五十、情という名の枷
「ウィリデ、陛下」
しばらくして真っ直ぐに顔を上げたロジュの瞳に迷いは消え去っていた。その瞳に宿る決意の色は澄んでいる。まるで吸い込まれそうなほどに濁りがない。そのロジュの綺麗な瞳を見たウィリデには、嫌な予感が脳裏をかすめる。
「……。いや、だ」
「まだ、何も言っていないだろう」
口元に笑みをのせたロジュの顔はいつもより、曇りがない気がする。その笑みは儚さを含む柔らかい表情。その一方でウィリデには焦りが浮かぶ。
「俺は、ウィリデ陛下の話なら一言一句忘れない。以前ルクスをくれたときに言っていたよな? 以前くれたフェリチタへの祈りの効果を増やすルクス。そして『応用してもっとすごいルクスを作った』という言葉。ウィリデ陛下、逆もできるんだろう? 逆にフェリチタへの祈りが届かなくするルクス。それが欲しい」
その言葉をきいたウィリデは表情を暗くする。過去の自分を殴りたくなる。余計なことを、言ってしまった。だって、ロジュが言っていることは。
「ロジュ、分かってる? 自分に首輪をつけてくれ、と言っているようなものだよ?」
「そう言っている」
ウィリデの表情が強張る。ウィリデはゆっくりとロジュへ伸ばした。その手が震えていることは、その場にいる全員へ伝わってしまっている。
「やめて、ロジュ。考え直して」
絞り出すような声でウィリデが懇願する。ここまで辛そうなウィリデは見たことがない、と妹であるリーサすらそう思った。
「お願いだ、ウィリデ陛下。こんなこと、ウィリデ陛下しか頼めないんだから」
「いやだよ、ロジュ。そんな、罪人と同じ扱いをしたくない」
祈りが届かない。それはフェリチタへの頼みが届かないのだから、フェリチタの力を借りることができない。つまり、力を押さえつけることとなる。
どのような人間の力を抑制したいか。それは、罪人だろう。
ロジュへ手を伸ばしたウィリデを、ロジュは拒まない。ウィリデはロジュを抱きしめる。嫌がっていないロジュは、ウィリデに好きなようにさせていた。ロジュを抱きしめたウィリデは、ロジュの耳元で囁くように話す。
「ロジュ。なんでそんな非道いことをさせるの?」
ロジュがウィリデに言っていることは、残酷だ。弟のように思っているロジュへの生命を握ってくれ、とロジュは言っているのだから。自分が強大な力で狂ったときのために、フェリチタへ祈りが届かないようにする道具、つまりフェリチタからの加護を断ち切るのと同義の道具をほしい、と。
「ロジュを殺すことになるかもしれない道具を、私に作れと⁉」
ウィリデの声には追い詰められたような悲痛さを持っている。彼は思わず声が大きくなることにも気がついていない。
フェリチタからの加護をなくすことが死と同じわけではない。しかし、可能性はある。特に今まで加護が強かった人間がフェリチタへ頼れなくなったらどうなるのだろうか。少なくとも彼自身の戦力は下がることは間違いがない。
それだけではない。フェリチタについては謎が多い。それが人間の生命にどのような影響を及ぼしているのかも分からない。 もしかしたら、ロジュの寿命を縮めてしまうかもしれない。フェリチタからの加護と寿命が関係あるかもしれない、という話は先ほども出たというのに。
確定事項が少ない。だから、ウィリデは『悪用されそう』と考えていた。
それを逆手にとって、ロジュは自分を止める道具を作ってほしいというのだ。
ロジュはウィリデを困った表情で見つめる。いくらウィリデに反対されても、今回の件で折れる気はないのだ。
史実で、自分と似た条件の愚王が生まれた。それを知ってしまったのだから。ロジュはこのまま知らない振りを続けることができない。
手を、打たないと。ロジュは自分自身が将来王となることに納得ができないだろう。
「ねえ、ロジュ。別の方法を考えよう」
抱きしめていたロジュを解放したウィリデは、縋るようにロジュを見つめる。切実さに溢れる瞳に普段のロジュなら折れていたかもしれないが、困ったように笑うだけだ。
「そんな方法、あるのか? ウィリデ陛下、思い浮かんでいる?」
