五十一、愛と価値
ロジュは、リーサへ向けていた意識を、ウィリデへと移した。
「ウィリデ陛下。もし、ウィリデ陛下が俺のことを信じている、というのなら。ルクスを作ることに抵抗がないんじゃないか?」
ロジュはウィリデへと告げる。信じているのなら。ロジュを疑わないのなら。そのルクスが発動されることはないのだから、ロジュを傷つけることにはなり得ない。
ウィリデはロジュが我を忘れて世界を滅ぼしかけ、ウィリデの作ったルクスが発動される前提で話をしている、とロジュは指摘している。
ウィリデは表情を動かさない。しかし、彼は内心では図星を突かれて返答に困っていた。信じていないわけではない。それでも、ロジュが力を持ちすぎているのも知っている。
「本当に、非道いことを言うんだね」
ウィリデは弱々しく笑った。それを言われてしまったら、ロジュからの提案を断ることができなくなってしまう。断れば、信じていないと認めたことになってしまうから。
「でも、ロジュ。一つだけ訂正させて。私はロジュを信じていないから作りたくないわけではないよ。ロジュを害する可能性がある物を作ることが嫌なだけで」
ウィリデの表情に浮かぶのは諦念。ロジュを説得するための道具をウィリデは持っていない。ウィリデは椅子に戻ると背もたれにもたれかかって座り、頭を押さえた。ウィリデは通常、綺麗な姿勢で椅子へと座り、このような座り方をすることは滅多にない。自国の家臣に対して断罪するときや、立場を分からせる時には威圧感のある座り方をすることはあるが、今のように力が抜けた座り方は、妹リーサですら見たことがない。ウィリデは右手で顔を覆う。
これがウィリデの本音。ロジュを傷つけることが何よりも嫌なだけ。そこにロジュへの不信はない。そしてロジュに誤解されるのが心底嫌だった。
「分かっているよ、ウィリデ陛下」
「嘘だよね、ロジュ。ロジュは分かっていない」
ウィリデは顔を覆っていた手を外した。それによって顕わになったウィリデの若草色の瞳には強い決意が浮かんでいた。それにロジュは戸惑う。一体、何が言いたいのだろう。ウィリデの強い感情がロジュの心を刺激する。
「ねえ、ロジュ。私はロジュのことを本当に大切に思っているよ。家族と同じように愛している。ロジュ。愛しているんだよ」
ストレートに。ウィリデはロジュの藍色に輝く瞳を見つめながら言葉を紡ぐ。ロジュの動揺を全部無視して、ウィリデは自分が言いたいことをぶつける。
「ロジュが、自分自身のことを愛していなくても、私はロジュを愛しているよ」
ウィリデはロジュに言葉を伝えるときは、できるだけ遠回しに伝えていた。はっきり言うと、ロジュは困った顔をするから。ウィリデは基本的に自分の気持ちをきちんと言葉にして伝えると決めているが、ロジュだけは最大級に考えながら伝えていた。
それでも。もう、無理だ。これ以上後回しにはできない。これ以上、このままにしておけば、ロジュは自分自身を傷つけてしまう。
「ロジュが毒で生死を彷徨ったときも。テキューの剣を素手で止めたときも。それ以外の時も。ロジュが危険なことをするとき、私がどんな気持ちでいるか、考えたことはある?」
「……」
ロジュは何も言えない。ウィリデはロジュに分かっていない、と言う。実際にそうだ。ロジュは分からない。
「……。ごめん。分からない。ごめん」
絞り出すようにロジュは声を出した。その様子をウィリデは悲しそうに見つめる。
「ウィリデ陛下の言いたいことは分かる。俺だって、大切に思っている人が自分自身のことを大事にしなかったら、腹立たしくなると思う。心配になると思う。そこまでは、分かる。でも……。俺という人間にそこまでの価値があるのか、分からない」
沈黙が支配する。人の価値。それは何で決まるものであろうか。それは誰が決めるものであろうか。その答えを常に持ち続けている人間はいないだろう。
「ロジュお兄様、あなたは生きているだけで価値がありますよ」
その言葉は相手を全肯定するはずの最上級である言葉。しかし、ロジュの表情は動かなかった。
「テキュー第二王子殿下がおっしゃると、嘘くさく感じるのはなぜでしょう」
ラファエルがボソリと呟く。テキューはラファエルをにらみつけたが、ラファエルは気にする様子はない。ロジュへと向き直った。
「テキュー第二王子殿下に同意するのは抵抗がありますが、仕方ありません。他者が決めて良いのであれば、ロジュ様の価値はいくらでもある、とお答えしましょう。しかし、それでは納得なさらないのでしょう?」
