二、世界で一番美しくて残酷な光景
ウィリデは人が死んだら無に帰すると思っていた。もしくは天国と地獄のような場所があるか。
今のウィリデはどうだったかは覚えていない。ただ、覚えているのは、このラナトラレサの地をどこかで眺めていた、という事実のみ。その場所が天国であったか、地獄であったか、それ以外の場所であったかを思い出すことはできず、曖昧だ。しかし、そこで見た内容は鮮明に覚えている。
最初に見たのは、ウィリデの葬式。リーサが取り仕切っており、たくさんの人が来ていた。まさか自分の葬式を見る機会がくるなんて、思ってもみなかった。
自分は人に嫌われてはいない、ということは自覚していた。でも、ここまで多くの人に慕われているとも思っていなかった。葬式の来た人を黙って眺める。
ウィリデの心残りである、ロジュも勿論来ていた。ウィリデは息を呑んだ。ロジュが、泣いている。それが一番驚くべきことだった。誰の前でも涙を見せようとしない彼の涙は、ウィリデにとって衝撃だった。
ロジュは大声を出すことも、嗚咽をこぼすこともしなかった。ただ、ひたすらに。表情をなくした顔で涙を流し続けていた。その止まらない涙を拭う様子は全くない。
その姿は、ゾッとするほど美しかった。
ウィリデはロジュを見ていられなくて、目を逸らした。ロジュは、大丈夫だろうか。立ち直れるだろうか。
ロジュが大丈夫でなかったとしても、ウィリデにできることなんて何もない。ウィリデは、無力だった。
ウィリデの中で一つの予感がよぎる。
自分の弟、テキューが犯人だと知ったら、ロジュは正気でいられるだろうか。
いられるはずがない。
ロジュはウィリデの死の真相を突き止めるために、独自で調査をしていた。ロジュは十六歳でありながら、調査能力は凄まじく高かった。
一週間以内に真相を見つけ出したのだから。
ウィリデは、ロジュが真相を知った時の苦しげな表情が瞼から離れない。
絶望。それはロジュの表情から感情を奪い、瞳から輝きをなくした。
ロジュはそのときに抜け落ちた表情から動くことはなくなってしまった。
ロジュは真実を知るとすぐにテキューの元へと行った。
「なぜ、ウィリデ陛下を、狙ったんだ」
ロジュはテキューを問い詰めた。彼の表情が少しも動かないのが余計に彼の威圧感を強化していた。ロジュのことを好きなはずのテキューが恐怖で声が出しにくそうにするほどには、ロジュの怒りは抑えられていなかった。
「なぜか、を聞いてどうするのですか? もうウィリデ陛下は戻ってこないのに」
挑発するようにテキューがその言葉を発すると、その首筋に短剣があてられた。その短剣を握っているのは、勿論ロジュだ。ロジュは右手に短剣をもち、左手はテキューより後ろの壁についている。
「言葉には、気をつけろ。今すぐに死にたいのか?」
ロジュの怒りを間近で食らっているはずなのに、テキューの表情は恍惚としていた。ロジュの視界を独占し、怒りを自分だけが浴びているという事実にテキューは夢中になっている。
その様子を見ていたウィリデは、テキュー・ソリストという人間に言い様もない恐怖を覚えた。やっぱり、狂っているという評価以外できそうにない。こいつは、危険だ。
「ロジュお兄様になら殺されてもいいですが……。それで、なぜ殺したか、ですか?」
テキューは真っ赤な瞳を煌めかせた。まるで、今から発する言葉でロジュがどんな反応をするか、楽しみにするように。
直感的に不味い、とウィリデは思った。しかし、傍観者にしかなれないウィリデは何もできなかった。
「ロジュお兄様、あなたに好かれるウィリデ陛下が大っ嫌いだったのですよ」
「……。は?」
ロジュは、その返事に思わず短剣を落とす。カラン、と地に落ちた音を気にする者はその場にいなかった。
