二、ある日の朝
第二幕は15万字程度を予定しています。
窓にかかっているカーテンの隙間から差し込む、太陽の光で目が覚める。ロジュの目覚めは良い方だ。スッと脳が覚醒する感覚とともに、ゆっくり目を開けた。彼の藍色の目が太陽のまぶしい光によって、少しだけ細められた。
ベッドから起き上がって、自分の部屋の洗面所へと向かう。顔を洗おうとしたとき、鏡の中の自分と目があった。ロジュは自分の瞳を彩る藍色が嫌いではない。しかし、周囲の人はそう感じていないようだ。瞳が赤だったら、というようなニュアンスの言葉を今まで何回言われたことだろう。数え切れないほどだ。
藍色を綺麗だと、純粋な気持ちで言ってくれたのは一人だけ。
着替えまで済ませると、ロジュは窓を開けた。そして太陽を真っ直ぐ見据える。目を瞑って、祈るように手を合わせる。その姿はどこか神々しく感じる。
城で働いている人間が庭や一階の廊下からこっそりその姿を見ているということを全く気づかず、ロジュは太陽に向かって祈る。彼の深紅の髪が風でフワリ、と舞い、彼の顔にかかった。
しかし、彼は祈りを止めない。これからもソリス国を守ってほしい、ということを。そして心の中でソリス国を守ってくれることに感謝を告げる。
五分ほど経って、彼はゆっくり目を開く。太陽の光は弱まることを知らずに、彼の視界へと入り込む。ロジュは太陽の光の強さに少し目が眩み、左手で頭を押さえた。眩しさに耐えきれず色を失った視界から、少しずつ色が戻ってきた。頭の鈍い痛みも治り、ゆっくりと息を吐きながら、静かに開いてあった窓を閉めた。
しばらくしてコンコン、と控えめにドアを叩く音がした。
「ロジュ様、お食事の準備ができました」
強張ったような声が部屋の中にいるロジュのところまで届いた。身支度がすんだため、椅子に座って本を読んでいたロジュは立ち上がった。
ロジュは一人でスタスタと食堂まで歩いて行く。彼に専属の従者やメイドなどはいない。気がつけば、それが当たり前だった。
彼が食堂にたどり着いて、席に座る。高級であると一目で分かる椅子は、心地よい弾力で長時間座っていても苦にならない。
他に人はいなかった。他の家族は皆、別の時間に食べたらしい。もしくはまだ食べていない家族もいるようだ。家族はみんな好きな時間に朝ご飯を食べている。
いつものことであるため、ロジュは特に気にした様子はない。黙って自分の前に出された食事を食べると、静かに席を立つ。
彼は朝起きてからずっと、食事中であったとしても表情は全く動くことはなかった。
ロジュは変わらぬ表情のまま、部屋へと歩いて行く。彼の部屋へ向かう道中に、前から歩いて来る人物が見えた。
「ロジュお兄様、おはようございます」
「……おはよう」
礼儀正しく挨拶してきたのは、ロジュよりも二つ年下の弟、テキュー・ソリスト。彼は明るい表情を浮かべている。周囲から見ると、明るくて礼儀正しい弟と無愛想な兄といったところか。
しかし、テキューの鮮やかな赤色の目を見ると、何か別の感情を自分に向けているのをロジュはいつも感じている。少し薄気味悪い。いつ見ても、テキューの考えは何も分からない。彼の感情は何だろうか。自分に対するテキューからの感情は、憎しみあるいは対抗心、とロジュは予想している。
テキューは表情がコロコロ変わるほうだ。周囲の人からも表情が豊かだと有名だ。しかし、心に抱えている何かを思うと恐ろしく感じる。だから、テキューのことが苦手だ。
「ロジュお兄様」
用は済ませたとばかりに通りすぎたロジュをテキューは呼び止めた。ロジュは特に驚く仕草も見せず、深紅の髪を軽く揺らしながら振り返った。
「……何か用事か?」
ロジュの声には何の感情もこもっていない。それを気にすることもなくテキューは少し考えるような表情を浮かべてから、口を開く。
「今日のご予定は何ですか?」
思ってもみなかったことを聞かれ、ロジュは一瞬表情を揺らした。その表情に含んでいたのは動揺と警戒。
「大学に行って、それが終わったら父上から与えられた仕事をやるだけだが」
彼の瞳に警戒の色が強く宿ったことに気がついたのだろうか。テキューは無害をアピールするかのようにニコリと笑う。
「そうなのですね。大学とお仕事、頑張ってください」
そう言って、去って行ったテキューを見ながらロジュは浅く息を吐いた。今まで話しかけてきたことはほとんどなかったのに、どうして話しかけてきたのだろう。日程を把握して、暗殺者でも送り込もうとしているのか。
しかし、ロジュに暗殺者を送り込んだところで無駄だということは王家の人間だけでなく、国中の人間も、もしかしたら他国の人間さえも知っているはずだ。
感情が分からないのが本当に薄気味悪い。
ロジュが大学前に止まった馬車から降りると、大学周辺で話をしていた、ロジュと同じ制服を着ている生徒達が途端に会話を止めた。頭を下げるようなことはしていない。学生という身分を重視し、過度な敬いはなしというのが暗黙の了解だ。
しかし、国の王族にはやはり注目が集まってしまう。窺うような視線をいくつも受けながら、ロジュは表情一つ動かない。生まれてからずっと王族である彼にとっては人の視線は慣れたものだ。
彼に自分から近づく人間はいない。彼が自分から声をかけることも滅多にない。
ロジュは人が嫌いなわけでは全くない。むしろ人間は大切にするべきものだと考えている。一人でも多くの人が、苦しい思いをしないように、困らないように。彼は王族として自分が何をするべきであるかをしっかり認識している。
しかし、ロジュから人に話しかけると、「別の意味」で捉えられてしまう恐れがある。「政治的な意味」を勝手に考えられてしまうように。
いろいろ考えると、ロジュから誰かに話しかけるのはリスクが高い。
彼が講義を受ける教室に無言で入った。彼の深紅の髪は赤い髪が多いソリス国であっても目立つ。
一瞬教室が静けさに包まれる。
しかし、彼と同じ教室をとっている人間は少しずつ慣れてきている。ポツリ、ポツリと会話が戻ってきて、元の賑わいを取り戻した。
周囲の音が戻って、ロジュは静かに息を吐いた。毎回授業に来る度にこのような反応をされるのは疲れる。窓際の空いている席に腰を下ろした。窓の外からポカポカと入ってくる太陽の日差しを浴びながら、ふと考える。
そうだ、シルバ国に行こう。