沈黙。ウィリデは俯いた。ウィリデですら思いついていない。頭では分かっているのだ。それが最善であることを。しかし、どうしても受け入れることができない。
「俺が本気になれば、太陽すら堕とせるのではないかと考えたことある人はいるんじゃないか?」
それは確信だった。ロジュは自分の力を疑っていない。そして、反対する言葉を、ウィリデもラフェアルもテキューも持ち合わせていなかった。三人は、目を伏せる。彼らは、知っている。ロジュの力の強大さを。ロジュ・ソリストという人間は世界を滅ぼしうることを知っているのだ。
「人間の絆を、どれぐらい信じられますか?」
言葉を失った三人とは違い、ポツリとリーサが言葉を発した。その言葉にロジュは訝しげな目を向けた。
「博打と同じだと思っている。流動的であり、次の日には裏切るかもしれない」
要するに、ロジュは全く信用していない。信用するに値しないという位置づけなのだろう。
「そう、でしょうか。人間の絆って確かに脆いです。私たち王族であれば、余計にそう感じる機会は多かったでしょう。昨日までは媚びを売ってきていたのに、今日は自分には近寄ってもこない。そんなことは普通にあります」
そこで言葉を切ったリーサにも、裏切られた経験なんてものはいくらでもあるのだろう。思い出したのか、寂しそうに笑う。
「それでも、それだけじゃないと思うのです」
裏切り、裏切られ。期待しては、落胆され。いいものばかりではない。しかし、それだけでもない。
リーサは、見返りのない優しさを知ってしまった。この世界が酷いものではないことを知った。
「例えば、全てがどうでも良くなったとして。世界を壊したくなったとして。世界を恨んだとして。それでも、最後に思いとどまる何かがあるとするならば。それは人間の絆、繋がりではないですか?」
人間の絆。繋がり。それは人間の心の奥底に強大な影響力を及ぼす。
「この人の期待を裏切りたくない。この人に悲しんでほしくない。この人のいる世界を壊したくない。それが、最後の思いとどまる可能性なのではないでしょうか」
最後のチャンス。それは大事な人への思いであり、人を思いやる気持ちであろう。
それがなければ、もう止めることはできない。それですら止められないものを止める方法なんて存在しないだろう、とリーサは考えた。
「ロジュ様。私を、貴方のそういう存在にしてくれませんか?」
リーサの煌めく橙色の瞳を見たロジュは虚を突かれたように黙り込む。
ロジュにとって、そのような発想はなかった。実際の首輪のような枷ではなく、情という名の枷を作るという発想。
ロジュはリーサを見つめる。ロジュにとって、彼女は眩しすぎる。人間を信じているのだろう。全員そういう人間ではなかったとしても、人が人のために行動できると信じている。人が行動をする理由が人であること、人が行動を辞める理由が人であることを信じている。それが、目映く感じる。
しかし。
「悪い、リーサ。それはできない」
ゆったりとした動作でロジュは首を横に振った。ロジュは、その方法を受け入れることができない。
リーサは身体を前のめりにして、ロジュに尋ねる。
「どうしてですか、ロジュ様。私では、ご不満ですか?」
「違う。そうじゃない。さっき、お前が言った方法では、『確証』がないだろう?」
リーサが言った方法には、ロジュにとって致命的な部分がある。
目に見えない感情。それを無条件に信じられるほど、ロジュは。
「俺はそこまで自分のことを信じられない」
ロジュは自分の感情をコントロールする力をそこまで信じていない。むしろ、疑っている。我を忘れたとき、人間への情がでてくるだろうか。そんなに、都合がよくない。きっと、何も考えられなくなって、壊してしまう。そこに、自分の意志なんてない。捨て去るだろう。
リーサもそれ以上は言いつのることができなくなった。リーサはロジュのことを信じている。ロジュが情を放置できない人間である、と考えている。しかし、ロジュ自身が信じられないのなら。それ以上言葉を重ねても無駄であろう。