「それ、だけか?」
「それだけです」
ロジュの動揺とは裏腹にテキューの返事はあっさりしている。笑みまでも浮かべるテキューへロジュが感情を隠せないのは、仕方がないことであっただろう。
「俺の、せいで、ウィリデ兄さんは……」
ロジュの声は苦しげだった。ロジュは無意識の内に自分の落としたナイフを拾い上げると、ふらふらとその場を離れた。もう、テキューへ意識を向けることは、なかった。
ロジュの目は何もうつしておらず、虚ろな眼差しだった。さっきまで目の前にウィリデを直接的に殺した相手が立っていたという事実すら、気にしていなかった。彼の瞳に宿るのはただただ無であった。
彼はもう、生きる気力も何もかも失ってしまっているように見える。
ウィリデは、ロジュに手を伸ばしたかった。触れたかった。ロジュのせいじゃない、と言いながら頭を撫でたかった。
それは叶わない。ウィリデはロジュに対してできることはない。それが辛かった。
ウィリデはロジュを見ていられずに目を逸らしたくなり、一瞬目を閉じて俯いた。しかし、ロジュの行き先が心配ですぐにロジュを見ることにした。
ロジュが幸せになる未来が全く見えない。彼が救われる未来が想像できない。
ロジュは自室からジッと窓の外を眺めていた。何を考えているんだろう。それをウィリデが知るすべはなかった。
知るすべはなかったが、内容はすぐに知ることとなった。
ラナトラレサの地を照らす太陽が、堕ちた。
その光景は、今までに見たことがないほど美しい、という感想を抱いてしまった。その一方で、地獄のような雰囲気だった。 赤がここまで綺麗であり、残酷であることを知らなかった。
太陽の熱で全てのものが燃えている。無事なものは、果たしてあるのだろうか。
恐怖が体を支配する。
リーサとヴェールは無事だろうか。
ロジュは無事だろうか。いくらロジュが太陽の加護を受けている、といっても、代償なしに使えるものではない。力を使うのだ。流石にここまでの力を使って大丈夫だろうか。
ウィリデが案じた人物は、もう一人いた気がする。しかし、ウィリデの記憶は朧げで上手く思い出せない。
これ以降の記憶はない。ウィリデが忘れているだけなのか、あるいは世界はここまでだったのか。ウィリデは知らない。
ウィリデがこの記憶を取り戻したのはロジュとパーティーで邂逅した夜だった。
初めて会ったはずなのに、ロジュを見ると、守らないと、という気持ちが湧いてくるのが不思議だった。そう考えながら、寝ようとした時、この記憶が流れ込んできたのだ。
ウィリデは頭を押さえた。情報が流れ込んできて、頭がゴチャゴチャだ。
でも、これは奇跡なのかもしれない。しばらくしてそのように受け入れた。この地を滅びに導かないための機会。
時間がまき戻ったのか、自分が生まれ変わったのか。何が起こったかなんて分からない。それはウィリデにとって気にしている暇はないことだ。
次の日からウィリデは記憶の中の自分とは違う行動をとるように心がけることにした。起きる時間、行く道、行く場所、会話の内容、寝る時間。全てを覚えていたわけではないから、記憶のあるものだけであるが、それでもウィリデの生活は以前とは異なる出来事も多かった。
ウィリデは以前まで朝早く起きて、夜は遅く寝るという朝型の人間だった。しかし、『前』の記憶を思い出してからは、夜型にした。
未来を変えるため、意図的に夜型へした部分もあるが、夜に寝付きが悪くなったせいでもある。
ウィリデは自分が眠っているときに刺され、殺されたのだ。それを思い出した後にスヤスヤ眠れるほど、図太くない。
そして、今日も上手く眠れない。
ウィリデは夜が苦手になっていた。前の自分は夜が大好きだったはずなのに。だからこそ、苦手であっても嫌いにはなれなかった。




