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四十六、笑い話へ塗り替える

「なあ、ラファエル。余計なことはするな、と言ったよな?」


 急にラファエルに来てほしいと言われたと思ったら、ウィリデのいる部屋の前へと連れてこられたロジュは、最初の内は状況が理解できずに藍色の目を瞬かせていたが、すぐにラファエルを横目でにらむ。しかし、ラファエルは怯える様子はない。

 ロジュが発した声には冷気が混じっているが、ラファエルはひるむ様子なく、ニコニコしている。


「はい。しっかり聞いていました」


 彼は勝手な行動に悪びれる様子は一切ない。そんなラファエルを見ていると、ロジュは怒りが削がれる。しかし、伝えるべきことはしっかり伝えなくてはならない。主人に良いことをしたと褒めてほしそうに尻尾を振っている子犬に見えてくるが、それでも今後のために伝えなくてはならないのだ。


「だからって、ウィリデ陛下を巻き込む必要はあったのか?」

「申し訳ありません。しかし、僕にできることは他になさそうだったので。僕もロジュ様の役に立ちたかったのです」


 口では謝罪をしているが、ラファエルは悪いことをしたという意識はない。

 ロジュが自分からウィリデに助力を求める連絡を入れることはなかっただろう。だからラファエルが連絡するのが最善であった。それをラファエルは知っているから、悪いと思っていない。ロジュは額に手をあてながら、ため息をつく。確かに、ウィリデを巻き込みたくなかったから、ロジュから連絡することはなかっただろう。


「ラファエル、お前の行動を縛るつもりはない。でも、お前のやることで気に入らなかったら、遠慮なく文句いうからな」


 ロジュは今回の件はとりあえず折れることにした。ウィリデを巻き込んだのは気に入らない。しかし、それが最善であったことも理解はしている。だからこその、葛藤。

 ロジュの立場から、他国の王を勝手に巻き込んだのを咎めるのは正しい。しかし、助かったのもまた事実。


「ロジュ様、僕はロジュ様にとって必要あると自分が判断したら、ロジュ様が嫌がろうと強行します。ロジュ様だって僕に言われたことしかしない人形になってほしいわけではないのでしょう?」


 ラファエルがロジュに向かってニコリ、と笑う。その笑みはいつもより無邪気ではなく、見透かすような笑みだった。かわいいよりもきれいという印象を受ける表情。


「……。ウィリデ陛下を待たせすぎた。早く入ろう」


 ラファエルからの宣言に答えることをせずに、ロジュは部屋へのドアを開ける。ロジュが答えなかったのを、肯定とみなしたラファエルは笑みを浮かべながらあとに続いた。


「ロジュ、王太子になったんだね。おめでとう、と言っていいかな?」


 ウィリデはロジュに向かって微笑んだ。その目は外から入る太陽の日差しに反射して輝いており、濁りは一切ない。

 ウィリデの脳裏には、ロジュへ王太子になりたいかを聞いたとき、分からない、もう疲れたと言ったことが浮かんでいる。あの時と違い、ロジュの瞳には覚悟が宿っている。彼なりに、迷いながらも思考を止めなかった末に今があるのだろう。


 ロジュも柔らかく微笑んだ。ウィリデを見る目はいつも通り優しい。祝われたことに気分を害した様子は全く見えない。


「ありがとう。ウィリデ陛下」


 そう言いながら、ロジュはウィリデがどこまで読んでいたのか考える。ロジュが王太子になることを確信していた、ウィリデがテキューの行動まで予想をついていたとしても不思議ではない。実際、ウィリデはテキューに治癒のルクスを送っている。つまり、彼が自分の目に向かって剣を突き刺すところまでも予想していた可能性は高い。


「ウィリデ陛下は、テキューのことを、どこまで理解している?」


 テキューのあの行動では、流石にテキューの気持ちを疑うことできなくなった。でも、ロジュがテキューという人物をたいして知らない。それに対し、以前ウィリデはテキューのことを知っていそうな雰囲気だった。


