五十二、確かめなくてはならない
「ああ、そうだ」
ロジュは一つ思い出したように呟く。彼は静かに立ち上がった。ロジュの視線が向く先にはテキューがいる。
「テキュー、一つききたいことがある」
「……? 何でしょう?」
ロジュが自分の方を見つめている。その事実に浮かれたテキューだが、それを表には出さずに首を傾ける。
コツコツとロジュの歩く音が妙に響いた。ロジュの動きに無駄な動作は一切なかった。だからこそ、テキューは反応に遅れた。
一瞬のうちにロジュが目の前にきていた。ハッとテキューは短い息を吐く。ロジュはいつの間に取り出したのか、彼の利き手である右手に短剣を携えていた。
ロジュの動作は流れるようで、テキューの座る椅子の背もたれに左手をかけた。右手に持つ短剣はテキューの首筋に当てられている。
同じ部屋にいる、ウィリデ、ラファエル、リーサは特に表情を変えなかった。焦りも見せない。三人とも、ロジュが意味のないことをし始めるとは思っていない。だからこその傍観。
短剣を首筋に突きつけられたテキューは息を呑む。余計なことを言えばロジュは容赦なくその手を血で染めるだろう。ロジュがわざと出しているであろう殺気で、空気がテキューの周辺の押しつぶされそうなほど重い。それがわかるからこそテキューの感情に緊張が含まれている。それは事実であるが、それよりも大きい感情がテキューを支配していた。
テキューは多幸感に満たされていた。それは麻薬のような。一度味わったら二度と抜けさせなくなるのでは、と心配になる感覚であった。
テキューは目の前にいるロジュを見つめる。ロジュの表情は変わっていないが彼は間違いなくテキューだけを見ている。その事実は、テキューを幸福に酔わせた。しかし、次の言葉でテキューの高揚感は削がれることとなる。
「お前は、シルバ国の動物密輸事件に関わっているか?」
テキューは冷水をぶつけられた気分になった。結局は、ウィリデのためか。その事実はテキューを少しだけ冷静にした。それでも、やはりロジュが自分だけをまだ見続けているという事実は変わらない。テキューの中の悦びは消えなかった。
シルバ国の動物密輸事件。シルバ国の動物を実際に密輸したのはトゥルバ国とベイントス国の人間。その人達は一般人であり、基本的にはもう特定されている。しかし、ウィリデの予想では黒幕がいる。実行犯に教唆、もしくは命令をした人物がいる。
ロジュの予想では、その人物は高い地位の人物だ。時間があるときに調査を続けているが、全く足がつかない。よほど多くの金か多くの人望を持っている。
そこで、ロジュは視点を変えてみた。シルバ国の動物密輸事件で誰が一番損をしたのか。
普通に考えればウィリデである。対応に追われ、他国との外交を絶つことになった。対応に追われたことで、仕事で忙しい日々を送っただろうし、外交を絶ったことへの他国からの問い合わせの対応でも時間を取られただろう。そのことで彼の睡眠時間は減っただろうし、実際に森へ足を運んで調査を行うなど、彼自身が動くことも多かったはずだ。よって、彼の身体を疲れさせただろう。
一方で、彼の精神にも影響を与えたはずだ。ウィリデのフェリチタは陸上動物であり、彼は動物の密輸にすぐ気がつかなかったことに多少なりとも自分を責め、傷ついただろう。王としての自分の手腕に疑問を感じ、迷いも生じたかもしれない。
ウィリデ・シルバニアにとって、密輸事件は彼の身体面、精神面のどちらも苦しめることに成功しているといえる、とロジュは考えていた。
それでは、ウィリデを恨む人間の行動か。それに、ロジュは首を傾げる。ウィリデ自身が恨まれるということに納得がいかない。彼は人を不快にさせない天才であった。ウィリデ自身が嫌われる、ということは疑問に感じる。
逆恨みや嫉妬ならあり得ても、ウィリデ自身を憎むのは、信じがたい。可能性が高いなら、逆恨みか嫉妬。
別の可能性も考慮してみる。一つは、シルバ国である必要がなかった可能性。フェリチタという存在自体を嫌っていて、どこの国でもいいからフェリチタを壊したかった。そういう人による行動。あり得なくはない。しかし、この世界の人々はみんなフェリチタからの加護を受けて生きているのだ。リーサのように、自国のフェリチタ以外から加護を受けている等の事情で、気がついていない人も希にいる。しかし、その線は薄いだろう。ほとんどの人は生まれながらに加護を感じているのだから。
損をした人物。それはロジュも例外ではない。兄のように慕うウィリデと連絡が取れなくなってしまったのだから。ウィリデは鎖国を徹底しており、ロジュとも連絡を取っていなかった。それはロジュの孤独を加速させ、ロジュの精神を崖っぷちまで追い込んだ。どこまでロジュが追い込まれたかを事実として知っているのは、ロジュのみである。しかし、ロジュとウィリデの仲を知る人間であるなら、予想くらいはできるだろう。程度は分からなくとも、ロジュにダメージを与えることができるというのは明白だ。だから、ロジュを憎んでいる人物、というのも選択肢にある。もっとも、その人物はウィリデが本格的な鎖国をすることまで読んでいたことになり、よほど頭が切れる人物であるだろう。
他に。逆も考えられる。ロジュのことが好きであり、ウィリデとロジュを引き離したい場合。普通であれば考えられない。馬鹿げた話だ。しかし。テキュー・ソリストなら。ロジュの中でテキューは「どんな突拍子もないことをするか分からない」人物へと定められた。
ロジュは、弟のテキューが自分に対し、好意を抱いているという事実から目を背けつつも、認めるしかなくなった。テキューはロジュの王位のために自分の瞳に短剣を突き刺そうとしたのだから。流石にそこまでされると、彼の気持ちを疑い続けることはできない。
では、テキューがロジュとウィリデの関係に僅かでも溝を作るために、禁忌に触れるか。ロジュは、否定ができない。
だから、確かめなくてはならない。