そこまで言ったラファエルは薄紫色の瞳を下へと向ける。何を言えば、ロジュは納得してくれるのだろう。人の価値。難しい。ある、ないは個人の感覚であるし、ロジュ自身が納得できなければ、その価値を他者がどれだけ褒め称えたとしても無意味と化す。
「ロジュ、ロジュの価値なんて関係なく、愛している。嘘偽りなく」
気持ちを言葉で包んで伝えていたウィリデはどこに行ったのか。ロジュを苦しめたとしても、はっきりと伝える覚悟を決めたウィリデは躊躇わない。彼の若草色の瞳は強い光を放ち続けている。
「今すぐ何かを変えてほしいわけではないし、変えることができるものではないだろう。でも、知っておいてほしい。ロジュを大切に思っている人間がいることを」
そう言い切ったウィリデであったが、困ったように若草色の瞳を左右に動かす。
分からない。分からない。どうしたら、ロジュは自分自身を大切にしてくれるのだろう。ここまで正解が見えてこないことはあまりない。
ウィリデは自分の言葉を脳内で反芻する。陳腐な言葉だ。正しかったかも分からない。それでもウィリデにできるのは自分の気持ちを伝えることしかできない。歯がゆい。何もできない自分が。ウィリデは乱雑に自分の深緑色の髪をかき上げた。
「価値、かは分かりません。それでも、ロジュ様。忘れないでいただきたいです。側近にしていただく際に、僕が貴方を裏切らないとフェリチタに誓ったことを」
「ああ」
その言葉に、ロジュは頷いたが、ギョッとした顔をリーサが浮かべる。ラファエルは常識人だと勝手に思っていたのに、全然そんなことはなかった。それでも、リーサはそのことについて何も言わなかった。ロジュが必要だからしたのだろう、とリーサは解釈したからだ。実際にはラファエルの独断により行われたことだが、リーサに知る由はなかった。
「ロジュ様。僕は貴方のことを、命をかけられるくらいには大切に思っております。それを忘れないでください」
「分かった」
ラファエルも、ウィリデと同じようなことを言う。忘れるな、と。知っておいてほしい、と。リーサも以前の告白で、知っておいてほしいと言っていた。
「ロジュお兄様、だいすきです。中庭で始めてお会いしたときからずっと」
「中庭……。そうだよな。中庭で、始めて会ったよな」
「……? ロジュ、お兄様?」
テキューは違和感を覚えた。ロジュのはっきりとは覚えていなさそうな様子に。
「ああ、悪い。あまり覚えていなくて」
「え? 覚えていない? ロジュお兄様が?」
テキューは不可解な表情を浮かべる。ロジュが覚えていない。そんなことはあるのか。だって。
「ロジュお兄様って、学院での成績が全て一番でしたよね? 歴代最高得点であり、誰も打ち破れないのではないかと伝説のようになっていますが……」
ロジュの知能が優秀であることは、疑うまでもないこと。テキューも成績は一番を取っているが、ロジュの記録を打ち破れたことは一度もない。
疑問を持ったまま、テキューはウィリデの方を向く。しかし、ウィリデも知らなかったようで、目を見開いている。テキューがラファエルに目線を動かすが、彼はあまり動揺している様子はない。
「中庭で会ったのって、一回だったよな?」
「は?」
テキューがお腹の底から出すようなどす黒い声を出す。テキューの顔が少しずつ青ざめていく。
「ロジュお兄様、まさかあのことを覚えていないのですか⁉」
テキューは泣き出しそうで、叫び出しそうなのを隠しきれていない。
「え? 何かあったか? ……悪い。思い出せない」
ロジュの言葉を聞いたテキューは訳が分からない、という表情を浮かべる。テキューが知る中で一番事情を先読みするのはウィリデだ。テキューが戸惑いをウィリデへと向ける。ウィリデの唇がゆっくり動き、後で、とメッセージを発した。ウィリデはラファエルにも視線を送る。ラファエルは表情を変えないまま軽く頷いてみせた。
「失礼しました。ロジュお兄様。取り乱してしまいました。先ほどのお話はお気になさらず」
テキューはロジュに向かって軽くお辞儀をする。テキューが先ほど発した言葉に不思議そうな表情を浮かべていたロジュであったが、テキューが話を切り上げようとしているのを分かり、黙ったまま頷いた。話が見えないロジュにとっては、テキューが言いたいことが何も分からないため、特にその話を続けようともしなかった。