「あいつは、理解しようとするだけ無駄だ」


 ウィリデが顔をしかめる。そこに浮かぶのは嫌悪であり、ウィリデがテキューをどう思っているかは、明白だった。


 理解はできるかもしれない。それでも共感はできないものであると、ウィリデは考えている。

 ウィリデの表情から大体の気持ちを読み取ったロジュは軽く首を振った。


「ごめん。今の質問は忘れてくれ」


「ウィリデ様、そろそろお願いします」


 空気を変えるように、ラファエルが明るい声を出した。それによって重苦しい空気は霧散する。ラファエルの言葉にウィリデが頷き、立ち上がった。


「ロジュ、ラファエルから話は聞いているのか?」

「何も聞いていないけれど、ウィリデ陛下を呼んだということはウィリデ陛下の入れた紅茶で試せ、ということだろう?」

「ご名答です」


 ラファエルは笑みを崩す様子はない。ロジュを前にしたラファエルは特に機嫌がよい。


「ラファエル、それはお前にとってメリットはほぼないが、それでもいいのか?」

「ロジュ様は、ウィリデ様の入れた紅茶を飲めさえすれば、希望が見えるはずです。今回も僕の入れた紅茶が飲めなかったとしたら、それはその後考えましょう」


 ラファエルにとって、最優先事項はロジュであり、それ以外は二の次だ。ラファエルの慈愛に満ちた微笑みを見たロジュは、それ以上何も言うことができず、言葉を探すように数回目を瞬かせた。しかし、ラファエルにかける言葉を上手く見つけることができなかったロジュはため息をついた。


「分かった。ウィリデ陛下、お願いします」


 ロジュから頼まれたウィリデはニコリ、と笑うとお茶を入れる準備をはじめる。その手つきが思いの外手慣れたものであったため、ラファエルは訝しげな顔をする。先ほど上手でないと言っていた人の手つきには見えない。


「どうぞ、ロジュ」

「ありがとう」


 ウィリデから差し出された紅茶をジッと見つめるロジュは何を考えているのだろうか。ラファエルはロジュを眺めながら考える。その姿を見た、ウィリデはラファエルに声をかけた。


「ラファエルもついでに飲むか?」

「いただきます」


 ラファエルも手渡された紅茶を眺めてみる。しかし、ラファエルは紅茶にそこまでの興味はない。色や匂いは綺麗だと思うが、それ以上に感想を持たない。それよりもロジュを眺めている方が有意義な気がする。ラファエルは自分の欲望に忠実になることにして、再び視線をロジュへと戻した。ロジュより先に飲んで毒味をしたいが、ウィリデがロジュに毒を盛るはずはないからする必要はないだろう。今回はロジュが先に飲むという状況を想定して、ラファエルは先に飲まないことにしているため、見ていることしかできない。


 ロジュは濁りのない紅茶をじっくり見つめる。毒入りの紅茶で自分は生死をさまよった。あの紅茶とは違う。だから大丈夫なはずだ。それに、自分は。


 死を、怖いと思う資格はあるのか?


 ロジュの中で冷たいものが通り過ぎた気がした。ロジュは自分の脳裏に浮かんだ言葉を反芻する。


 死を、怖いと思うのは正常だ。正常なのは間違いない。だからこそ、何かが引っかかる。

 自分が正常であったことはあるのだろうか。正常ってなんだろう。正常でなくてはならないけど、自分が正常と位置づけられないことは、自分がよく知っている。正常とは、普通であること。では普通とは、一体……?


 本当に自分は死を怖がっているか?


 答えがない問いに飲み込まれそうになったことに気がついたロジュは一度ギュッと目を閉じた後にしっかり開いた。


 ウィリデが折角入れてくれたお茶だ。無駄にするわけにはいかない。

 余計なことを考えて、思考を鈍らせるわけにはいかない。ゴチャゴチャ考えていても仕方がない。自分ができることは紅茶を流し込むことだけだ。それを拒絶するか、しないかは自分がどうにかできる話ではない。


 ロジュは意識的に何も考えないようにしながら流し込んだ。何も妨げるものはなく、ロジュの喉元を通る。ゴクリ、とロジュの喉は動いたが。ゴホッ、とロジュは咳き込んだ。慌ててカップを持っていない左手を口元に添える。


