがアーテルのことを「アーテル姉さん」と呼ぶようになった頃には、アーテルはロジュのことを「ロジュ」と呼び捨てにしていた。
ロジュとアーテルは考え方が近い部分もあった。考え方が近いと、お互いを不快に思うことはなく、良い関係を築いていた。
アーテルはウィリデがロジュを大切にしていても、嫉妬心は全くなかったし、ロジュも同様だった。
アーテルは幸せだった。格好よくて綺麗で優しい恋人とかわいい弟のような存在ができたのだ。
しかし、幸せは長くは続かない。
崩れ始めたのはどこからだったのか、アーテルには分からない。シルバ国の王が亡くなったところからだろうか。ウィリデが王となったところからだろうか。
具体的な時期は不明瞭だが、間違いなくアーテルの幸せだった日常は消え去った。
アーテルがウィリデの訃報をきいたのは、ノクティス国にいるときだった。
ウィリデの死を聞いたアーテルはしばらく動けなかった。涙が勝手に流れるのを止めることはできなかった。
動きたくない。何もしたくない。それでも、シルバ国に行かないと。
シルバ国では唖然とした。ウィリデの部屋は燃え、全てが真っ黒だ。おそらく、ウィリデの死に直接的に関係している。
ウィリデの葬式では、枯れたと思っていた涙は止まらなかった。ウィリデは苦しかっただろうか。
どうして、ウィリデは逃げなかったのだろう。
それに思い当たったとき、アーテルの涙は止まった。
ウィリデは逃げなかったのではなく、逃げられなかったのではないか。
そうなると、話は変わってくる。ウィリデは誰かの明確な悪意によって殺された。
復讐。復讐がしたい。アーテルの金色の瞳には犯人への憎悪が宿る。彼女は猛獣のように鋭い色をしていることに、気がついていなかった。
絶対に、許さない。
「アーテル殿下、ロジュ殿下にお会いしてください」
アーテルにそのように声をかけてくれたのは誰であっただろうか。名前を名乗ってもらったかもしれないが、怒りに震えていたアーテルは忘れてしまった。
アーテルの燃え上がる憎悪の気持ちを落ち着けたのはロジュだった。その言葉に従い、ロジュの元へ行ってみると、ロジュが表情をなくしたまま涙を拭おうとせず流し続けている姿を見つけた。アーテルは思考が動かなくなった。
ロジュはゾクリとするほど美しかった。危険だ、とアーテルの中で何かが囁く。このままだとロジュは壊れてしまう。
「ロジュ」
アーテルが声をかけると、ロジュが藍色の目をアーテルへ向けた。その瞳はアーテルを認識して、大きく見開かれた。
「アーテル姉さん……」
アーテルは黙ったままロジュに向かって腕を広げた。ロジュは躊躇うことなく、アーテルを抱きしめる。
二人はお互いに抱き合ったまま、泣き続けた。周囲に人はいないが、仮にいたとしても気を遣うことはなかっただろう。
「アーテル姉さん、俺、リーサ殿下、いや、陛下に求婚しようと思うんだ」
ひとしきり泣いた後、アーテルの腕の中でロジュはポツリ、と呟いた。アーテルは黄金の瞳でロジュを探るように見つめる。
「それは、ロジュの本当の望みなの?」
ロジュと思考が似ているアーテルは分かった。ロジュはウィリデが大切にしてきたシルバ国を守りたいのだろう。しかし、ロジュは愛していない人と結婚することに抵抗はないのだろうか。
「ウィリデ兄さんが愛した物を守れるのだったら、他はなんだっていい」
ロジュは思っていたよりは絶望に呑まれていなかったのかもしれない。彼は未来を見つめていたのだから。
そのことでアーテルはハッと気がついた。
ウィリデは、果たして自分やロジュが復讐に駆られ、憎悪の炎燃やしながら生きるのを望んでいるだろうか。
それはない、とアーテルは断言できた。ウィリデは、アーテルやロジュにそんなことを望まない。むしろ、自分の手で復讐したいと思うはずだろう。
アーテルは自分の中で決心した。ウィリデを生き返らせる方法を見つけようと。
どんな危険な手でも、どれほど成功率が低くても、可能性があるのならば、それにかけてみよう。
ロジュを抱きしめながら、アーテルは決意した。
その後、アーテルはノクティス国へと帰った。自分の国の城に本を探るためだ。アーテルは一心不乱に本を読みあさった。どこかに死者を生き返らせる方法がないか、探すために。
そんな都合のいい方法は簡単に見つからない。それでも、アーテルは諦めなかった。寝る間も惜しんで探し続けて一週間が経とうとしたところで、古代に書かれた本に書かれている一冊に目をとめた。
「同程度の太陽と月が手を組んだとき、時すらも干渉することができるだろう」
この文章を見るのは一回目ではない。一度目に読んだときは関係ないと思い、無視して通り過ぎた。でも、もしかしたら。
「時に干渉……。これで時が戻せる……?」
一筋の希望。それはアーテルを惹きつけるには十分だった。
太陽と月が手を組んだとき。この文言が気になる。
月、といえばアーテルのフェリチタだ。ノクティス国のフェリチタは月と影だ。
その一方で、太陽。これはソリス国のフェリチタの一つ。アーテルの脳裏に、深紅の髪を持つ青年がよぎった。
ロジュに、会いに行こう。
ガタガタと揺れる馬車の中で、アーテルは正気に戻った。ウィリデの死後、未来を向いていたロジュは、果たしてアーテルの提案にのってくれるだろうか。断りはしないだろう。ロジュは優しい。姉と慕うアーテルの頼みを断ることはしない。でも、それは正しいことなのだろうか。かわいい弟のような存在であるロジュを巻き込んでやらないといけないことか。
それでも、アーテルはソリス国にたどり着いた。ソリス城に入り、ロジュに何から話そうか考えていると、異変が起こった。
太陽が、墜ちたのだ。
それを見た瞬間、弾かれたようにアーテルは走り出した。
直感的にわかる。きっと、ロジュも同じだ。あの場ではウィリデが望むことをしよう、と無理に前を向こうとしていたけれど、結局は無理だ。ウィリデのいない世界なんて。
おそらくロジュはウィリデの死の真相を知ってしまったのだろう。それはロジュを絶望にたたき込んだ。
ロジュが何を願ったか、アーテルには分かる。
こんな世界、滅んでしまえばいい。
そう思ったのだろう。それなら、アーテルが時間を巻き戻すことの協力を頼めば、ロジュはきっと同意する。
この世界の終わりは近い。アーテルはその前にロジュの元へたどり着くよう走り出した。そして、ロジュを見つけて話しかけたのだ。