「ロジュ、大丈夫?」


 心配そうにロジュの近くまで来たウィリデをカップを置いた右手で制止ながら、ロジュは咳き込み続ける。ロジュは咳き込まなくなると、困ったような表情で口を開いた。


「ウィリデ陛下は、今までに何回くらいお茶を入れたことがあるんだ?」

「えっと……。三回目だよ」

「そう、か」


 言いにくそうにしているロジュを見たラファエルは自分も飲んでみることにした。ロジュが何も言わない、ということは飲めなかったわけではないのだろう。


「僕もいただきますね」


 ラファエルの喉を通ってウィリデの入れた紅茶が流れ込む。ラファエルは思わず咳き込んだロジュを見ていたため覚悟はしていたが、それでも咳き込みそうになるのを止めるのに必死だった。


「ウィリデ様、何をどうやったらこんなに渋くできるのですか?」


 ロジュと違って遠慮を一切しなかったラファエルは思ったことをはっきりと告げる。ウィリデはラファエルの言葉に引きつった表情を浮かべた。


「ええ? そんなに渋い?」

「僕は今までこんなに渋い紅茶を飲んだことがありません」

「本当? ……。うわ、本当だ」


 ラファエルが遠慮のない言葉を重ね、ウィリデは疑うような表情をしていた。しかし、自分で飲んでみて、その言葉をあっさり認める。


「ふは、あはは」


 ロジュが堪えきれないように笑い出した。それは感情表現が苦手なロジュには珍しく、声を出しての笑いであった。


「ウィリデ陛下にも、苦手なことあるんだな」

「そりゃあ、あるよ」


 ウィリデもロジュを見ながらつられたように笑い出す。ラファエルだけは考え込み、黙り込んでいた。ロジュとウィリデはそれに気がつく様子はなく、しばらくして笑いが収まった。


「ラファエル、次に入れる?」

「……。はい」


 ウィリデに声をかけられて、ラファエルはようやく思考を止めた。先ほどまで難しい顔をして考え込んでいたとは思えないくらい柔らかい笑みを浮かべる。ウィリデの紅茶は、一応飲めたという結論はでた。自分は、どうだろうか。


「ロジュ様、ウィリデ様、どうぞ」



 ラファエルは緊張した面持ちでロジュを見つめる。今回は、どうだろうか。前回と違い、ロジュの様子に異常は見えない。いつもの様子に見える。今回は、大丈夫なのではないか、そんな感覚がラファエルには芽生えた。


 ロジュは余計なことを考えずに、飲むことだけに集中することにした。しかし、彼の頭は過去の記憶を容赦なく蘇らせようとする。

 ロジュの喉を紅茶が流れる直前に、脳裏をよぎったのは先ほど飲んだウィリデが入れた渋い紅茶だった。

 その記憶のおかげで、ロジュの紅茶を飲む意志を遮るものはなかった。


「ラファエル、紅茶を入れるの上手いな」

「本当ですか? ありがとうございます」


 ラファエルにとって、ロジュが飲んでくれただけでも嬉しいのだが、さらに褒めてもらったとなるとさらに幸福感が増す。


「さっきのウィリデ陛下の入れてくれたお茶を思い出して、飲みながら少し笑いそうになった」

「もう、忘れてよ」


 ロジュの言葉をきいたラファエルは動きを止める。ウィリデの意図に気がついたラファエルはハッと表情を強張らせてウィリデの方を見る。

 ラファエルからの視線に気がついたウィリデは口元に人差し指をあてる。言ったら駄目だよ、というウィリデの声が聞こえた気がして、ラファエルは顔を引きつらせた。


 この人は、本当にロジュ・ソリストという人間が好きなのか。


 彼は「わざと」渋い紅茶を入れたというのだから。ロジュの紅茶の悪い思い出を、笑い話へと塗り替えるために。


 それをまざまざと見せつけられたラファエルは苦い顔をする。ウィリデ・シルバニアという人物を舐めていたわけではない。過小評価もしていなかったはずだ。でも、ラファエルが思っているよりロジュのことを愛して、いるのだろう。


 ウィリデにはかなわないかもしれない。ラファエルは諦めに似た気持ちがうまれる。

 それでも。


「ラファエル。ありがとう」


 ロジュからお礼を言われるだけで、ラファエルにとって全てがどうでも良くなってしまう。


「良かったです」


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